40翼ふたたび

40 翼ふたたび

40 翼ふたたび

「40翼ふたたび」石田衣良(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、40歳、中年、希望、短編連作集


石田衣良が2003年に直木賞を受賞したのは、月島の中学2年生(14歳)の4人組の同級生の物語を描いた連作短編集「4TEEN」。それは当時、池袋ウェストゲートパークのシリーズで既に中堅作家としての地位を確立した石田衣良が書いた、その年代の男の子たちの持つ性の悩み、出会う暴力、病気、死、そして希望、未来、そうしたものを爽やかに描いた快作であった。個人的には、ここまでの石田衣良という作家はとても輝いていたと思うし、すべての作品が好きだった。
しかしその後、いわゆる「売れっ子作家」と呼んで差し支えない作家となった石田衣良は、突然大量生産作家となり、玉石混淆、ともすれば石ばかりが目立つ作家になってしまというのが正直な感想。その頃までは出版されれば必ず追う作家であったが、最近は決してそうではない。とくに大人の恋愛をテーマにした作品は、確かにそれを書き始めたころは光り輝く何かがあったと思うのだが、最近はどうもぼくの心に響かない。そうしたなかで今回出版された「40翼ふたたび」は、ある意味で先に触れた「4TEEN」の10代の希望溢れる未来を持つ少年たちの物語に対応するかのような、人生の丁度半分、曲がり角である40歳の登場人物たちを主人公とした物語たち。「フォーティーン」と「フォーティ」は、勿論意識した題名だろう。


この作品について作者である石田衣良は、自分と同じ年代を意識したとどこかで述べていた。その狙いを知った瞬間(とき)あまり読みたいとは思わなくなった。何か狙いすぎているな。その勘は残念なことに当たってしまった。
悪い作品ではないのだろう。どこか遠いところで自分の声が聞こえる。そんな読後感。


まず帯にある「著者、会心の長編小説が誕生!」はどうだろう?これは一人の40歳のフリーランス・プロデューサーを主人公とし、語り部とした短編連作集と呼ぶべき形式ではないだろうか。ぼくにはどうしても長編とは思えない。長編を意識して読もうと思った気分は、最初の短編が終わったときに台無しにされた。いやしかし、小説の形式なんていうのは実際どうでもいいこと。結局、最後まで読みきって思ったのは、予定調和の物語。型どおりの困難を、それほど悩み苦しむことなく乗り越えてしまったお気軽な物語。それぞれの登場人物が抱える悩みは、成程、それは現代社会い存在する切実な問題なのだが、作品は問題の上っ面を表面的を撫でただけで終わってしまっている。もっと問の核心まで掘り下げて欲しかった。月9とまでは言わないが、お手軽なTVドラマを見てしまったような、そんな後悔にも似た気持ちを持った。とくに23年間引きこもりだった男をテーマとした「翼ふたたび」、そして最後の話、今は落ちぶれてしまった昔の仲間が再集結してイベントを成功させる物語「日比谷オールスターズ」のふたつ。「翼ふたたび」は一応、ハッピー・エンドなのだが、こんなに簡単に問題を解決させていいのかなとかなり疑問。「日比谷オールスターズ」は、ひとり成功し嫌味な奴になっている、難関のはずの最後の一人もあっさり仲間になり、またイベントで行われる最後の寸劇のセリフもあまりに作家の狙いが見えすぎる。感動する話のはずが、いまさらこの中堅作家がこんな話を書くのかと、読んでいるのが気恥ずかしくなるような類型的な話に終わってしまった。
物語が進むうちに、すこし距離のあった妻との仲が徐々に近づいていく様子とか、ちょっと大見得で、作家の得意顔が透けて見えるのが気になる「おもちゃにするなら、それでもいい。だけど、ひとつ切りのおもちゃなんだ、大事にしてやれ」というセリフとか(これを主人公が口(くち)にする状況はあまりにベタすぎて、ため息がでるくらいあきれるのだが)、お、ちょっとうまいな、と思わせる部分がないわけでもないのだが、全体的には狙いが透けて見える、薄っぺらな凡庸な作品。
少年たちが、大人になっていく切ない姿、思いを描いた「4TEEN」とは比べるまでもない作品。


