一週間のしごと

一週間のしごと (ミステリ・フロンティア)

一週間のしごと (ミステリ・フロンティア)

「一週間のしごと」永嶋恵美(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、青春


悪徳小説自体は決して嫌いではない。それは、悪意を前提に読むから。しかし、そうでない作品で人の悪意を如実に描かれると、ちょっとなぁと思う。高校生を主人公にした青春小説を期待して読んだら、なんだかとんでもないところに連れて行かれた。
別の高校に進んだ幼馴染の女の子が持ち込んだトラブルに主人公が巻き込まれ、同じ高校の友人の力を借りて解決するといったドラマを期待すると裏切られる。手ひどく裏切られる。にこやかに笑う人間の笑顔の裏側に隠された本当の顔、悪意とか暴力とかそういうもの。ほろ苦い青春小説、いや”青春”は不要、ほろ苦い小説。終盤から明らかにされる真実。それは信じていたものが徐々に崩壊する様。最後にどんでん返しがあり、明るい大団円で終わるなら救われる作品なのだが、そうではない。正義は行われる。しかし、あとに残るのは苦いあと味だけ。こういう小説をぼくは好まない。


進んだ高校は違うが幼馴染の女の子、マンションの隣に住む菜加が男の子を拾ってきた。昔から、拾い癖があり、犬や猫、アルマジロ、処分に困るようなものばかり拾ってくる。そんな彼女の後始末にいつも借り出される、恭平。しかし、どうして人間の子供なんて拾ってこれるんだ?


幼馴染が拾ってきた子供を巡るトラブルに、幼馴染の弟と一緒に巻き込まれる主人公。主人公と同じ高校の頼れる友人をも巻き込んで、。そしてトラブルはトラブルを呼ぶ。物語は一週間、そう一週間のしごと、七日間の物語。土曜日からはじまる七章と、最終章の計八章からなる。
日曜日、月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日と進み、最終章は土曜日。事件は解決されるが、なんともやりきれない苦味が残る。いまどきの若者の物語、なのか。


ある土曜、友人と映画を見る予定で出かけた渋谷。友人の都合で、映画は次回へ、ひとり渋谷の町を歩く菜加は、ある光景に出くわした。大声で若い母親に叱られ、ひとり置いていかれる男の子。幼稚園?小学生?男の子のもとへ駆けつけたが、すでに母親の姿は雑踏のなかに消えていった。小さい男の子をひとりにしておくわけにもいかず、かといって大嫌いな警官に預けるつもりもなく、電車を乗り継いで一緒に少年の家までついて行く菜加。辿り着いたのは「土肥」という表札の足の踏み場もないほどモノが散乱したアパートの一室。男の子の母親は最近の「片づけられない女性」か。冷蔵庫にも何もない。こんな部屋に男の子を一人残してはおけない、昔から小さいモノ、傷ついたモノを見ると見捨ててはおけず、拾ってきてしまう菜加は、男の子を家に連れ帰ることにした。とっばちりを受けたのが、菜加の中学生の弟、克己。そして隣に住む、幼なじみの恭平。
恭平は父親を交通事故で亡くし、母子家庭。経済面を考え、中高一貫の高校に、高校から入学。恭平の進んだ学校では、いわゆる外部進学の生徒は、学校の箔つけのための生徒。内部進学者と偏差値で20は違い、この学校から有名大学に進学してもらい、学校の名前を売ってもらうための客寄せパンダ。それが故に、奨学生になれば学校生活のほとんどの費用を学校がもってくれる。その代わり、成績に対するプレッシャーは厳しい。翌週から控えた定期テストの勉強をしている恭平のもとに、隣家の克己がやってきた。「お姉ちゃんが呼んでいる」。
幼馴染みといえ、ある年齢を過ぎ高校も変われば交流も少なくなる、そんな菜加が呼んでいる、イヤな予感。またトラブルか。案の定、菜加はトラブルに巻き込まれていた。前日拾った男の子の部屋で、集団自殺があり、母親も死んでしまった模様。菜加が、部屋を出る際メモも残さずに来たから、これは立派な未成年者略取、つまり誘拐では・・。あちゃぁ。こうして恭平をも巻き込んで、拾った少年を無事保護者、少年の祖父母に帰す作戦が開始された。恭平と同じ高校の、同じ外部入学者、そして要領よく立ち回るノブこと忍も引きずり込んで、。トラブルは別のトラブルに繋がり・・。


