空の中

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空の中

「空の中」有川浩(2004)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、SF,空、未確認知的生物、意志


※あらすじあり、未読者は注意願います。


図書館戦争」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/36582433.html ]で、ちょっと気になった作家、有川浩ライトノベルをハードカバーで出版し、また自衛官をテーマにしたツンデレ少女を描く作家と妙な肩書きをもらってしまっているようだが、そのハードカバー一作目であり、作家有川浩にとって二作目の作品が本作「空の中」。その設定はまさにありし日のウルトラマン。高知上空に突然現れた直径50km四方の謎の巨大知的生物、こいつがもしそのまま地上に落ちてきたら大変なことになる、対応に追われる人々。
作品のなかにも触れられているが、これはまさしく初代ウルトラマン「空の贈り物」のスカイドン。尤も、こちらの作品は謎の知的生物に知能と意志を与えており、知的生物と人間の交流の物語、その知的生物との対応にあたる女性自衛官と航空技師の物語、そしてこの生物によってそれぞれ父親を失ってしまった孤独な少年と少女の物語という三つの物語が並行し、融合し語られる。


高知上空2万メートルで連続して起こった事故。その高度は高高度と呼ばれ、一般的な民間機、自衛隊機も飛ばない世界。日本の航空界の威信と発展をかけて進められていた政府と民間による国産輸送機関プロジェクトの試験機「スワローテイル」、そして自衛隊のF15Jジェット機が相次いで事故を起こした。
スワローテイル爆発事故の原因を究明すべく、各務原航空自衛隊基地に現れたのはプロジェクトを推進する日本航空機設計の技術者、春名高巳。そこで事故を起こしたジェット機と編隊を組み、類稀なる操縦能力と、パイロットとしての勘で生き残った女性パイロットである武田光希と出会う。事故のことは話したくない。信頼する上官を亡くし、頑なに高巳からの聞き取り調査を拒む光希。しかし、高巳は決して無理強いすることなく、辛抱強く光希が自分から語るのを待つのであった。
転勤の多い自衛官の父を持ち、亡き祖父の家で一人暮らしをする高校生、斉木瞬は、浜で不思議な生き物を発見していた。クラゲのようなその謎の生物を、UMA好きの幼馴染の天野佳江に命令され自宅へ運び込む瞬。その瞬のもとにひとりの自衛官が、父が事故で亡くなったという訃報を携えやってきた。慌しく葬儀が進むなか、大好きだった父の死を受け止めきれぬ瞬が、ふとかけてみた父の携帯電話に応答する声。それはいまやフェイクと名づけていたクラゲモドキの言葉だった。欠落するものをフェイクとの交流で埋めようとするように見える瞬の姿に佳江はいらだちを覚えるのだった。それは間違っている。
光希が自分から語りだすのを待っていた高巳であるが、いよいよ時間切れが迫ってきた。光希が断れなくなるのがわかっていただけに話したくなかったのだがと、正直に状況を話す高巳。光希の操縦するジェット機で高度2万メートルの現場に登る二人。そこで見つけたものは直径50km四方の謎の巨大知的生物だった。
二つの航空事故は、普段はその姿を透明にした「白鯨」あるいは「(モビー・)ディック」と呼ばれるようになる、その生物への衝突が原因であった。太古から存在していたと語る「白鯨」の正体が明らかにされ、起こったのは、人々のパニックであった。自分の頭上にいつ落ちてくるとも分らぬ巨大な生き物がいる。世界中を震撼させる事実。しかして、その実体は高度な知性を持った生物であり、なんらかの解決策を模索する対策本部の面々。その中には最初に「白鯨」を発見し、会話を交わした高巳と光希の姿もあった。
一方今や空を飛ぶようになったフェイクの正体が、父を死に至らしめた事故の原因の一部だと知った瞬は、フェイクを追い出す。瞬が家族のように可愛がっていたフェイクは、佳江に引き取られるが、フェイクはいつまでも瞬を慕うのあった。
国民感情国益の狭間で「白鯨」との対応に苦慮する日本政府。しかし某国の「白鯨」に対する姿勢に屈服し、米国からの「白鯨」へのミサイル攻撃を受け入れた。その結果、<全き一つ>であった「白鯨」は無数に分裂し、そして無差別的に人間を襲うようになる。果たして人類の未来は・・?
物語は、瞬を慕う「フェイク」の活躍、そして瞬同様に、スワロウテイルの機長である父を「白鯨」との衝突事故で亡くした美少女、白川真帆が登場し、また<全き一つ>への回帰を望む「白鯨」の姿とそれぞれの物語が進められる。
この作品は決して単なる怪獣SFだけの物語ではない、人の成長と青春の物語。瞬の成長、高巳と光希の物語、そして頑なに「白鯨」を憎む真帆の。


