カポネ

カポネ

カポネ

「カポネ」佐藤賢一(2005)☆☆☆★★
※[913]、現代(近代)、小説、アメリカ、禁酒法アル・カポネ、エリオット・ネス、アンタッチャブル


※詳細なあらすじあり、未読者は注意!(550ページの小説をあらすじで書ききることできませんが・・)


佐藤賢一といえばやはり「傭兵ピエール」。ピエールという怪人とジャンヌ・ダルクの出会いと、ピエールの破天荒な人生を心から楽しんだ。歴史上の人物を題材に、よく知られた史実と虚構を織り交ぜ描くスタイルが特徴の佐藤賢一が今回とりあげたのは禁酒法時代の悪の象徴、スカーフェイスがトレードマークのギャングのボス、アル・カポネ。さてさてどういう風に料理してくれるか、期待して読んだ。
正直言えば、ちょっと期待しすぎたか。久しぶりの佐藤賢一だったが、彼はこんな作家、スタイルだったっけ?章毎にめまぐるしく変わるエピソード、事実の積み重ねで人物を描いていく、しかし残念なことに内面があまり見えない。アル・カポネは何を考え、何を感じ、そして何をしたかったのか。
とはいえ、アル・カポネの内面を描いてないのは仕方ない。なぜならばこの作品、外から見たアル・カポネを描いた作品だから。作家の狙いはそこにある。ちょっと突き放したようにカポネを客観的に観察できる位置に描いた。故に読み間違えをしたぼくという読み手の期待の方向が間違っていた。これから本書を読まんとする方はを、そこの部分の軌道を修正しておいたほうがよい。カポネという人物を、自分という基準で判断して欲しい。


作品の構成は大きく二部立て、そしてプロローグ、エピローグに分かれる。
プロローグを含む第一部は若きアル・カポネが、地元ギャングのボス、ジョニー・トリオに見込まれ、組織に入り、そしてだんだんとのしあがってエピソード。最後はシカゴ、ニューヨークをまたにかけたギャングの大ボスになって行く姿を描く。
第二部は、そのカポネを追う、正義の担い手を自認するエリオット・ネスの姿、そしてまたネスが自ら属しながら、その進む方向にあいいれない組織としてカポネを追う連邦禁酒局の姿を描く。そしてその彼らの姿を通し、カポネの様子を描く。
そしてエピローグ、これもある意味プロローグと第一部がカポネ自身を描いたことに呼応するように、第二部と同様に、カポネ自身の姿を描くのでなく、カポネの妹マファルダの姿を描くことでカポネを描く。カポネは悪だったのかもしれない、しかしカポネは、カポネを知る人々の心のなかには生きている。カポネが実践したカンパニリスモ、仲間を想う気持ちは本当に悪といえるものだったのか。


