えれじい

えれじい

えれじい

「えれじい」鳴海章(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、警察小説、愛崎警察署


久しぶりに気軽に楽しくミステリー小説を楽しんだ。読み物である。警察小説である。得るものはないかもしれない、しかし、こうして読み物を楽しむのもたまにはいい。大人の観賞に耐えられる作品なら・・・。


どうして生安に?
警察官になって以来、ずっと刑事を志望していたのに、なぜ俺が生安に配属なんだ?
佐倉義顕、東京に隣接する県の愛崎署生活安全課銃器薬物対策係に配属されて3ケ月。未だ馴染めぬ生安で、相勤者の鈴子は何くれとなく面倒をみてくれたが、鬱陶しくもある。
<生安の粛清>と揶揄された一大人事異動。全国各地の警察における不祥事が市民の関心を集める中、佐倉の所属する県警でも不祥事の露見に対する危機感が強まった。とくに問題視されていたのが全県の生活安全課にはびこっていた違法薬物、賭博がらみの暴力団との癒着。県警本部は抜本的改革より隠蔽を選んだ。その結果が<生安の大粛清>。佐倉のように刑事志望でありながら、生安に異動させられたものも少なくなかった。
今日も、管轄区域で最近急に流行りだした新型覚醒剤<ドリームキラー>の捜査を行っていた。追いつめられた被疑者は、薬にやられ、マンションのベランダを飛び越え、スパイダーマンよろしく壁に貼り付き、-----いや、貼り付ける訳がなく落ちていった。
そして、またドリームキラーにやられた元ヤクザの男、谷脇が自分の妻子を人質に、拳銃を持ちマンションの一室に閉じこもる事件が起こった。上司の銃器薬物対策係係長、針ケ谷に現場に呼び出される、佐倉と鈴子。
針ケ谷は、愛崎署に来る前は銃器薬物対策特別捜査隊のエースとして鳴らしていた。日本全国を見回しても、卓越した検挙率を誇る県警特捜隊は、鍛冶野潔という警部により創設され、県警本部生活安全部に独自の地位を築いていた。出身者は全県に散らばり、独自のネットワークを結んでいる。もちろん針ケ谷もその一員であった。
谷脇は、結局妻子とともに、自ら死を選び、事件は終結した。凶器の拳銃はマグナム銃であった。
やりきれない事件のあと、佐倉は鈴子に誘われ、彼女の行きつけの店に食事に行くことになった。おごってくれるという言葉に、ふところが少し心もとない佐倉は否も応もなくつきあった。鈴子の行きつけの店で、朝からビールを机に林立させ、しこたま酔っ払う佐倉。常連客のオカマに口づけをされたあと、消毒だと鈴子が口づけをしてくれた。柔らかな鈴子の舌を吸う佐倉。飲みすぎた佐倉は、鈴子と別れ店を去った。また月曜日に。それが鈴子と交わした最後の会話となった。
郊外のつぶれたパチンコ店で一人の女性警官の死体が発見された。被害者は愛崎署生活安全課狩野鈴子巡査部長。運転席に座り、ハンドルに頭を預けるような格好をした死体には4発のマグダム弾が打ち込まれていた。マグダム弾、先のマンションの事件と同じ凶器が使用されていた。
現職警官の殺害、それは警察という組織への挑戦。鈴子の仇を討つ、上司の針ケ谷以下、愛崎署生安のメンバーは心に誓った。そんな佐倉に近づく、愛崎署の資料分室に巣食う宇崎という男。かっての生安銃器薬物対策係係長。ある事件で犯人と壮絶な銃撃戦となり、その際、大量のガソリンによる爆発事故に巻き込まれた。半身不随の電動車椅子生活、顔を覆うマスクから除くケロイドの皮膚。スピーカーを通し、流れる声。事件をきっかけに家族を、そして何もかもをも失くした男。跡目と云う男に会え。宇崎から伝えられる佐倉。
昔のつながりで、情報屋のトシに跡目のことを尋ねた。あれはうだつがあがらない男ではない。うだつをあげない男だ。周囲から半端なヤクザと思われている男のことを憧れのヒーローのように語るトシ。
捜査に打ち込み、跡目に合うのを先延ばしにする佐倉。そんな佐倉に宇崎から電話がはいる。戸谷署へ行って中国人をひきとりに行って欲しい。街場のケンカの被害者であったその中国人は、実は跡目の義理の息子であった。思わぬかたちで跡目と出会う佐倉。そのとき事件を知らせる電話がはいった。瑞心学院中等部で生徒による銃の乱射事件が起こった。そして、そこで使われた拳銃も、やはり先のふたつの事件と同じマグダム銃であった。
合皮のヘビ皮のジャケットを着、髪を金色に染め、変装し、跡目とともに事件の捜査を行う佐倉。徐々に真相に近づき、そして最後に明かされた事実は・・・・・。

典型的な警察小説。警察という大きな組織の中で、組織の歯車として、這いつくばりながら一歩一歩捜査を進める。高邁な理想も野心もなく、疲れきり、しかし自らに課された義務のようにこつこつと。決して明るい未来や、結果があるわけではない。残るのはやるせない思いだけかもしれない。しかし、自分の信じる捜査を行う刑事たち。
明るい希望が持てないという点では、最近読み、まったく評価できなかった「スイッチを押すとき」(山田悠介)も同じであった。しかし、本作品が大きく違うのは、そこに共感があるという点。上層部の言うことは絶対の縦社会、逆らうこともなく鬱屈を抱えたまま、しかし自負を持ち捜査を続ける刑事たち。その姿は会社という組織のなかで、思うに任せぬ仕事をせざるを得ない、あるいは社会という枠のなかで自由に振舞うことなく生きていく大人たちに共感を呼び起こさせるものではないだろうか。
本作品は、あくまでもただの読み物である。しかし大人の観賞に耐えうる、共感できる悲哀がある。その点がこの作品を読ませる力となっている。


ただし、残念ながら消化しきれていない薬物、拳銃といった設定も残されており、そこがちょっと悔しい。ネットで調べてみたら、この作品、実は「ニューナンブ」「街角の犬」に続く、愛崎警察署という警察署を舞台にした作品のよう。同じ舞台で、主人公が変わって行く連作の形式。なるほど、そういう作品か。一冊だけでの評価を望む作品ではないのかもしれない。


蛇足:オチはまったくの警察小説です。