ぼくらはみんな、ここにいる

ぼくらはみんな、ここにいる

ぼくらはみんな、ここにいる

「ぼくらはみんな、ここにいる」大石英司(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、小説、現代、中世、if、中学生


※ネタバレあり!未読者は注意!(正直、未読者は読まないでほしい)


ぼく自身、なんの予断もなく読み始めた本作品。物語は唐突に、羽田空港で子供連れの男性が先生と呼ぶ人物に電話をかける場面から始まる。男性の連れた子供が、空港で丁度飛行機に搭乗しようとする少年少女の集団のなかにいたひとりの少女に向かい、ママだと叫ぶ。いったい、この物語はどう進むのか?


[ネタバレについて]
神はサイコロを振らない」がTVドラマ化され、話題の大石英司氏の作品。実は、このレビューを書く際、この作品の根元の設定、それをネタバレとして書くかどうかかなり迷った。敢えて本のオビにもそこは触れておらず、またネットの書店における紹介でもほとんどの店舗で、敢えて記載されていない。作家のブログを覗いてみても、敢えてそこに触れていないことを仄めかす。目論見は充分理解できる、確かにそこを知らずにこの作品を読んだときの驚きは、僕自身がなんの予断もなく読み始めたが故に感じたこと。しかしその部分を書かずしては感想が書けない。ならば感想を書くことが目的であるこのレビューにおいては、忸怩たる思いを込めて敢えて書くことを決めた。



[ネタバレ]
本作品は、光が丘中学の吹奏楽部の部員30人が合宿にいった神主島で、島ごとタイムスリップして400年前の世界で生活することを余儀なくさせられるという物語。
このタイムスリップという部分が本作品の主題であるのだが、正直書くことを躊躇した。ここに至る驚きこそ、この本を読むことの最大の楽しみであり、それを損なうことは同じ本読み人として避けたいこと。ここまで読んでいる方は本作品を読んだ方だと信じ、筆を進める。尤も、冒頭で読まないでほしいと断っているにも関わらず読み進める未読者のために、これ以上のネタバレはできるだけ避ける方針でいきたい。


正直、設定とその運びは巧いと思う。中学の吹奏楽部の部員とともにタイムスリップする人間に元自衛隊の人間をいれたり、また以前から予定されたタイムスリップに、万全の準備をして臨む保養所の管理人夫婦。とくに元自衛隊の二人が、具体的に数値をあげて説明する内容が、自衛隊という専門家の設定故に合理的で、納得させられる。これが、ごく普通の大人が急に数字を挙げ出したら、とても嘘臭く感じられるだろう。なぜならば、人ひとりが一年間にどれだけ食べて、あるいは栄養学的にどうこうなんて、よほど志を持った人間でなければとてもリアルな数字なんて想像できない。思いつきや、いい加減な数字なら別だが。そうした周到に用意された設定が故に、400年前、丁度、島原の乱の年代にタイムスリップした少年少女たちは、それらの面々の指導と用意された物資により特別な混乱もなく島での生活を行うことができ、また読者として破綻を感じない、納得のゆく物語が進む。しかし反面、普通に読者が期待する孤島生活における苦労はほとんどない。作家は、従来の孤島小説のような苦労譚を描くつもりはなく、どちらかというとこの設定を楽しみたかっただけのかもしれない。
章立ては全十章、全て音楽の曲名、おそらく吹奏楽?。幾つかのネットの感想でも、この吹奏楽に焦点を絞ったものを見かけた。懐かしい、と。最近読んだ「北緯四十三度の神話」でもそうだが、音楽、あるいは映画、書物をアクセントあるいはモチーフにした作品は、その取り上げられた素材を知っているかどうかで、作品に対する印象が大きく変わる。本作品で章題となった楽曲は、おそらくぼくも聴いたことがあるはず曲なのだろうが、題名からその曲を思い浮かべることができず、ちょっと残念。吹奏楽を嗜んだ読者にとっては、感慨深いのだろう。


読後感は、うまくまとめた作品だなと思うもののワクワク感やドキドキ感はない。正直、ぼくとしては期待はずれに終わった。読者として同化すべき主人公がなく、また共に苦労する事件がないためだ。
400年前にタイムスリップした30人の中学生、それを指導する管理人、元自衛隊のボランティア、先生、学生ボランティアといった大人たちの群像譚。しかし、そこには調和はあるものの目立った葛藤や争いはない。現代から持ってきた文明も、風力発電などの自家発電を使用してとくに問題もなくそのまま使える。CDやDVD、パソコンまで400年前の世界で問題なく使ってしまうというのはいかがなものだろう?感染症をキーワードにして、孤島の生活は基本的に外に広がることもない。400年前の世界と同じ時代にありつつ、隔絶された世界。もちろん、まったく交流がないわけではないのだが、それは物語世界の破綻がない程度に巧く書かれている。結果として、温室のように安全な閉ざされた世界のなかでの冒険譚で終わった。いや、冒険譚ではない。準備万端に用意されたこの島での生活を、400年後の現代に繋げるために破綻なく営まれる物語。淡々と敷かれたレールの上を、脱線することなく進むことを目指し、またその通りに進む。人の死、あるいは新たな生の誕生といった物語も用意されているが、それらはすべて予定された未来に繋がるためのエピソード、正直読者として驚きや感動はない。
ひとつの書物として、破綻なく巧くまとまっており、巧い小説だと思う。
しかし、読者としてのぼくは、この設定を生かすなら、予定調和の隔絶された世界に閉ざされた人間たちが、その感情をぶつけあい、あるいは理解しあう物語を期待したい。物理的な冒険譚でないのなら、せめて人間ドラマを描いて欲しかった。いくつかの小さいエピソードは別としても、大きく人々が憎しみ合ったり、あるいは派閥を作ったりすることもなく、最後までひとつの大きな人間集団であったということは、どうしてもこの作品を弱いものにしているように感じられてならなかった。


以前から、運命は自分で切り拓くもの、あるいは自分で掴み取るもの、こういう物語をぼくは好きだと述べてきている。そういう観点からすると、この作品はぼくのオススメではない。しかし、一方で決して悪い作品ではなく、安心して読める物語であることは間違いない。手堅い作品を読みたい、そういうときにはいい一冊なのかもしればい。


蛇足:とはいえ、世田谷の中学校の吹奏楽部の生徒が、羽田から飛行機に乗って、さらに船に乗って九州の孤島に合宿に行くという設定は、どうなのだろうか?かねてから行き慣れた合宿先というならともかく、初めて行く先にしたは遠すぎるし、費用もかかりすぎる。さらに、天候次第で島から本土に戻れないとか、楽器に潮風は悪いなんていう条件は、最初の段階でちょっと無理ではないかと正直感じた。また、40人近い人間が島で一緒に生活しているはずなのだが、それほどの人間がいるとは感じられないところも、ちょっと設定との齟齬を感じる部分。