ライト・グッドバイ

ライト・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリワールド)

ライト・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリワールド)

「ライト・グッドバイ」東直己(2005)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、ハードボイルド、札幌、ススキノ、ススキノ探偵シリーズ


「ま、結局、・・・・ライト・グッドバイ、ってとこだな」
「ライト?Lか。Rか」
「・・・・日本人は、その区別ができねぇんだよ」


チャンドラーの「ロング・グッドバイ」(長いお別れ)へのオマージュとして、矢作俊彦は[長い]でなく、[間違った、誤った]という意味での「ロング・グッドバイ(The Wrong googbye)」を上梓した。東直己は、さらにそれに呼応するかのように本作「ライト・グッドバイ」を上梓(本当か?)。しかし、東直己は敢えて「ライト」の意味をぼかした。日本人はその区別ができねぇんだよ・・。判断は読者に任された。
ススキノ探偵シリーズ、名無しの俺を主人公とする間違うことなきハード・ボイルドの最新作。
いや、しかしススキノ探偵シリーズの主人公<俺>も年齢(とし)とったなぁ、とつくづく思わされる。勿論、作家は狙っている。<俺>も、もう50が目の前、酒に弱くなり、オヤジギャグを飛ばす。いつまでも若くない。しかし、やはり<俺>は幾つになっても<俺>、きっと妙に偏屈なじじいになっても<俺>なんだろうなぁ。いつまでも続いて欲しいような、欲しくないような・・。


北海道警察の腐敗の追求をテーマにし続けた東直己も、とりあえず一段落か。いやそれは「義八郎商店街」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/2821882.html ]、あるいは「スタンレーの犬」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/23087078.html ]で充分感じていた。しかし、久方ぶりの北海道を舞台にした、そしてぼくらが待ち望んでいたいつものシリーズだけに、少しだけ辟易しつつも、本音は期待していた。だが昔馴染みの元刑事には、相変らず「裏金作り」と道警へのイヤミを連発はするが、今回の作品は道警の腐敗の追及ではなかった。それどころか、間接的には道警へ協力さえするのだから驚いた。いや、それは<俺>にとっての<正義>であり、信条に従った行為。金はないと言い切る昔馴染みの元刑事の依頼で、胸底の悪くなる金にもならない仕事を嫌々こなし全うする。最後に辿り着く真実は予期された通りのものであったが、唾棄すべき事実。華やかでなく、最後はまさにフロックのように結末に辿り着くのだが、そのとき彼らの胸に去来する想いは何だったのだろう。
ハードボイルドと言い切るには、少し軽めの作品かもしれない。しかし、これは間違うこなきハードボイルド。郷愁と哀切、そして等身大。いい意味でネオハードボイルドという言葉を使って賞賛したい。ぼくが薦めなくても、この本のよさがわかる人は、たぶん手に取るのだろう。裏切られはしなかった、とだけ述べるのが正解か。
もっとも従来のシリーズの少し複雑な構成と比べると、今回はひとつの道筋に沿った小説であり、巨悪も出てこなければ、新たな陰謀につながるわけでもない。そのあたりはちょっと違うと断っておこう。


昔馴染みの退職刑事、天下りをすることなく年金生活を送る種谷から突然メールが送られてきた。大学からの友人でミニFMのDJをしながらレストラン・バー店を経営し、何度か命を助けてもらっている空手の達人高田に譲ってもらったパソコン。<俺>はケータイは嫌いだが、パソコンのメールは便利でいいと思っている。昇進試験を受けずに、巡査部長、平刑事で定年退職し、今はしなびた偏屈な無職老人となった種谷が会いたいと言ってきた。
種谷は<俺>にある事件の容疑者と親友になれと頼んできた。一昨年の春、行方不明になった女子高生、邑隅エリカの事件。<俺>も珍しい名字だったので覚えていた。バイト先の花屋に向かうというのを最後に姿を消した邑隅エリカ。当初から疑われた花屋の店主は身の潔白を主張し、そしてマスコミはこの事件を取り上げなくなっていた。種谷はその事件について協力して欲しいという。花屋の店主が殺った(やった)に決っている、そう睨んでいる。しかし、死体もなければ、何の証拠もない。証拠がなければ、警察は動くことができない。容疑者の両親がアカ崩れで、妙に法律に精通しており、家宅捜査さえできていない。医者を営む父親と、母親に甘やかされ育てられた中年男、檜垣紅比古。そいつが、最近<俺>の行きつけのバー<ケラー>に足繁く通っている。そこでそいつと友人になり、うまくそいつの家に入り込み、警察の人間が中にはいれるようにして欲しい。「なぜ俺が、裏金警察の手先にならなきゃならないんだ」「正義を実現するんだ」「頼む。強制してるわけじゃばい。あんたの好意に縋りたい」
久方ぶりに<ケラー>に出勤した<俺>の横にそいつが座った。店に貼ってあるキャパの少女を撮った写真が気に入っているようだ。写真をネタに話し出す檜垣。たるんだ口をぼんやり開け、喋ると舌先がウニョウニョと小刻みに動き、軽薄な薀蓄話を語る。心の底では嫌悪してやまないが、表面では調子を合わせる<俺>に気をよくしたのか、檜垣は<俺>に名刺を寄越した。名刺には「小椋良一」と言う名があった。ま、そうだな。あんな事件があれば名前も変えるな。<俺>も酒井という名と、会社をリストラされたと騙ってやった。何でも知っているような顔をして語り、さらに下品で猥褻な話を好む檜垣にうんざりしている<俺>の気持ちも気づかず、友人と呼べる人間がいないので友人になって欲しい、ぜひこれからも一緒に飲んで欲しいと<俺>に懐く檜垣。パソコンには、檜垣からの、いい年齢(とし)をした男が打つとは思えない絵文字入りの粘着質なメールが、続けざまに届く。すべては目論みどおりなのだが、何故<俺>は自分で金を払って不味い酒を飲まなきゃいけないんだ。
檜垣と飲む夜が続いたそんなある日、檜垣が<俺>を自宅に招こうとした。これでお役御免か。警察への連絡方法を考えながら、辿り着いた檜垣の家で<俺>を待ち受けていたのは、檜垣の母親だった。40を過ぎた息子を、ちゃん付けで呼ぶ彼女は、<俺>を散々罵倒したあげく<俺>の胸に<俺>の吸っていたタバコを押し付けた。
出直すことを決めた<俺>だが、ふと家の中から漂うイヤな臭いに、いきなり吐いてしまいそうな気分になった。
そして、再度、計画を練り直し、昔なじみの友人たちの協力を得、<俺>がたてた計画にのせられた檜垣。最後に<俺>たちが辿り着く真実は・・。


うらぶれたサラリーマンが、ハードボイルド小説に憧れるという典型的なパターンであるのが、なんとも哀しいのだが、結局ぼくは東直己の作品が好きなんだな。
次作は、同じ北海道を舞台にした畝原のシリーズを期待したい。前作のあの状況から立ち直った人々の姿を、是非読みたいと心から思う。あの深い心の傷が癒えて、大人の恋を演じる姿を是非見たい。

蛇足:とはいえ本作品で、<俺>に送られるメールの頓珍漢な誤変換は何とかならないものか?幾らなんでも酷すぎる。送る方だって、送信する前に見直すだろう・・。ちょっと、いただけなかった。
蛇足2:この後には、同じ東直己の「英雄先生」が控えている。島根の私立高校教師を主人公にした作品。ユーモア・エンターテイメントととあるが・・?まさか「義八郎商店街」じゃないだろうな!(苦笑)