新参教師

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「新参教師」熊谷達彦(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、教師、リストラ


※少しネタバレあり。未読者は注意願います。


熊谷達彦という名前は、以前直木賞を受賞した「邂逅の森」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/2495059.html ]を人に薦められ、初めて知った。図書館の予約を待つ間に「モビィ・ドール」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/1883698.html ]を読み、どうも「邂逅の森」に聞いていた作風と違うと思った。しかし「邂逅の森」を読み、あ、成る程、この人は読み物の作家なんだなと思い、腑に落ちた。
本作も、まったくの読み物。ただし、正直に言えば、え?これ何?という読み物であった。
先の二作についての自分のレビューを読み直してみると「丁寧な取材」をもとに、まじめに読み物を書く作家と思っていたようだ。しかし本作を読んでみるとそう感じた熊谷達彦の良さが感じられない。おそらく取材はされているのだろうが、それを感じることのできない作品だった。勿論、丁寧な取材をしても、その痕跡を残さないようにうまく書くほうが、作家としては力量があるのかもしれない。しかし個人的には、読んでいて、丁寧な取材をしたなと思わせる、そんな作品に好感を覚える。それは本筋と関係ないところで、これでもかこれでもかとディティールを見せつける、若い作家のそれとは違う。ふとした描写に、きちんとした取材の裏打ちが仄かに浮かんでくるような作品という意味にである。いや、取材云々はこの作品には関係ない。熊谷達彦という作家について思い込んでいた、丁寧な取材=(イコール)、真摯な態度で作品に臨む読み物作家であるという幻想を裏切られたような気分であるという思いを述べたかった。
勿論、作家にしてみればマジメに書いたのだとの反論もあろう。しかし、残念なことにぼくという読み手にはそれがつたわらなかった。この作品で作家が何を書きたかったのがわからない。そして、また、読み物としても及第の作品とも思えない。いったい熊谷達彦は、どこを目指したいのだろう。
あるいは、本読み人としてのぼくの読み込みが足りないせいのかもしれない・・。決してオススメはしない一冊。しかし、ほかの人の感想も聞いてみたい一冊。


名の通った保険会社に勤めて二十年弱、仙台という住みよい都市に家を買い、支社長を務める42歳の安藤であったが、金融緩和と自由化による外資保険会社による格安商品の攻勢や、自らを出世街道に乗せたはずの開発商品の生む多額の「逆ザヤ」が会社のクビを締め、そしてさらに会社は大手の保険会社との合併の噂が出始めるようになっていた。自らの出世の道が閉ざされたばかりか、このままではリストラの対象にすらなりかねない。そうした中、安藤は会社を辞め、市が募集を始めた民間教員採用へ応募することを決意する。ダメもとで応募した安藤だが、見事採用となった。退職願いを提出しても、慰留のひとこともない会社に腹は立ったものの、新天地での希望を胸に、安藤は会社を去ったのである。
果たして、新天地であるはずの教員世界は、民間企業とはまったく違う風土であった。
勤務時間はあってないようなもの。部活に携われば休みもない。なにか事件が起きても、ことを荒立てないようにすることばかりの事なかれ主義。サービス残業を厭わない教師もいれば、税金泥棒と呼んでもおかしくないような教師もいる。民間の出世街道を突っ走ってきた主人公には、どうにも理解できない世界で起こる物語・・。


「教師」ものであるが「学校」ものではない。実は全然生徒が出てこないのだ。作品の途中で、主人公が愚痴をこぼす相談相手、大学時代の旧友でずっと同じ仙台で教師をしている小野寺からも、お前の話に生徒が全然出てこないと言われる。しかし、本当に最後まで生徒が出てこない。民間から、教師世界に転進し、そのギャップに悩み、怒り、考えながらすこしづつ馴染み、あるいは教師世界に変革をもたらし、最後はきっちり大団円という物語を目論見ながら読むと、めいっぱいハズされる。
ネタバレになるかもかもしれないがこの物語を簡単にまとめると、出世の道を閉ざされたエリートサラリーマンが民間会社を辞め、教師社会での出世を目的に教育界に転進、しかし想像と違った先生世界で紆余曲折のあった末、辿り着くのは「教師の生きがいとは、生徒に教えることで喜びを見出すこと」という標語のようなオチ。それだけを見れば、ありがちな筋書きで安心して読めそうなのだが、肝心の紆余曲折の物語が、全然最後につながっていない。最後だけ無理やりまとめたという印象。まさにとってつけたラスト。逆転のラストの構図なのだが、まったく驚きがない。本当に大事なものに主人公が気づくラストは爽快なはずなのに、なんか、ちょっと後味が悪いのだ。
紆余曲折の物語は、慢心で、巨乳好きな主人公が、民間と違う先生世界にとまどうものの、しかしまったく自分を変えようとすることなく自己中心的に行動する。確かに、教師世界は問題ばかりなのだが、この主人公もかなりの問題児。教師でありながら女の子のいる店に入りヘンな記念写真を撮られ、学校に送られたり、あるいは怪文書を送られたり。もちろん、そんなものを送る犯人が悪いのだが、どうも被害者であるはずの主人公に同情できない。なぜかといえば、この主人公、まったく謙虚じゃないのだ。すべてが自分中心。結局、主人公を初めとし、登場人物の誰にも共感できないという稀有な物語となった。
本当は、古臭いタイプの教師大久保あたりが、もうひとつ活躍してくれるともう少しなんとかなったのではないかと思うのだが・・。
巻き込まれる事件の犯人を探すために使う、奥田英朗の書くトンデモ精神科医を彷彿させる、主人公が保険会社時代から使っているという探偵、田中新一の造形もあまりに、あまり。地味で、目立たないのを売りにするワリに、あまりに伊良部であり、特徴ありすぎ。そして、またあまりに伊良部。このキャラクターがこの作品に存在する理由もわからなかった。とにかく、物語もそうだが、それ以前に人間が書けていない作品。妻子もあるひとりの大人が、生活を割り切って転職したはずなのに、その人間、あるいは人間関係や家族が見えてこない。
ダメ教師でもその人間が描かれていれば、生徒の出てこない教師の生活でも、充分小説は成り立つはず。最近読んだ「顔のない裸体たち」(平野啓一郎)[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/38194136.html ]、あるいはちょっと前に読んだ「英雄先生」(東直己)[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/31321595.html ]辺りは、決して「学校」ものではなかったが、ひとりの教師を人間として描けていた。


これはただの読み物と言われてしまえば、それまでなのかもしれないが・・。