青春拳法開眼小説カンフーガール

青春拳法開眼小説 カンフーガール

青春拳法開眼小説 カンフーガール

「青春拳法開眼小説カンフーガール」八神かおり(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、小説、中国拳法、青春、文芸社


文芸社か。(ちなみにうちのFEPはぶんげいしゃを文芸者と変換してくれます。ある意味当たりかも)文芸社だよ。
基本的に青春少女は大好きです。で、タイトルだけで図書館リストから予約。(ちなみに「カンニング少女」も予約中(笑))カウンターで受け取った本は、なるとを鼻につけた凛とした目つきの少女の写真。あ、これは青春コメディーかと思ったら・・・いったい、この作品は何なんだろう?


東京都千代田区に住む、少し妄想癖のある高校性少女の白石良子の物語。中学時代空手道場に通ってたこともある良子は、退屈な高校生活のなかで、香港カンフー映画に興味を覚える。香港に海外出張に行った父親に頼んで入手した、期待したものとは違う山ほどの売れ残りC級カンフー映画のDVDの影響で、中国拳法を習おうと決心した。しかし、ピンとくる道場が見つからない。学校帰りに立ち寄ったラーメン屋のオヤジが中国人だったので、話しをしてみたら、自分が拳法の達人だと言い出した。なんだ、そのベタな話は?しかし、オヤジはクリスタルの灰皿をあっさり音もなく二つに割った。「毎日ラーメンセットを食べるから」。交渉成立。こうして良子の修行の物語は始まった。それは血汗肉躍る、スポ根物語とは縁遠いダラダラ、ダラダラした修行の日々の始まりであった。
そしてある日、良子は浅草寺でヤンキー姉さんに絡まれているお遍路姿の青年を救い出した。同じ高校2年生の大河伝次郎は、いまどきの若者とは思えない禅寺に在家の通い弟子をしている青年だった。そして少女は、少年と出会ったのだ。
物語は良子の修行の物語と、淡い想いの物語を交えて淡々と進む・・。


物語で出会った少年の通う寺の禅堂に一礼をするくらいに、空手を通し礼を育んだ主人公が、中学時代に通っていたという空手道場をなぜ辞めたのかはっきりしないとか、あっという間に一年間、淡々と修行をしていたとか、突っ込みどころは満載。また物語として何を目指し、どこに行きたいのか、全然わからない。正直に述べると、読み物としても成立していない。とりあえず、ふとしたきかっけで才能ある少女が、今はうらぶれたラーメン屋の店主に身をやつした拳法の達人に、拳法の真髄を教わり成長していく物語、ガール・ミーツ・ボーイも交え「ベストキッズ」よろしく、お約束の世界は進んでいくのだが、物語として重要なヤマがない。主人公は挫折することもなく、淡々と修行を進めて成長していく、それだけ。少年と少女の淡い思いの物語も、一瞬の迷いはあれど、それが修行に影響を与えるわけでもない。なんとなくうまくいってしまう。
拳法の達人たるラーメン屋のオヤジの薀蓄をひたすら読む作品と言えよう。その薀蓄が、ちょっとスゴイ。読む価値あり。しかしスゴイけど、その真偽のほどがわからないので、作品の価値としてどう判断していいか困る。真実の薀蓄として評価すべきか、はたまたフィクションとして、よくぞここまで嘘を書き連ねたと評価すべきか。
少なくとも、物語として読むべき作品ではない。ちょっと中国拳法の薀蓄を増やしたい人は読んでもいいかも、くらいの作品。


はっきり言って、ふつうに本を読みたい人にオススメの一冊ではありません。


蛇足:とにかく文体が変。少女が語るモノローグ形式なのだが「です、ます」調が、気持ち悪いくらい違和感を覚える。普通の口語体と、丁寧語が混じっているからか。この気持ち悪さも、ある意味個性か。いや、褒めてない。