チョコレートコスモス

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チョコレートコスモス恩田陸(2006)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、演劇、ガラスの仮面、読み物


恩田陸という今をときめく作家、実はどうも合わない。何が悪いのか判らないのだが、読んだ幾つかの作品。最初は「このミス」で見かけた「月の裏側」だったと思う。どこかで読んだような印象。「ドミノ」、たまたま奥田英朗の「最悪」「邪魔」を読んだ後では、そっちに敵わないなぁ。「麦の海に沈む果実」・・むむむ、なんだろう?という感じ。もう無理かなぁと思っていた。たまたま、でこぽんさんのブログで『これは恩田版「ガラスの仮面」』の文字に惹かれて図書館に予約してみた。うわぁ、これは大当たり!。たまたま同時期によくお邪魔する本読み人たちの方々も読んでいられたようで、どのブログでも好評。これはおもしろい、久々に本当におもしろい読み物に出会えた。500ページ強の作品が、短く感じた。120ページ前後で、残り400ページしかないことが勿体なく思えた。そして読了。あぁ、おもしろかった。心震え、引き込まれた。でも残念ながら☆は四つ、その訳は後述する。


中堅の脚本家神谷、脚本の出だしが決まらず悩んでいた。今日も自宅では書けず、知り合いの事務所の片隅を借りて頭を悩ませていた。そんな神谷が窓の外をふと見かけ、目が離せなくなった一人の小柄で地味な少女。その少女は広場で厳しい観察眼で対象を定めると、その人間の傍に立ち、そのままの真似をする。最初に見たときはキャバク嬢の、そして今日は携帯電話をかける中年の女性。彼女はまさしくその対象そのものを見事に演じるのだった。
東響子21歳、家族が皆役者の芸能一家の娘。ものごころつくころより当たり前のように舞台に立ってきた。芸能一家のサラブレッドとして実力人気ともに認められた役者。その美貌もありアイドル並みの扱いを受けるときもあるが、18歳のときには「ハムレット」のオフィーリアを演じ、数々の新人賞を取る折り紙つきの実力を持つ。それは生まれ持った才能だけでなく、資料を漁り、家族が気味悪がるほどの稽古をするなどの彼女自身の努力の結果でもあった。しかし響子はいまだに実感がなかった。役者というものの魅力の不思議さ、面白さ、果てしなさに薄々は気付いてきたものの、まだ覚悟ができていない、模索している、迷っている、そんな感覚が離れないでいた。そのもやもやの原因のひとつが、遠い親戚に当たる6歳上の宗像葉月であり、そして昨夜、家族で観てきた彼女の初主演の映画の素晴らしさであることに気付いた。同じ芸能一家でありながら、それに反発した葉月は高校までは陸上競技に打ち込み、高校卒業後はじめて新劇の養成所を経て舞台に立つようになった。派手な顔立ちでも、人目を惹く容貌でもないが、ここ数年めきめきと実力をつけ、舞台関係者に認められてきた葉月。家族づきあいもあり、姉のようにつきあってきた葉月の主演映画は、響子の家族をして一瞬不機嫌にさせるほど、嫉妬を覚えさせるほど、素晴らしかった。
稽古場でふと聞いた、映画業界の伝説の映画プロデューサー芹澤泰次郎の噂。特定の組織に属さず、コツコツと資金を集め、自分の気に入った作品を、気に入ったスタッフで納得いくまで時間をかけて撮る男。出来上がった作品はどれも質が高く、内外で高い評価を得ている。そしてなによりキャスティングに定評があり、彼の作品に出て俳優として開花する者も多い。役者の潜在能力を引き出す才能があるのだろう。そんな彼が、もともとは芝居畑の人間で、今度芝居に戻るらしい。そんな噂が響子の耳にはいった。もし彼の芝居に出られたら、ここがあたしの居場所だと覚悟できるかもしれない。
都心の公園で演劇の練習に励む10人の若者たち。学生演劇サークルで最大級、歴史も実力もあるW大の演劇研究会の枠からはみ出した連中がこの春独立して作ったひとつの劇団。そこに一人の少女が声をかけてきた。「ここの劇団に入れてもらいたいんですけど」W大法学部1年だという少女。幾つかの劇団を見学しこの劇団を選んだ理由は、ここのメンバーが一番面白い顔をして、そして空気がほっこり明るいからという。
この劇団では女がいると問題が起こるのでいれない、必要なときだけ客演を頼むという方針のはずだったのに、劇団の一番年長者で新垣は、芝居経験がないという少女に入団テストをしてやると言いだした。入団テストをしてあきらめさせる気か、脚本家を目指しているがいまはまだ役者修行中の巽はそう思った。
しかし!ずぶの素人のはずの彼女の演技に、劇団員たちは目を奪われた。何もいないところに、確かに大きな獣が通り過ぎるのを感じた。風を感じた。
彼女のパフォーマンスを見て、感じ、その実力を知ってしまったからには、入団を認めないわけにいかなかった。仮入団を認める、新垣の決断はみなに受けいれられた。「君は11人目。『11人いる!』やな」。少女は佐々木飛鳥と名乗った。


