殺人ピエロの孤島同窓会

殺人ピエロの孤島同窓会

殺人ピエロの孤島同窓会

「殺人ピエロの孤島同窓会」水田美意子(2006)☆☆★★★
※[913]、国内、現代、ミステリー、小説、孤島、連続殺人、このミス大賞特別奨励賞


まず、この本を出版してくださった宝島編集部に拍手。
いやぁ、本文より、選評者の言葉のほうが格段におもしろい本の出版おめでとうございます。
「12歳が描いた連続殺人ミステリー」(オビ)、まさにそれだけの作品。ちなみにこれは「書いた」であって、決して「描いた」ではないと思う。


物語は、本土から遠く離れた東京都東硫黄島。数年前、島の外輪火山が噴火し、住民は強制移住を余儀なくされた。今や、東硫黄島には観測所に老人1名が駐在するのみ。そんな東硫黄島高校の同窓会が、東硫黄島で行われることになり、4年ぶりに集まった。出席者はクラスメイト36人中、不登校だった1名野比太一を除き、皆が集まった。
和やかに始まった同窓会の最中に、突然現れた野比太一を名乗る殺人ピエロ。ひとり、またひとりと同窓生が殺人ピエロの手にかかり、殺されていく。
一方、ネットでは島の映像が流されており、連続殺人が賭けの対象となっていた。そしてまた、日本軍が東硫黄島に残したという時価一兆円の財宝を巡る陰謀も浮上して・・。
出席番号一番、今や東大に通う、ヘタレな僕、有馬竜一を語り手として、物語は進む。殺人ピエロの目的は?ぼくらは生き残ることができるのだろうか。


正直、作品については語りたくない。まったくもって出版に値するレベルに達していない。いや、こういう小説はあるのかもしれない。しかし、すくなくとも「このミス大将」が「特別奨励賞」として出版する内容ではない。まさに「12歳が書いた」その話題だけで出版された作品といってよい。人物の描写も今ひとつだし、とにかくあらすじと、ヘタな冗談だけで進む小説。読み物としても、敢えて読む価値を認めない。
つっこみどころは満載。まず小中高合わせて60名しかいない東硫黄島の、元高校2年生だけが36名もいるのはヘンじゃないか?火山噴火の危険がある無人島、それも本土から1,500キロも離れた島に、たかが同窓会目的で上陸が許可されるとは思えないし、またそんな辺鄙な場所で行う同窓会に不登校の1名を除く生徒全員(それもいまは盛りの若者)が集まるのは、それなりの理由が必要でないかとか、のっけから作品世界に入り損ねてしまい、それは最後まで続き、結局「12歳の書いた」作品としてしか読めなかった。


そこで、問題は選者の評である。
この選評含めた本書253ページの最後の4ページがとにかく面白いのだ。この一冊の本に価値があるとしたら、まさにこの選評だと思う。
大森望氏】は「百枚の青春小説や恋愛小説なら、ローティーンが傑作を書いても納得できる。だが「殺人ピエロの孤島同窓会」は四百枚を超える長編ミステリー。(中略)”十二歳の少女の感性”みたいなものは(もしあったとしても)ほとんど表に出ない。(中略)編集サイドとしては、授賞するしないにかかわらず、話題性を買って出版したいという意向だった。(中略)だいいち、つまらない小説に無理やり賞をとらせようっていうわけじゃなく、いろいろ欠点はあるにしろ、どんどん読める面白い小説なのである」と語り、この小説の欠点を認めた上で、やはり「12歳」にしては、書けていると評する。
香山二三郎氏】も「通常ならいの一番で外すところだが、何せ書き手は執筆時十二歳だったのだ。・・・”大賞&優秀作”という本賞の枠組みとは別個に賞を授けてもよいと判断した」とあくまで、作品の質とは別にやはり「12歳」をひとつの評価としている。
【茶木則雄氏】は「十二歳の少女が書いたものでなければ、本にする価値はない[が、十二歳の応募者がひとりで書いたかどうかを検証できないので]選考会として賞を出すべきではない、というのが私の意見だった」と、「12歳の価値」は認めるものの、これが本当に「12歳の作品」か検証できないならば、「12歳」を価値とする作品として出版することに疑問を呈している。
吉野仁氏】は「「作品は作者と切り離して内容だけで評価すべき」という建前はるにしても、公募新人賞が”売れる新人”を発掘するオーデションの性格を持つ以上、年齢に限らず、読者に強くアピールできるプロフィールは、作家的な才能のうちだろう」と、「12歳」作品を売るための才能のひとつと述べている。


つまり、結局はこの作品は「12歳」の呪縛から逃れられない一冊なのだ。個人的に「作品は作者と切り離して内容だけで評価すべき」は、文学はともかくとして、こと文芸、読み物においては重要なことであるとぼくは思う。とくにこの「このミス」という文学賞において、売りたいという編集サイドの意向はともかくとして、よりよいミステリーに出会いたいいう想いがこの賞にあったはずだと信じるぼくとしては、これはやはり裏切りだと考える。
そして、さらに【茶木則雄氏】の語る「十二歳の応募者がひとりで書いたかどうかを検証できない」という部分が、全くないがしろにされているのはどうなのだろう。正直に言ってぼくには、仮にこの作家がどんなに大人びていたにしても、この作品が「12歳」の手によって書かれたとは思えないのだ。そして、「12歳」を信じられなく、また検証できない以上、やはり「作品」で評価すべきだと思う。


ある意味、問題を呈するという意味での問題作。読むも読まないも読者の手に委ねられる。強いて言えばハードカバーではなく、ソフトカバーで出版したのが、出版社としての良識か?いや、文庫じゃないのは、やはり算盤弾いたか(笑)


追記:人が簡単に死に過ぎる。あまりにご都合主義。(2006.8.1)


蛇足:逆に大森氏が「ない」と言う「十二歳の少女の感性」があるほうが、まだ評価できるかもしれない。