正直に言って、期待ハズレ。ここでいう期待ハズレとは、ぼくがこの作品に望んでいた物語に対しての期待ハズレ。ネットでの多くの評がこの作品の青春譚を、成長譚をして高く評価しており、それは理解できる。しかしぼくがこの作品に期待したのは、まさに「特撮怪獣SF」の物語である。まず、怪獣(知的生命体)と人間の関わりあいの物語が爽快でなければいけない。「白鯨」の<全き一つ>という概念はいいのだが、肝心のその部分が結局、言葉遊びのそれに終わってしまった感が否めない。「白鯨」の恐怖、脅威、そしてその圧倒的な存在感が作品から伝わってこない。それが故に、その他の物語は、ただキレイゴトを並べられたように感じられた。いや、頭では理解できるのだが、なんかふにおちない、納得できないのだ。それは主人公の少年が、高校生のくせに幼すぎるのかもしれない。これが小学校高学年の男の子が主人公だったら、この心の動きももっとストンと心に響くのかもしれない。あるいは、もう一組の主人公たち、ツンデレの女性自衛官と飄々とした航空技官も、キャラクター的にはキライではなく、悪くないと思いつつ、人物造詣にいまひとつ深みがないと思えるからなのかもしれない。
実は、このあとすぐに同じ作家の「海の底」を読んだ。個人的には「海の底」の評価のほうが高い。ネットの書評を見ると一般的に、作品としては「空の中」のほうが評判がよいようだ。しかしぼくは断然「海の底」。横須賀で人を襲う巨大ザリガニの大量発生のほうが、地上2万メートルに浮遊する知的超巨大生物との交流よりリアリティーを感じる。ふたつの作品とも荒唐無稽ではあれど、起こりうるという度合いからすると、巨大ザリガニであり、また生物の恐怖を感じた。
ああ、そうか。ぼくがこの「空の中」を評価できないのは、この「白鯨」の物理的存在と恐怖にリアリティーを感じ得なかったがためなのだろう。精神活動を行う「白鯨」はともかく、もっと物理的に存在する「白鯨」を描写して欲しかったのかもしれない。例えば、姿を現した「白鯨」の影は、高知市街をすっぽりと覆ったとか。人々を蹂躙、無差別に襲う描写とかをもっと具体的に(スプラッターにという意味でなく)欲しかったのかもしれない。設定としての「白鯨」が机上の産物にしか思えず、主人公たちの言葉遊びのような「白鯨」との議論に、緊急性を感じられなかった。そこにひっかかったために、主人公たちの「人間の物語」まで心が辿り着けなったのかもしれない。


ぼくと云うひねくれた読者の意見を無視して、多くの本読み人が評価する作品、高知を舞台にした青春の物語として読むことができるなら、決してこの作品は悪くない。
え?お前はいい年齢して、特撮怪獣物語もないだろう、って?いえ、ぼくらは永遠の男の子です。いつまでも特撮怪獣モノには心躍らされるのです。なんせ日曜朝8時は妻子眠るなか、ひとり「仮面ライダー」ですから。


蛇足:宮じいが秀逸なキャラクターであることは認めます。
蛇足2:でも、この人の作品って「機動警察パトレイバー」(マンガ、映画)だよなぁ。