金春屋ゴメス

金春屋ゴメス

金春屋ゴメス

「金春屋ゴメス」西條奈加(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、近未来、小説、ファンタジー、江戸、疫病、第十七回日本ファンタジーノベル大賞


「不遇の文学賞」と勝手に名付け愛してやまない日本ファンタジーノベル大賞の最新受賞作。この賞の相変わらずの懐の深さを思い知った。いや、確かに”江戸”という架空世界をきちんと構築し、描ききったという点で、トールキンがその書で語った正統なファンタジー。しかし一見すると時代小説。まさしく”江戸”を舞台にした物語。もっとも、地球の裏側に行くより月に行くほうが早いという時代に於ける独立国”江戸”であり、決して江戸時代の江戸ではない。構築した別世界、隔離された箱庭としての”江戸”を舞台にしたファンタジーという観点で言えば、及第。作品世界を破綻することなく物語を描ききった。
しかしある文学賞の”大賞作品”として見た場合、ちょっとこじんまりしているという感は否めない。悪いというわけではない。しかし残念なことに、唸らせるほどの出来ではない。ファンタジーノベル大賞、大作たれと言うつもりではない。作品のスケールとは関係なく、読み手を唸らせる何かがもう少し欲しいというところ。この作品の場合、緻密さとか、驚きとか、そういうものが少し不足しているように思われる。作品自体が悪いというワケでない。”日本ファンタジーノベル大賞”という冠がなければ、ちょっとおもしろい作品として充分オススメの一冊、読んで損はない。しかしちょっと期待はずれ。


月に人が住み、地球の裏側に行くより、月に行くほうが早いと評判の時代の話。
ある朝、大学生の佐藤辰次郎がモニターをつけると、七三分けの黒縁メガネの男が現われ、江戸への入国が許可されました、おめでとうございますと告げられた。
江戸は鎖国制度を敷いている、三十年ほど前に日本のなかにできた独立国家。北関東と東北にまたがる一万平方キロメートルほどの領土に十九世紀初頭の江戸を忠実に再現され、元首は「徳永」を名乗る「将軍」で現在は三代目。江戸国の前身は二十一世紀初頭、ある実業家がはじめた老人タウン。趣味と実益を兼ね巨費を投じ江戸を再現した街並を造り始め、そして幾人かの素封家がこれに賛同し、一気に大がかりなものになった。江戸は当初の目的の年寄りばかりでなく、江戸情緒に惹かれる若者や、自然に根ざした生活を求めるナチュラリストたちが大勢移り住み、そしてある日、江戸を創設した実業家が自ら初代将軍を名乗り、独立を宣言した。専制君主鎖国の二点から、国際的にはその独立は認められていないが、日本の属領扱いで存在している。
現在の江戸は、日本との出入国を同数としているため、新規入国者はかなり制限され入国希望の倍率は宝くじ的な倍率だという。そうした中での突然の入国通知だった。日本での生活用品は一切持ち込めない。入国ゲートでは洋服から、着物の着替えてもらわなければいけない。とくに合成物質は厳禁。入国応募条件はウィルスチェックのみ。数十種類のウィルスに関しオールフリーの証明書のみ必要、ウィルスの持込には神経をとがらせている。
実は辰次郎は昔、江戸に住んでいた。幼い頃、両親とともにある事情で江戸を出た。つい最近病床の父から聞かされたが、その出国の事情は教えてもらえなかった。
そしていよいよ入国の日。千石船といえば聞こえはいいが、厚みのない二十メートルほどのエンジンもない一本帆に乗せられた辰次郎。同じ船で入国するのは世界中を旅してまわったという奈美という若い女性と、時代劇マニアの松吉。船のなかでそれぞれの江戸での落ち着き先を話していると、辰次郎の行くさきが裏金春と聞き水夫たちの顔がみるみるうちに曇った。「あそこにはゴメス大明神がいる」「神様というと魔除けだな」口を濁す水夫たち。
いよいよ、江戸に入国した辰次郎に待っていたのは・・?
裏金春とはゴメス大明神とは?そして、疫病騒ぎと、その解決の鍵を握る辰次郎の記憶とは・・?


いい意味でよくまとまっている作品。ただ、冒頭にも書いたとおり、もう少しが欲しい。たとえばタイトルが目を惹く、”金春屋ゴメス”。その正体が、え、それだけ?なのだ。読み手が持つ期待に対して完璧に肩すかし。確かに奇怪な風体と表現はされているのだが、それが本当にこの作品に必要だったとは思えない。行う行動も至極普通。非情でならすと書かれてはいるが、それほどの非情さも感じられない。暴れ馬を愛馬とするエピソードも、ちぐはぐさはないのだが、なぜかそれほどのインパクトを与えない。
”金春屋”だけでも?なのに、さらに”ゴメス”までつけば、読み手は大きな興味を惹かれ、期待をする。作品でも冒頭ではその正体をすぐには明かさない、そして登場。結局、そこまで。最後に大どんでん返しがあるのかと思ったがそれもない。勿体なく、そして物足りない。
あるいは物語を進める上で重要な鍵となる疫病事件についても、その真相は犯人の回想で明かされる。え?謎解きはおまけ?あるいは江戸という街の設定、そうした作品の細かなそれぞれがけっしてちぐはぐさはなくぴったりうまく嵌る。しかし、嵌りすぎというのか、広がりに欠ける。こじんまりまとまった作品としか言えない。
そう考えてみるとこの作品が描きたかったものって何だったのだろうと、改めて疑問に思えてくる。近未来、月まで簡単に行くことの可能な時代に於いて、江戸時代と同じような”江戸”という、”自然”に近い(現代の便利な生活に対して)不便な生活を”敢えて”選ぶこと、やはりこれがテーマなのだろうか。時間さえ季節によってその長さが変わり、仕事とプライベートの時間もあいまい、義理と人情の世界、むかしの日本にあったいわゆる”いいところ”を、声高によしと訴えるのではなく心に静かに染み込むように書くこと、それがこの作品の狙いなのかもしれない。
そういう生き方もあるよね。
物語の最後にこの”江戸”が”江戸”たる、つまり日本において独立できた理由が触れられている。そしてそれは選ばざるをえない状況のなかで、選ばれた結果。そしてその”江戸”に憧れ、江戸を目指す人々、便利な生活を投げ打って高い倍率に敢えて申し込み入国する人々。現代のわれわれの尺度では決して測りきれない理(ことわり)の世界を敢えて選ぶこと。そういう人の生活もあるのだ。


蛇足:近未来、日本という同じ地平にできた別国、その入国倍率は天文学的。あれ?ちょっと「シャングリ・ラ」(池永永一)[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/27714326.html ]に設定が似ている?そういえばゴメスも、その設定が「シャングリ・ラ」のだれかに似ているような・・。
蛇足2:本作品世界、その設定はしっかりしている。あるいは登場人物も。続篇があってもいい、というか期待したい。