入社17年、繰り返しの毎日に飽き飽きしていたところに、先輩の甘い誘惑。名の通った広告代理店を辞め、一緒に新しい広告制作プロダクションを立ち上げた吉松喜一、40歳。しかし現実は甘くなかった。新しい会社は、以前の会社に比べ、経費は厳しく、そして先輩はワンマンであった。会社で孤立していく喜一に助け船も出してくれない。結局、新しく勤めた会社も辞め、フリーランス・プロデューサーとなる喜一。しかし現実は厳しく、思うように仕事もやってこない。十年来の友人のプロダクションに間借りし、お金のやり繰りを計算しては、ため息をつく日々。そんな喜一がインターネットに立ち上げた、自分をPRするブログを見て人々の依頼が集まるようになった。依頼は喜一と同年齢の40歳前後の人々が抱える問題。明るい未来があるわけでもなく、まだまだ長い人生が残っている、そんな中途半端な年代。そんな人々の抱える問題を、問題を抱える人と一緒に解決していく喜一。40歳は、まだまだ人生をやり直すには遅くない年代なのだ・・。
<真夜中のセーラー服>
喜一のブログに、AV女優から依頼のメールが届く。IT長者として、時代の寵児だった恋人を助けて欲しい。ある事件により、社会的に抹殺された喜一と同年代のIT長者はいまや魂の抜け殻。果たして喜一は彼を救うことができるのか。
<もどれないふたり>
高校時代の同窓会で、喜一は昔つるんでいた旧友ふたりと出会う。ふたりは同じ銀行で、次の支店長の座を狙うライバル
となっていた。そのうちのひとりが喜一に依頼をしてきた。妻が離婚したいと言っているのだが、その真意を聞いて欲しい。彼の妻とは大学時代、いまや彼のライバルになっている先の一人と一緒に、喜一とそして彼と四人でよくつるんで遊んだものだった。出世を生きがいと感じる男の目には大事なものが映っていなかった。
<翼ふたたび>
23年間引きこもっている息子をどうにかして欲しい。年金とパートタイムの仕事でなんとか暮らしているという老夫婦が、喜一に依頼をしてきた。喜一と同年齢の引きこもりの彼については専門家も匙を投げているという。
<ふたつの恋が終わるとき>
以前勤めていた広告代理店でいっしょに働いていた女の子から、喜一に電話がかかってきた。女の子といってももうすぐ三十、いつもパンツスーツかジーンズで、仕事はできるが、色っぽさなどかけらもない。そんな彼女が持ってきた相談とは、不倫相手と別れる手伝いをして欲しいというものだった。彼女が四年間つきあってきた相手とは、大手家電メーカーの将来の社長候補。自分と同じ感性を持つ相手との別れを決意した彼女は、その仕事を喜一に頼んだのだ。「わたしがなぜ、キーさんにこの仕事を頼んだのか、わかる」
<われら、地球防衛軍
渋谷の高級住宅地、松涛のカフェを打ち合わせの場所に指定し現れたのは、アニメの地球防衛軍が着るような制服を着た、40歳のフリーターの男だった。アルバイトで貯めたお金を資金に、一円起業で、幼稚園児や小学校へ子供を送迎する仕事を始める。パンフレットを作って欲しい。貯めた資金は350万円っぽっち。普通にパンフレットを作ればそのうちの100万円くらいあっという間になくなってしまう。喜一の話を聞きその男は、マンガやアニメに出てくるような擬声語でいちいち驚く。しかしフリーターの男の話を聞くうちに、彼が決して不真面目でないことに喜一は気づいた。
<はい、それまでよ>
事務所を間借りしているプロダクションの、仕事のできる同年代のコピーライターはヘビースモーカーだった。最近、ぜいぜいと咳き込むことが多くなったと思ったら、ランチで突然、食べかけていたものをもどし始めた。医者に診てもらった結果、ガンと診断された。それも、末期。そんな彼をみて同じ事務所の女の子が喜一に相談をもちかける。「男の人って、いきなり告白されたらひきますか」。前から少しいいと思っていたが、今回の病気で本当に好きだということがわかったという。そんな彼女の告白に、男は。
<日比谷オールスターズ>
ある出版社で、40代以降の再就職をテーマとした求人誌の創刊イベントを行なうことになり、喜一にもそのコンペの声がかかった。昔、喜一が携わったイベントで世話になった編集者が、わざわざ声をかけてくれたのだ。広告代理店にいたころ、喜一が外部の制作プロダクションのメンバーと5人でチームを作り行なったそのイベントは画期的なものであった。今回喜一に声をかけてくれた編集者も、いまだに彼らをゴールデンファイブと呼び、今回も期待しているという。
今は落ちぶれ、それぞれに本意でない仕事についていた3人を集めた喜一。残る一人を集めることができればゴールデンファイブの復活だ。しかし最後のひとりは、青山に事務所を構え、今をときめくコンピューターの会社社長として活躍している・・。
コンペを勝ち抜いた喜一たちの作るイベントの目玉は、喜一がブログに綴ってきた、今までの出来事を短い劇にしたものだった。事実に裏打ちされたそれらの物語は、まさに40代の同年代の人々へ送るエールであった。40代の今だからこそ始めることのできる明日・・。


最近の石田衣良の作品のなかでは、幾らかマシで、読める作品なのかもしれない。しかし、やはりぼくはオススメはしない。石田衣良はもっと書ける作家だと信じている。ほんの数年前まで、ぼくらを夢中にさせたあのきらめく何かを、もう度思い出して欲しい。そう思わずにはいられない。


蛇足:しかし、どうしてブラジャーがどうだとか、見せパンがどうだとか、くだらない描写にこだわるのだろう。もっとこだわるべきディティールがあるような気がするのだが・・。
蛇足2:文章というか、感想が荒れているのは、どうも最近「当たり」の作品にあってないからかもしれない。この後読了している「無痛」(久坂部羊)、「風に舞いあがるビニールシート」(森絵都)のレビューを書いていく予定だが、どちらもぼくには「当たり」ではなかった。