あらすじはここまでとする。主要登場人物の紹介だけ。なぜならこの作品は面白い読み物、エンターティメント作品。どきどきわくわくして読むための作品。このあとは是非、自分の目で読み、心で感じて欲しい。終わるのが勿体無い、これだけの長編(500ページ強)であれば、中盤どうしてもダレがちなのだが、最後まで高いテンションで駆け抜けた。このあと、物語は芹澤の芝居のためのオーディションの物語になる。あぁ、書きたい、話したい、しかし自重する。
あえて物語を楽しむために、ひとつだけ。最終オーディションでは、有名な戯曲「欲望という名の電車」(テネシー・ウィリアムズ)の一部をオーディションに出演する役者4人がそれぞれ自分の解釈で主人公の影を演じる。「欲望という名の電車」をご存じない方は、是非目を通しておくことをオススメする。勿論、この作品は傑作エンターティメント作品なので、知らなくても楽しめるが、知っているとさらに楽しめるはず。それぞれの役者が、それぞれに解釈した物語。しかし、解釈の書き分けをした作家は大変だ。改めて、この作品がオマージュした「ガラスの仮面」(美内すずえ)という少女マンガ(現在42巻まで)のスゴさに気付く。


冒頭で述べた☆四つの理由は、面白い読み物だとは思うものの、後に残る深みとか余韻があまり感じられなかったから。響子の小さい挫折とそれを乗り越える小さい成長はあれど、主人公である佐々木飛鳥にまったく成長を感じられなかった。これはあくまで序章である、物語のなかでも飛鳥はこれから壁にぶつかると記されている、そうした点を勘案しても、過去の経験をも含めて、やはり飛鳥には成長を感じたかった。空手で、素人のような選手に翻弄され骨折するエピソードにおいても、そこから何らかの成長を獲得したとは感じられない。魅力的な役者であるはずの飛鳥に、人間としての魅力が感じられない。飛鳥の人間の描写が不足している。また、飛鳥の才能が、やはりちょっと飛び抜けすぎているキライはある。一冊の作品としてみた場合、そこが☆をひとつ減らす理由。


しかし確かにおもしろい読み物であることは間違いない。自信をもって人に薦められる。とくに演劇を齧ったことのある人に、あるいは「ガラスの仮面」に心躍らせた人に。読んでいる途中、会社の後輩で小劇団の役者をしている娘に思わず薦めてしまったが、読了後も薦めてよかったと心から思う。おもしろいでしょ?
「あめんぼあかいなあいうえお。うきもにこえびがおよいでいる。」久しぶりに発声とか大きな声でやってみたい、そう思わせる作品だった。作品に動かされてる。それだけの力(ちから)は持っている。


そして、やはり続篇を期待、切望する。
敢えて序章で終わらせるというのもこの作品の場合、否定できない。なぜならこれだけの力(ちから)を持った序章の続篇、本編は、それだけの力(ちから)を持ったものでなければならないから。飛鳥、そして響子の成長、そして宗像葉月、あるいはアイドルあがりの立ち位置の微妙な役者安積あおい、小劇団出身の気鋭の演出家小松崎と、また芹澤のつくる芝居とは?飛鳥の居場所である劇団ゼロは?本作品で書ききれなかったこれらのエピソードと演劇世界を描いていくとなると、想像しようとするだけでどんな大作だよと、突っ込みをいれたくなるようなものでなければならない。ならば、それに見合う作品ができないならば、敢えて大きく余韻を残し、読者に想像することを預けて終わるというのもありか。
しかし、しかし、読みたい。この物語の続きが・・。頑張って欲しい。わがままだな、読者は。


蛇足:響子に松たか子を重ねる本読み人が多いのにはびっくり。かくいう僕も松たか子に重ねてました。それだけの存在感のある役者ということですね。ちなみに実はファンです。
熱心なファンではないけれど、彼女の歌も好き。舞台もいいですが、歌もいい(きっぱり)。決して客観的には美人だと思わないのですが、とても魅力を感じます。ちなみに葉月はなぜか寺島しのぶ。ははは、葉月に言及している人はいないようですね。芹澤は、黒澤明かなぁ?ま、モデル論はどうでもいいこと。
蛇足2:恩田版「ガラスの仮面」は言いえて妙。しかし、決してこの作品は「ガラスの仮面」ではない。そこは大事だと思う。
蛇足3:タイトルはどうなんでしょうね?