ヒストリアン−Ⅱ−

ヒストリアン・II

ヒストリアン・II

「ヒストリアン−Ⅱ−」エリザベス・コストヴァ(2006)☆☆☆☆★
※[933]、海外、小説、ミステリー、歴史、ミステリー、ホラー、家族、血族


この本は是非、先入観なしに読んで欲しい。オススメです。


「ヒストリアン−Ⅰ−」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/37319782.html ]に続き、2巻目を読了。この小説は、まさに読書を楽しむ、読むと言うことを楽しむ小説であったと、読了してつくづくそう思った。この二巻合わせて1,000頁の作品を読み切ったという想いは、何ものにも代えられない。華やかさ、鮮やかさ、スピード感には欠けるかもしれないが、上質なエンターティメント。
残念なことに、一巻を読み終わったときに期待した、読者を驚愕させるような、大きな物語の展開は二巻にはなかった。あくまでも、第一巻同様に、物語は淡々と進んでいった。
しかし、大きな展開がないとはいえ、それでもなおかつこの作品の魅力は「物語」である。この驚くべき歴史の探究の旅を、物語を、主人公たちと同化して楽しむことがこの作品の魅力であると断言する。冗長であるとか、平板であるとかの意見もあろうが、この作品はそういう作品なのだ。この作品のスタイルなのだ。
故に、このレビューで多くを語ってしまうと、これから読む人のこの物語を読む楽しさの魅力を減じる恐れがある。通常、ぼくのレビューは詳細なあらすじを基本とするが、敢えて今回は、あらすじは書かない。もっとも、書こうとしてもとても書き切れぬほどの分量であろうが。
レビューにあらすじを残すことを個人的な備忘録として、ひとつの目的としてきた。そういう意味で、この物語に登場した幾多の魅力的な人物を書きとどめておけぬということは、個人的にはちょっと残念なことである。しかし、それでも、敢えて残さない。再読する(できる)機会があったなら、そのときは思う存分、ネタバレありで書き残そう。しかしネットでいまだ多くのレビューを見ない、そしてこれから映画化と云う噂で話題になるだろう、この作品に於いて、もしかしたら、ぼくの拙いレビューを見る方もいるかもしれない。決してネタバレしても、この作品の魅力がそれほどに減じるとは思えないが、第一巻のレビューで触れた通り、この作品の売り方では、敢えて主人公たちが追い求める「竜の本」の「謎」つまり、「竜の子」について触れてなかった。作品の冒頭で「竜の子」は明かされるが、それでもその意味するものが明かされたときの驚きはぜひ、自身で確かめて欲しい。そして、またそういう売り方をしていればこそ、読者はその「謎」に振り回されることなく、旅を楽しめることに。
もちろんこの作品においてその「謎」について、決して興味本位を煽り立てるような書き方をしているわけではない。充分、大人の読み物として耐えうる書き方をしている。
しかし、だが、正直に云えば、その「謎」の人物が登場したときは、ちょっとだけ残念だった。どうしても、通俗的な、スノッブな印象は拭えなかった。これは、致し方ないことなのだが。
また、その「謎」の人物の登場する作品の最後、つまり旅の終わりは、ある意味オールスター全員登場の大サービス。それはある程度予想されていたことではあるが、ちょっと出来すぎの感を感じないワケにはいかなかった。ここまで、地道に進めておいて、この場面だけこんなに華やかとは・・。
いや、しかし、そうした部分を差し引いても、この作品は読む価値にある作品だと思う。
読む者を選ぶ小説かもしれない。それほどに難解な作品ではないが、読み切る覚悟がないと読めないという意味で、。また「ダ・ヴィンチ・コード」や、あるいは歴史ミステリーと呼ばれるジャンルで、歴史の謎を解明する喜びを旨とする読書家は、ちょっと裏切られた感じるかも知れない。歴史の謎の鮮やかな解明とは、ちょっと遠い。


しかしそれでも面白かった。とても長く、途中何度も、前に読んだ部分をひっくり返さねばならなかったが、最後まで読めてよかったと思う。
余韻溢れるエピローグ、それは訳者あとがきで翻訳家が触れるように、見事に「まえがき」に呼応する。少しネタバレを許してもらえるならば、「まえがき」で作家が謝辞を述べる相手は、まさにぼくがここに書き残したかった、魅力溢れるこの作品の登場人物たち。これらの登場人物たちがいればこその小説であった。


ぜひ、前知識や先入観なしに、この作品を読むことをオススメする。
映画の話題がマスコミに流れるときこの作品の「謎」 の人物、「竜の子」について、必ずや耳にせずにはいられまい。ならば、今、このうちに是非、読んでおくことをオススメする。


蛇足:主人公とともに旅をする、魅力溢れるオックスフォードの学生バーレイにだけは触れておきたい。主人公に対し、「きみはまだ子どもだ」と勇気ある撤退をした高潔なる子ども。しかし、エピローグに彼の姿は書かれていない。主人公の父親も同じく、。読者の想像に任されるのであろうが、気になるところ。