<プロローグ>
ニューヨーク、ブルックリン。地元ギャングのボスであるジョニー・トリオは街で、ひとりの少年が指揮する喧嘩の様子を見かけた。アイルランド系の若者といっても、身体はもう立派な男たち12人以上に喧嘩を売っているのは、イタリア系の少年五、六人。少年たちを指揮しているのはそのなかでも年少の少年、実の兄貴にさえ指揮をくだし、最終的に勝ちを収めたのはカポネ家の三番目か四番目の男の子アル・カポネ。しかし、ジョニーにとって一番大事に思えたのは、決して仲間を見捨てないその気概だった。
<第一部>
十八歳になるアル・カポネは、店の金に手をつけないというジョニー・トリオの試験に合格し、ジョニーに紹介されたハーヴァードインの人気バーテンダーとなっていた。そんなある夜、店に客としてきていたひとりの女性を侮辱したことより、その兄にナイフで切りつけられる羽目に。イタリア人にとって、家族は絶対のもの、いけないと思ったときには遅かった。後にスカーフェイスの異名を持つカポネの顔の傷はこの時つけられたものだ。復讐を誓うカポネの執拗な動きは、相手をしてそれぞれのファミリィとファミリィの話し合いで決着をつけられることに。「あやまれ、アル」結果は、ひとの妹を侮辱したカポネが全面的に悪いということになった。納得できないカポネ、しかしイタリア人にとって家族の、そしてファミリィの決めたことは絶対。それがアメリカと云う新天地で虐げられてきたイタリア人にとってのお互いの助け合い、想い合いの精神カンパリニスモの根底にあるもの。店のボスで、兄貴分であるフランキーはカポネに語る。お前はちょっとしたミスをしただけだ。あんな小物は、その場で殺してしまうんだ。まだ人を殺すことを知らないカポネだった。
そんなカポネもある借金の取立て仕事のはずみで、人をその手で殺めてしまう。殺人を犯したことを、あるいは借金を回収できなかったことを咎められると思った彼にフランキーからかけられた言葉は、祝福の言葉だった。
そんなカポネであったが、ひとめぼれしたアイルランド系の女性「メェ」ことメアリーと結婚をすることで、裏家業から足を洗う決意をする。しかし、自分の家庭ひとつを営んでいくのも大変ななかで昔のボスであるフランキーが、父親の亡くなったカポネ家を援助してくれたことを聞くに及び、イタリアの血を忘れることができないことを悟るのであった。
ジョニーの命を受け、シカゴに居を移しファミリィのビジネスを大きくしていくカポネ。ときは天下の悪法と呼ばれた禁酒法の時代、己の才覚、汚職、他のファミリィとの抗争、そしてシカゴだけでなく、ニューヨークをもまたにかける大ボスとなったアル・カポネ
<第二部>
エリオット・ネスは頭を抱えていた。やっぱり大学院に行けばよかった。いつまでも学生でいるなんて、あまり格好よいものでない。実社会に果敢に飛び出せないようでは、いよいよ男らしくない。そう考えて調査会社に就職したものの、考えていたのとちょっと違った。身を粉にして働くのは厭うわけではないが、いまの仕事に生きがいを感じられない。また女性問題もひとつの頭の痛い問題だった。
義兄の助けを借りて転職した先は連邦政府の直属するシカゴ禁酒局。折りしもときは「聖ヴァレンタインの大虐殺」で、当局もアル・カポネの逮捕に本腰を入れ始めた時期だった。
街中でのアル・カポネの評判はとてもいいものだった。不況の風にあおられ失業の嵐となった街で、人々に無料でパンとスープを配る、スープキッチン。整然と並ぶ長蛇の列、そのスポンサーはエリオットがこれから立ち向かわなければならない最大の敵、アル・カポネだという。何もしてくれない連邦政府より、生きていくための食料を与えてくれるカポネのほうが立派だと、列に並ぶ人々は嘯く。第一、禁酒法なんてまともな法律じゃない。
派手でマスコミを呼びたて、その逮捕劇を人々に見せ誇示したいエリオットのやり方と、脱税という本来の検挙すべきカポネの犯罪でない理屈でカポネを逮捕しようとするジヨージ・ジョンソンゾン連邦検事を先頭にした当局のやり方にはあいいれない部分があった。アメリカとは?正義とは?建前を大上段に掲げ、あるべき姿でカポネを追いつめたいエリオットにとって、姑息な手段ともいえる、脱税をもってしてカポネを逮捕し、有罪にするというのは大衆から受け入れられないのではないか。マスコミを味方にして、大衆の支持を得てこその正義では。自らをアンタッチャブルと呼び、派手な摘発を次々と行うエリオット。
しかし、そのエリオットの活躍の陰に隠れるようにカポネは当局の地道な捜査によって脱税で逮捕された。綱渡りのような裁判。これでは勝てるはずがない、そうエリオットさえ思っていた裁判だったが・・。
すべてが終わった。勝利は当局ではなく、すべてウィルカーソン判事の一人勝ちだった。カポネは有罪となり、そして長い懲役を与えられた。もはやカポネは脅威ではなくなったのだ。
その後、禁酒法は廃案になり、エリオットは職を失った。なにもできなかった無能なジョンソンは出世しているのに・・。しかし、そんなエリオットにクリーブランドの公安局の局長の話が舞い込んできた。公安局長として、スタンドプレーに走るエリオット。そして、起こす事故。その後転落の道を転がるかのように落ちぶれていくエリオットが残したものは「アンタチャッブル」という、カポネを徹底的な悪者に描き、エリオット率いるアンタッチャブルの面々の活躍を描いた流行本。
<エピローグ>
天下の大ボス、アル・カポネに溺愛されたマファルダの店。TVドラマ「アンタッチャブル」のおかげで、アル・カポネは永遠の悪役だった。昔、アル兄さんに助けられた人々もあたかも、そのことを忘れたようにふるまう。そんなマファルダの店にひとりの男が現われた。アル・カポネのお蔭で私は医者になることができたのだ。貧乏な私にチャンスをくれたのはアメリカではなく、アル・カポネだった。
カポネの人生はパッション(受難)そのものだった、しかしカポネには困難に立ち向かうパッション(情熱)があった。
店中の人が集まり、そしてカポネの話を懐かしく語り始める。そうそう、あのときは・・。


550ページ強の長編。そこには作者の言葉は一切なく、エピソードの積み重ね。あくまでも判断は読者に委ねられた。ギャングのボスとしてアル・カポネが目指したものは、いったい何だったのだろう。権力や金?それとも自分を中心としたファミリィの絆、それは大きな意味での秩序?カポネが実践したカンパニリスモ、同胞意識は、イタリアの血にこだわっただけではない。実利をも踏まえたかもしれないが、仲間となった警官の子供の手術の金が必要なら、仕方ないと金を渡す。それは決して自分のためだけの打算ではなかったはず。いや、いったいどこまでが打算だったのか。決してカポネをよしと言うつもりはない、しかし佐藤賢一は自分の言葉ひとつ使わず、エピソードの積み重ねでカポネを魅力あふれる人物に描ききった。決して幸せと言えない最期を迎えたカポネであったが、ある人々にとってはいつまでも忘れられない人物。そしてここでぼくが書いた一抹の疑問をも読者に残して。やはり巧いのだろう、な。
対してアンタチャッブルで有名なエリオット・ネスの生涯も、あたかもカポネの人生と表裏を為すかのごとくこの作品は描かれる。正義を、アメリカを問いながら臨んだエリオットは果たして本当に正義の使者だったのか。地道に、姑息ともいえる手段でカポネを追いこんだ人々が成功していくことに、反するように堕ちていくエリオットの姿。それはエリオットが不運だったのか、はたまた自業自得だったのか。カポネを主題にした作品で、敢えてエリオットをも描くこの作品。
でも、エリオットはやはり自業自得だったのだろうな・・。最後に酒場の若者に諭されるエリオットの姿には侘しさを感じずにはいられない。謙虚さ、ときには必要だ。


残念ながらオススメの一冊とまでは言えない。しかし、読んで欲しい一冊。あなたはどんな感想を持たれましたか?