ライトノベルと云われる分野の小説でどうにかして欲しいと思うことのひとつに、一般普遍的なことが押さえ切れていないのに、自分の得意分野だけは詳細に描くということがある。そういうトコロが同じ趣味を持つ読者をしてニヤリとさせる効果があるのは認める。しかし効果のみを期待しても、本筋の部分ができていなければ、それも意味がない。リアリティーを持たせるための小道具をオモチャに貼り付けてもオモチャはオモチャ、ホンモノにはほど遠い。いや、かえってちぐはぐさが目立ってくる。
本作品でも、小道具の描写だけは妙に細かく描かれる。主人公の学校のシステム、規則、携帯電話のGPS機能、あるいはパソコン、キャラクター商品..etc。ところが肝心の本筋の物語が中途半端な絵空事、信憑性がなさすぎる。それはネットで他の方も指摘していたこと。まだ「おはなし」になればよかったのだと思う。しかし「おはなし」にすらなっていないと、ぼくは感じた。やはり拾ってきた人の子供と、未来の展望も持たないまま何日にも一緒に生活するという物語の不自然さは気にかかる。家に住むのが、高校生と中学生の姉弟という設定だとしても、あるいは幼馴染の女の子が警察を苦手とすると云う設定だしても、この無闇にリアリティー溢れる小道具たちのなかで、迷子の子供を何日も引き連れまわしているのはいかがなもの?主人公が常識溢れる青年であればこそ、この作品の荒唐無稽な本筋に違和感を覚える。
子供を、その子の祖父母に預けるために遠く離れた水戸へ赴く行動、普通はまず事前に電話などをして、確認してから行動するだろう。とくにああいうオチで、訪問の失敗を描くなら。あるいは子供の母親が事件に巻き込まれたなら、その両親(祖父母)とて警察に呼ばれ確認のため現場を訪れ、つまり自宅を離れている可能性が高いはずだ。読者が簡単に気づく、そうした「普通」の部分に、ご都合主義的なリアリティーの欠如が目立つ。小道具のほうににリアリティーを持たせすぎたため、却って、本来あるべき「普通」のリアリティーの欠如がおそろしく気になる。ユーモア小説よろしく「おはなし」となっていればよかった。しかし、この作品で描く真実は現実にこの世界にある悪意。この作品がそれを描くつもりの小説なら、やはりリアリティーある物語にするべきだとぼくは思う。


尤も、この作品を充分おはなしとしておもしろく感じる人もいる。感じ方は人それぞれ。最終的な判断は自分の目で確かめ、くだして欲しい。他人に読むことをオススメはしないが、読むなとも言わない。あるいは他の方の意見も、聞きたく思う。


蛇足:どうしても理解できないのは、忍が恭平を友人にしていた理由。事件と関係なく、忍は恭平と友人であった。その理由が少しでも書かれたなら、もしかしたら、もう少し違う話、あるいは終わり方になったのではないか。そんな気がする。しかし、作家はそこに至らなかった。残念なことに。
蛇足2:幼馴染の困った女の子に振り回されるというパターンなら、ほんのり色恋沙汰があって欲しい。”青春”物語としてわかりやすい王道。尤も、恭平と忍の”やおい”にならなかっただけまマシと思うべき。表紙はそんな印象も与えかねない。一歩間違えたら、そうなっていてもおかしくはない、悪意ある小説・・。
蛇足3:上記で触れ損なったが、作中の誰にも感情移入できず、共感できなかった。現代の若者の生活、世界を描いただけ。成長や希望が何もないのも、ぼくが認めない大きな理由。