カフーを待ちわびて

カフーを待ちわびて

カフーを待ちわびて

カフーを待ちわびて」原田マハ(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、沖縄、恋愛小説、第1回日本ラブストーリー大賞


第1回日本ラブストーリー大賞受賞作。・・って、もうその字面見るからになんだかアレでしょ?。 でも、読んでみたらちょっと違った。
恋愛小説苦手なハズなのだが、この賞の主催が「このミス」の宝島社というあたりにある匂いを感じた。きっとそんじょそこらのライト・ノベルじゃないぞ・・。結果、正解!大当たり!とても素直でよい作品。また最近これらのジャンルがお得意とするお涙頂戴ものでもない、まっとうな恋愛小説。物語としてはありきたりと言われても仕方ないし、予定調和なのだが、なんというか雰囲気がよい。沖縄という土地をモチーフにした舞台で行われる、言うならば「お伽噺」。そういう割り切りで読むといい小説。ただ残念なことは、よかったとは思えるのだが、オススメ度はちょっと弱くなってしまう。☆4つに近い3つ。もう少し強いインパクトが欲しい。尤も強烈なインパクトがない、温かな優しい雰囲気がこの作品の持ち味だと思えば、ないものねだりか。


「嫁にこないか。幸せにします」
沖縄に住む朴訥な青年が、村の人たちと北陸に旅行した。仲間への受け狙いと、秘めた本心を絵馬に書き留める青年。その絵馬を見てお嫁さんにしてほしいという手紙が届く。沖縄の小さな孤島を舞台にした心温まる物語。不器用な青年と、若く美しくそして謎に包まれた正体不明の女性、ふたりの恋の運命は・・・


絵馬に書かれた誰とも知らぬ男の人に、結婚を申し込むシチュエーション。ふつうには考えられない状況。それは女性の側にしてもそうだろうが、手紙を受け取る側の男性にしてもそう。正直、「ラブストーリー大賞」の冠がなければ、一挙にホラーになだれ込んでもおかしくない状況。そういう意味で、この小説は「ラブストーリー大賞」という場に助けられている。冠がなければ、この世界にうまくはいりきれない読者もいるだろう。かくいうぼくが、冠があるにもかかわらず、途中まで随分怪しみながらおそるおそる読み進めた。なんといっても宝島社がやることじゃないかと。
しかし物語は冒頭から沖縄をテーマにした身近な優しい人々と温かな雰囲気を描いており、そのまま素直に読むのが正解だった。だが、言い訳を許してもらえるならば、お告げで主人公の青年に何かいいことがやってくると告げる、隣家の主人公の面倒をずっとみてきたユタ(巫女)のおばあが、お告げ通りにやってきた女性に対しあまりいい顔をしないとか、どうも何かありそうな雰囲気。最後まで読めば深読み、疑心暗鬼で読んでしまったことが失敗だったとわかる。素直に読まなきゃ。
至極まっとうな恋愛小説。主人公のもとにやってきた女性も、あとから明かされるその出自を知れば、この不思議なシチュエーションに納得がいく。実はその謎が解けた瞬間、この作品はごく普通の恋愛小説になってしまった。悪くないのだが、ちょっとがっかりしたのも事実。
でも、だからといってこの作品については、そのことがありきたりな作品と評価を下げるものではなかった。この作品のもっとも大切な魅力は、作品が醸し出す、まっとうな人の優しさや温かさ。それはとても心地よいものだった。


この小説では決して「沖縄」は舞台ではない。「沖縄」という実在の場所をモチーフにした作品だと思う。何を言いたいかと言えば、他の沖縄を舞台にした作品が必ず触れるであろう、沖縄の持つ現実の哀しみをこの作品は触れていない。風土、文化、人々の優しさという、沖縄の持つ良いところを作品に取り入れてはいるが、それが現実としての沖縄を映しているのかは疑問。例えばユタである隣家のおばあの存在。現実にユタとか、古くから沖縄の人々の身近にあった信仰とか風習が現代の沖縄では廃れてきていることを、作品は触れはする。しかし、それは触れるだけで終わる。それ以上を追求するものではない。あくまでも設定としてのユタという存在が作品に必要だっただけ。また主人公が直面する沖縄の小さな島のリゾート開発問題についても、自然保護を訴えて反対する者もいるが、多くの村の者はさきざきを見据えて、あるいは目の前の現金、夢に魅入られて賛同していく。自然保護という錦を振りかざさない、沖縄でのリゾート開発が絡む物語も珍しい。しかし、このリゾート開発問題に絡み、学校でいじめられる子どもの姿を描くのはいかがか、。ここだけ妙に現実的なのはちょっといただけないかった。少年の家族は最後に居を移すことで解決するのだ、結局解決されないで終わるというのは、ちょっと珍しく、だが、作品の雰囲気に似つかわしくなかった。ちなみに主人公と隣家のおばあも開発反対派であったが、それは積極的に何かを反対するというより、変わることをよしとしないから。変わることをよしとしないということもひとつの主張。作品でもっと強く主張してくれてもいいのだが、この作品ではそこまでは語らない。問題のリゾート開発自身も、島出身の主人公の友人が、故郷の未来を思い進めようとすることなのか、それとも自らの為からだけなのか、よく見えない。いろいろな意味であいまいな点を残す。
と書くと欠点だらけのようだが、そうではない。この作品は、あくまでも主人公の青年と、彼のもとに嫁ぎに来た謎の女性の物語。周囲の人々エピソードもすべてはふたりのための物語。希望をもたせるラストも気持ちいい。生まれながらの右手の畸形が故に自分に自信がなく、女性に想いを素直に告げられなかった、不器用で朴訥な青年に、今度こそ幸せを、自らの手で掴んで欲しい、そう思わずにいられないラスト。「カフーが待ってる。島へ帰ろう」


