魔法ファンタジーの世界

魔法ファンタジーの世界 (岩波新書)

魔法ファンタジーの世界 (岩波新書)

「魔法ファンタジーの世界」脇明子(2006)☆☆★★★
※[902]、岩波新書、文学論、文芸論、ファンタジー論、文学史


この1,2年で少年期から青年期にかけて読んだ、いわゆる魔法を扱うファンタジー、あるいはハイ・ファンタジーと呼ばれる小説を多く再読をし、あるいは新しい作品も読む中で、大学の授業で受けた物語の形式論や、あるいは自ら学んだ児童文学論や、ファンタジー論が頭のなかで朧げに思い出されていた。
読書は勿論、読み、楽しむことが第一義であるが、この読書の楽しみの中には作品を解体し、その形式を探ったり、その作品に影響を与えた事物を研究することも含まれる。
さて今般、図書館のリストでこの書名を見て、ぼくが期待したのは、魔法を扱うファンタジーの成り立ち、系譜、物語の骨格をファンタジー全般の概論として紹介してくれることであった。しかし残念ながら、この書物はぼくの期待した、イメージしたそれではなかった。


まず本書では「ファンタジー」という言葉の定義がきっちりなされておらず、リアリズム作品の対極にあるものという位置づけで語られる。これは子どもが読む本という視点から論が始まるからであり、この時点でもはやファンタジー論ではなくなっていた。いうならば本書は古典ファンタジーの紹介書でしかない。
本書は、ゲームを初めとする、従来のファンタジーで取り扱われた小道具をアイテムと称し、簡単にファンタジー世界を構築する現在のビジュアルを主体とした、あるいはファンタジーの世界の雰囲気をのみ取り扱う作品の流行に警鐘をならす。深い考えなしに作られた作品たちに見られる、無慈悲な「こらしめ」や「しかえし」について、子どもたちが読むものとして、決してよい成長を促すものではないと語る。そして、トールキンの「指輪物語」、ルイスの「ナルニア国物語」、グウインの「ゲド戦記」などの古典ファンタジー作品をとりあげ、それらの成り立ち、歴史的、文学史的に生まれえた状況、あるいは伝承、神話からの影響を語る。
本書をそれらの古典ファンタジーの紹介書と捉え、あるいはお手軽にファンタジーを楽しむ傾向に注意を喚起し、本当に人の心を豊かにする意味での読書を「こどもたち」に呼びかける啓蒙書として捉えるならば、それはそれで価値があるのだろう。しかしファンタジーの解説書ないし、ファンタジー概論と捉えるならば、自らの読書体験を訥々と述べる部分を含み、論文としては客観性の欠けた文章並びにその内容については疑問を覚えざるを得ない。
評価は、望むものと違った点、そしてこのタイトルと内容の齟齬から辛く付けた。


ちなみにぼくが読みたいファンタジー論の内容は①ファンタジーの言葉の定義(ファンタジーの種類。ハイ・ファンタジー、エブリデイ・マジックなど)、②ファンタジーの系譜(神話、民話、伝承の流れから)、③物語の形式論(成長譚に見られるイニシエーション(貴種流離譚ストレンジャー神話、行きて帰りし物語なども含む)といった内容が、具体的な作品例を挙げながら語られる内容。文学論のみならず社会学民俗学まで広がるような、そんなファンタジー概論をぜひ読みたいもの。


蛇足:とはいえ「闇の戦いシリーズ」(スーザン・クーパー)を取り上げているのは、個人的に評価したい。