ニート

ニート

ニート

ニート絲山秋子(2005)☆☆★★★
※[913]、国内、現代、小説、短編集、文芸、文学


これをどう評価してよいか判らないというのが、正直な感想。レビューを書こうにも途方にくれてしまい、過去、同作家を自分がどう評価したか読み返してみた。ブログに感想をつけていてよかったと思った瞬間(笑)。
この1,2年でじわじわと話題になってきた作家、芥川賞受賞で一気に知名度があがったか、ということは置いておく。過去の感想を見ると、やはり評価の定まらない作家だった訳だ。玉石混交?いや、わかった、やっぱり女流作家は苦手かもしれない。あっけぴろげといえば聞こえがいいが(いや、よくないか?)あからさまな私生活。作品は虚構だと言うかもしれないが、この作家の書く、主人公である女性がどうしようもない男を甘やかすパターン、決して創作だけとは思えない。どこかしら、本人の生活に重なる部分があるはず。
個人的には「作家と作品は切り離して、作品だけで評価すべき」を標榜してきたが、最近悩む。その作家に期待するものがあればこそ、評価するというケースが、最近多い。
いや今回は作家の私生活はどうでもよいこと。単純に、この作家、またこのパターンかとがっかり。この作家の書く、ストーリーテリングの物語は好きかもしれない、しかし「文学作品」に近い、おそらく己の私生活の断片を投影した作品は、どうもつまらない。気概や希望が感じられない。そういうことを書くことこそが文学ならば、やはりぼくは「物語」や「小説」が好きだと居直ろう。


ニート
以前、私がまだ貧乏で、懸賞小説に応募し、ニートをしていたころ、安くて小汚い飲み屋で知り合った同じニートのキミの窮乏をある日知った。キミは、相変わらずのニートで、ひきこもって、夢を持つでもなく、何をするでもなく、そして、施されることを厭うプライドだけを持っている。そんなキミは借金に困っており、また食費にもことかく状態。とりあえず、作家として本を出版し、ニートから抜け出した私は、キミにお金を貸すことを決めた。4ケ月分ほどの生活費。
キミを理解できるのは私だけだ。恋とは違う、しかし、私がキミを守ってやる。私はそう覚悟を決めた。
※実は本文で理解、解釈できなかった一文がある。「キミに金を貸すことを決めた瞬間、私も街金のドアの前に立っていたのだ」それはつまり、自分の稿料ではなく、借金してまで貸したということ?そうすると、ニートのキミに貸すために、自らが借金を背負ったという構図になり、作品の解釈が変わってくるのだが。このあとの「2+1」には、そんな描写も見られないし。


ベル・エポック
作品では触れられてないがタイトルのベル・エポックという言葉は、フランス語で“よき時代”を意味する。具体的にはパリにアールヌーヴォー芸術が花開き、文化的な気運に満ちていた20世紀初頭の時代を指す。もっとも、作品的には”よき時代”程度の意味合いで使われていると思われる


半年前、突然婚約者を失ったみちかちゃん。私たちは池袋の英会話スクールで知り合った。そんなみちかちゃんが田舎に帰るための引越しを、手伝いに来た私。東武野田線の七里駅に私を迎えに来たみちかちゃんは、ベル・エポックという店名のはいった袋を持っていた。引越しの手伝いをし、他愛ない話をして過ごした。そして、私は彼女が言わなかった、ささやかな秘密を知ってしまった。青いワゴンの乗り去っていく彼女の姿に別離を意識するのだった・・。
※本書に収められた5つの作品のなかでは一番共感できた。そういうことって哀しいけれど、あるよね。


「2+1」
ニート」の続篇。主人公で作家の私とキミの物語。
ニート」でお金を貸した、キミ(読元(よみもと))は、一年で行き詰まっていた。東金をひきはらい、友人のつてで長野の岡谷の精密機器の工場で働き出したキミは、新しい住処でも以前と同じようにひきこもり、ライフラインさえ危機にさらされてしまった。
ワタシ(廻橋(めぐりばし))は、関係の冷え切った友人(音村(おとむら))とルームシェアする部屋に、キミを呼んでしまった。音村とふたりで住む部屋の、以前は開きっぱなしであったリビングへの引き戸は、このニケ月以上閉ざされている。
そんな部屋で過ごす私とキミの半月の生活。そしてキミは帰っていった。そして、また同居人も部屋を出ることを決めた。
※「ベルエポック」を間に挟んでの、「ニート」の続篇?それとも「ベルエ・ポック」と引き続く三つの連作?少なくくとも「ニート」と「2+1」は連作、作品の並び方の意味がよくわからない。何があるわけでもない、非日常的な、でも、それでも日常。


「へたれ」
本当に”へたれ”な男の話。これをどういう風に評価したらいいのだろう。
大阪に住む、眼科医の松岡さんと遠距離恋愛をするホテル勤めの僕。珍しく年末年始に休みがとれ、松岡さんの住む大阪に向かう。しかし、途中、生まれ育った名古屋で途中下車。僕を育ててくれた母の従姉妹である笙子さんが住んでいる。きっと、急に帰っても許してくれる。
※わからない訳じゃないないんだけれど、というのが率直な感想。松岡さんと遠距離恋愛をする間に、松岡さんに内緒にしていた妻は出ていった、そのことを松岡さんに率直話す僕と、それを許す松岡さん。でも、そんな松岡さんのもとに行くことさえ息苦しくなって、思わず育ての親のもとへ向かってしまう僕。めちゃめちゃヘタレな男。まったく「文学」だ。


「愛なんかいらねー」
※スカトロは好みじゃない。物語の中で必然があれば、許さないわけでないけれど、これはそれが書きたかっただけ?。それを書くことで、一般的な世間の規範から外れていく、堕ちていく、そういうことを書きたかったのかもしれないが、安易。なんかなぁとがっかりした。あらすじを書くことさえ、したくない。


唯一共感できた「ベル・エポック」を除くと、すべてヘタレ男の話ばかり。流行りの言葉で言えば「だめんず」?。評価する気がしない。


追記:「愛なんかいらねー」はネットでも、評価厳しいよう。この作品がこの本に収められた理由ですが、個人的には「私はこんなものも本当は書きたいんだぁ!」という意志表明では?とちょっと思いました。何を書くのも作家の自由ですが、読み手の期待と違う場合、どうなるのでしょうね。(2006.02.25)