沖縄の小さな島、与那喜島に住む青年、友寄明青。死んだ祖母から譲り受けた商店をひっそりと営み7年。愛犬のカフーとともにのんびり過ごす日々。そんな彼の生活にある日、ひとりの女性が舞い込んできた。
きっかけは、いっしょに暮らしていた祖母が亡くなって以来、夕食の世話を受けている隣家のユタ(巫女)のおばあの一言。あんたに言い知らせだ、カフーだ。カフー、それは沖縄の言葉で幸せ、それが転じて吉報という意味。幼い頃から隣家のおばあのお告げがよくもわるくも現実となることを知る明青は、何が起こるのだろうと気が気でなかった。
それはポストに来ていた。「絵馬を見ました。もし絵馬に書いてあることが本当なら、私をお嫁にもらってください」名も知らぬ女性からの手紙だった。
きっかけは幼なじみの照屋俊一が小さな村に持ってきたリゾート開発の話しだった。村の未来を考えた上で持ってきた話しだという。彼はすでに北陸の鄙びた村を始めハワイなど幾つかの開発して成功していた。一度見て欲しいと村の皆を連れ、北陸のリゾート地を紹介する俊一。初めて本土へ行き、初めて雪に触れた明青。仲間たちとさんざんに羽目を外した。そして、不倫の末、身投げをした有名タレントカップルのおかげで縁結びの神社として有名になったという神社を訪れた。生まれたときからの右手の畸形、おさないころからそれを思い悩む明青にとって、女性は縁遠いもの。そうしたこともあり、友人たちへの受け狙いと、秘めた本心を絵馬に書き留めた。「嫁に来ないか。幸せにします」
その絵馬を見た幸という女性から手紙がきたのだ。「絵馬の言葉が本当ならば、私をあなたのお嫁さんにしてください」沖縄の消印が押された封筒だった。
島にフェリーが来るたびに、幸という女性が現れるのではないかと、気もそぞろの明青。しかし、その女性が現れることはなかった。三週間が過ぎ、失意のまま、手紙を破り、灰皿で焼く明青。「幸」を待ちわびる切ない甘美に別れつげるのだった。
しかし、幸はやってきた。長い髪、白い帽子にワンピース姿のとても美しい女性。何事もなく明青の生活に入り込み、しか、彼女の正体は不明だった、それとなく聞こうとするとはぐらかされてしまう。家事はあまり得意でないらしい、料理は失敗ばかり。くったくなく自由に振る舞う幸。しかし、明青にとって幸は眩しい存在。嫁にきたという言葉も信じることができなくて、不器用に接することしかできなかった。
おさないころ明青を置いていなくなった明青の母の話。沖縄の古くからのいいならわし。て幼なじみとの思い出。リゾート開発にまつわる村の不和。隣家のユタのおばあとの物語。これらを絡め物語は進んでいく。
そして明青は、幼なじみの一人から幸について聞きたくなく話しを聞かされるのであった・・・。


おさないころ別れた明青の母親の物語が明かされることで、この物語の謎は解けていく。そして明青は、初めて自分から何かを求めるために立ち上がる。不器用で、純粋な青年(実はもう中年?)の成長の物語。強い話しではないが、気持ちよく読める作品であった。


沖縄の人は履き物を無造作に脱ぎ捨てる。家事の不得手な幸が、明青の脱ぎ散らかした履き物をいつもいつの間にか揃えくれる。こういう小さい所作が可愛い。


蛇足:AVEXで映画化されるようですが、そこまでの力がこの物語にあるかはちょっと疑問。この作品の魅力は小説という発表形態でこそでしょう。
蛇足2:へぇ、この人、原田宗典の妹なんだ。
蛇足3:表紙の写真はもっと、沖縄を感じさせるものが望ましい。深く蒼い空が・・。
追記:この作品、ぼくは二人の物語ではなく、明青の物語として読んでいたようです。実は、幸の人物像がそれほど印象に残っていなんですよね。