スパイ大作戦―MISSION IMPOSSIBLE−

スパイ大作戦

スパイ大作戦

スパイ大作戦MISSION IMPOSSIBLE−」室積光(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、コメディー、スパイ、昭和40年代、陸軍中野学校


一言で言えば怪作。正直に言えば評価に困る。室積氏の作品と言えば、図書館の書架に置いてあっていいのか?と思えた「都立水商」を随分前に読んだきりなのだが、そのあまりの見事な大ボラ吹きっぷりに密かに注目していた。本読み人仲間の集まりで「本のことども」の聖月さんと出会ったとき、親しくされているとのお話を伺い、ちょっと羨ましく思った。とは言え積極的にその名を探すこともなく、今回はたまたま新刊リストのなかにその名を発見して読んでみた。


とてもくだらないけど、最後はなぜかほろりとする、ちょっとハートウォーミングなお父さんは大変だコメディ。簡単に言えばそういう作品。ならば評価はしやすいハズだが、最初のほうの設定がヒドすぎた。もともとは雑誌連載(現代「スパイin the 団地」)だそうだが、おそらく最後のほうは連載時に目指した方向からずれてしまったものと推測される。当初狙ったのはあくまでベタなギャグを散りばめ、ある時代を生きた読者の共感性を目指したドタバタ・コメディ、それが中盤以降から主人公が格好よく、魅力的になり、最後はちょっと涙誘うハートウォーミング・コメディーに変容してしまったのではないか。(って、キン肉マンみたいなもの?)
正直、前半、あまりのベタなドタバタで読み進めるコトにちょっと嫌気がさしていた。しかし中盤から変わる主人公、そして最後まで読んでほんとによかったと思える、主人公を取り巻く人々。本当の愛国心と家族愛、上手くまとめた。すごくいい。
しかし評価をするに於いては最初の設定が悪すぎた。それが最後まで尾を引く。日本在留のCIAのスパイたちが、ソ連の亡命者が携えた機密書類について、コピーすればと提案する若いスパイを無視し、それが彼の存在価値だからとひとりのスパイの記憶能力に委ねる。そして機密を委ねられるスパイは自宅の電話番号を間違えるベタなギャグ。あぁ(嘆息)。
神経性と思われる下痢が原因で、戦時、任地に赴くことができず、同期が全て戦死してしまったなかひとり生き残る陸軍中野学校出身主人公。手弁当でスパイごっこよろしく、諜報活動を続ける彼に、遅刻ばかりしないようにと告げる、年下の上司。そのベタなギャグを思わせる存在が、いつの間にか事件に関わる若い少年をあたたかく、そして頼もしく見守る存在に変わる。物語は変容した。しかし最初に決めたベタな設定は残ったまま。結局、最後に作品の首を絞める。むむむ、これ大幅に改稿したほうがよかったのではないか?
最後を奇麗にまとめただけのと、この作品の評価を低くすることもできるのだろうが、その最後が妙に心に残る。「自分の周囲の人々を愛すること、その人々が住むこの山河を愛すること、それが愛国なのだと思い至ったのだ」主人公の胸に去来するこの思い。この思いを支えるのが、おそらく昭和40年代までの日本の姿であり、それは隣近所、団地まで含めた、人々の顔の見える時代。なぜ、敢えていまさらこの時代を舞台に選んだのかと納得がいく。そして「俺は間違っていた。家族を愛せないも者に愛国者は語れない」。妻や娘に冷たい態度をとられ、家族にないがしろにされていると思っていた主人公。最後のどんでん返しに、自分の道化っぷりを思い知らされながらも、非情に諜報員に徹しようとした彼が最後にくだす決断。


作品を評価するということはとても難しい。最後の一言でぶちこわしになる場合もあれば、最後の一言で評価を許す場合もある。この作品は明らかに後者。それが故にそれまでのドタバタ、ぐたぐたがとても残念。


昭和40年代初めが舞台。映画では「007」がTVでは「ナポレオン・ソロ」「スパイ大作戦」が人気。そんな世相のなか、主人公田畑明男は、日本の軍制史上唯一の秘密戦要因養成機関、陸軍中野学校出身の生き残りとして、ひとりひっそり諜報活動を続けていた。神経性の下痢で戦地に赴けず、今も緊張すると便意を催してくる。そんな彼が、ブッサイクで口のきき方も知らない態度最悪の妻を持ち、無能の勤め人を装い、活動費も出ないので自らの手弁当で、TVや映画のスパイのありえない姿に毒づきながら、終戦から二十年ひっそりと地道に活動を続けてきた。。コードネームはバタフライ、ダブル・エージェントとして、米国とソ連のふたつの機関に、まったく役に立たないと思われている情報を律儀に流し続けている。気持ちは究極の愛国心。スパイであることを知らない職場の年下の課長は、そんな彼に遅刻もほどほどにしないと他の社員に示しがつかないと注意する。
一方、CIA日本支部には難題がもちかけられていた。「ソ連の科学者を亡命させろ」。全員がレイバン眼鏡で視線を隠した、キャプテン・ブルー率いるそれぞれ色の名をコードネームにした彼らに与えられた課題は、ソ連の旬の過ぎた科学者セコイノビッチ・カネガスキー博士の亡命計画。一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼も、いまやただの恐妻家の酔っ払い酔ったあげくの脱糞事件も一度では終わらない。そんなカネガスキー博士の亡命のお土産はソ連の秘密兵器の設計図。博士の身柄と、博士の持つ黒い革鞄をKGBの目をくらまし確保することが今回の任務、コードネーム「当たり前だの黒革作戦」。
そんな米ソの対立の構図のなかに、ダブル・エージェントである田畑は巻き込まれる。CIAはおとり作戦を使うことにしたのだ、そのターゲットとなるとし若い少年をスカウトすること。それが田畑の仕事。おとりとなる少年は、現在米国大使館で茶室を作っている大工のひとり、田村耕二16歳。中学卒業後、祖父の知り合いの大工の棟梁を頼って、東京にやってきた朴訥な少年。田畑はこの少年を一目見た瞬間、命がけで守ろうと思った。
果たして、ソ連の秘密情報を巡り、CIA、KGBの熾烈な戦いが始まる(?)下町人情溢れる街に、レイバン眼鏡の集団が現れる。CIAも、KGBも美貌のスパイが登場し、あるいは日本を舞台に諜報戦が行われることに憤りを覚える日本の黒幕により、刺客の登場。そしてその者の正体は?田村少年が仄かに想いを寄せるたばこ屋の娘、直美も加わる逃避行。はてさて、任務は無事完遂されるのか・・。


さきにも触れたが、前半は昭和40年代の風俗てんこ盛り(といってもTV番組)のベタベタギャグばかり。CIAの暗号が「耳の穴から手ぇ突っ込んで・・」に対し「奥歯ガータガタ言わせたるで」では不正解、正解は「ガチョーン!」と、「藤田まこと」に「谷啓」って言われてもなぁ。「てなもんや三度傘」とか「シャボン玉ホリデー」、「最近はやりのグループサウンズ」とか言われても、ちょっと困る。ソ連の博士の名前もなぁ。博士の脱糞事件と、田畑の下痢事件、当初はそっちのほうへ持って行くつもりだったのだろうな。これが戸梶圭太だったら、許しちゃうかもしれないんだけどね。
決して成功作とは言えない本作品だが、読後感はよい。決して読んでと人にオススメはしないが、感想を聞かれれば、暇なら読んでもいいよと言える作品。やはり、前半が惜しい。