本当はちがうんだ日記

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「本当はちがうんだ日記」穂村弘(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、エッセイ、随筆、日常


※今回は全然レビューじゃないです。エッセイをレビューするのはかなり難しいですね。(「ネ」はいけないらしい)


穂村弘がおもしろいらしい。ネットの本読み仲間で一時話題になっていた。借りてみようかと図書館のHPを開くと予約は二桁。そういえば最近、エッセイを読んでいないな、そんな風に思いながら予約した本をこなすのに精一杯で、ついついそのままだった。
ところが先日のオフでまたも「ホムラ」の名前が聞こえてきた。低く通るこばけんさんの声が(なぜか、こばけんさんの声はどっかで褒められていた、ちぇっ)「ちんすこう」がどうだ「大相撲の実況」がどうだと、嬉しそうに語る。それに調子を合わせるように嬉しそうな、想像よりずっと普通のまみみっくすさん、衣装ひとつで女は変わる、とっても女の子だったちえこあ(びっくり!)、もっとふわふわした女性を想像していたら予想と違いクールビューティーな感じ(あくまで感じ)のななさん、そして犬の世話から執行まで、別の意味でクールビューティーなjuneさんが嬉しそうに話している。そこに入り込めなかった悔しさと、一抹の寂しさを感じながら、これは密かに読んでおかねばと決意するぼくだった。


あんなに予約があったはずなのに、。図書館での書架で「は」から進んでいくと、ひっそりと「本当はちがうんだ日記」が置かれていた。なんて、あっけない。


読んでみた。え?あれ?困った。
正直に言おう。それほど、おもしろくないぞ。どうもとても期待しすぎてしまったみたいだ。
この気弱で、小心者、基本的に真面目で、そのくせ、自意識は高く、でもどこか少し他人とズレた視点を持つ主人公のスタンスって、ありがちじゃない?どっかで読んだような気がする。記憶を探ってみると、もしかして原田宗典あたりのエッセイって、こんな感じじゃなかったけ?曖昧な記憶を確認しようと会社帰りに本屋を二件ほど見てみたが、残念ながらどちらの本屋にも彼の作品はなかった。尤も、原田宗典だともう少しおしゃれな感じ、そうギンガムチェックなんか似合っちゃうような感じはするの。だが、それでも穂村も原田も、マガジンハウス以前の平凡社の「ポパイ」とかを愛するイメージは同じ。その雑誌の持つ世界が「似合う」じゃなくて、その雑誌を「読者として愛する」イメージ。決して集英社の「週刊プレイボーイ」でなく、あるいは同じ平凡社の「平凡パンチ」でもない。もちろん「月刊明星」でも「月刊平凡」でも、「近代映画」でもない。(穂村の場合「オリーブ」なんかも眺めていたようだけど)いわゆる汗の匂いさえ漂ってきそうな日本の「アイドル」、下手すれば「グラビアアイドル」(ヌード含む)ではなく、もっと乾いた「かっこよい」感じの世界というか。渡辺淳一の世界ではなく、「ノルウエイの森」以前の村上春樹のような雰囲気を好むというか。まぁ、本当はとてもエッチな下心もあるんだけど、そういうことは隠してみて、少しお洒落でいてみたいな、そんな感じ。
伝わる?


主人公の「僕」が気弱で、中途半端に真面目というスタンスってのは、実は本を読む人にとって共感を得やすいタイプではないだろうかと思う。ポイントは、弾けきれないほどの真面目さで、自分には決して自信を持てない、でも本当は「ちょっと違うんだ」と心のどこかで叫んでいる。多くの本読み人は、実はそういうタイプだと思う。かくいうぼくだって、そのひとり。辛口なレビュ−を書いているようだが、自分のレビューには決して自信はない(いや、少しはあるけど)。ほんの一言の批判的なコメントに、うじうじと悩んでしまったりもする。「ダイヤモンドは傷つかない」とか「孤高を目指す」とか、かっこよい台詞を並べ、自分の台詞に酔ったふりをし、外角からの変化球で自己弁護を嘯く。でもホントは傷つきやすい「fragile(壊れモノ)」なんです(笑)。(「壊れ者」だとこわいね)いや、自分のことはどうでもいい。とにかく、このスタンス、であまりオリジナリティーを感じなかった。たぶん「のび太」だってそう、あるいは、ぼくの心のバイブル「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫)の薫クンだってそうだ。薫クンなんて、薫クンの兄の友人が見つけた真理「逃げて逃げて、それでも逃げ切れない問題こそが大事な問題だ」を実践してみようとか、幼馴染のユミちゃんが、初潮を迎えたある日、まだ幼くふくらみかけた胸を薫ちゃんに見せ、あなたは私を守る義務があると告げたことを後生大事に想い、ユミちゃんの騎士(ナイト)でい続けようとする。あるいは、足の指の怪我で行った先の病院で、兄の友人である女医さんの白衣の胸元から見える白い肌にドキドキしながら、居眠りをされてしまい、どうしようもなくなってしまうヘタレっぷり。でも、黄色い雨合羽を着た女の子に怪我した指を踏まれズキズキと痛い思いをしながらも、その子にふさわしい「赤ずきんちゃん」を探してあげる優しさ、十分、穂村弘と重ならないか?
あ、やっぱりちょっと違うか?どうも、レビューが作品と関係ないほうに流れてしまう。


とにかく共感を呼びやすい主人公、スタンス。しかし反面、近い故に近親憎悪も呼びやすいのか?ぼくがこの一冊をそれほどがおもしろくないと思うのは、穂村に近親憎悪しているだろうか。同じようなこと思ってたり、気づいてたりするのに、お前ばかり本を出し受けやがって、印税生活しやがってとか?・・うむむ。ちょっと違う気がする。印税生活は羨ましいが、。


穂村弘の情報を、更に集めるべくネットを覗いてみる、どうも穂村弘は結婚したのがいけないらしい。結婚して、安心して、増長している分、自虐的なところがなくなり、おもしろくなくなったらしい(と、そこまではだれも言っていない)。この本のなかで、両親と暮らしていたはずなのに、いつの間にか妻帯者になっていた。あぁ。これがいけないのだ。たぶんこのエッセイは、きっと、もうおもしろくない穂村なんだ。


「にょっ記」がおもしろいらしい。「ちんすこう」に「大相撲の実況」だ。きっと、きっと、面白いんだ。
でも、面白くなかったらどうしよう。素直に笑えなかったらどうしよう。憧れのななさんや、憧れのjuneさんにこのおもしろさがわからないなんて・・とアキレられてしまったら、どうしよう。
やっぱり、ここは大人だから面白くなくても、面白かったというべきなんだろうか?
なんか試金石みたいだ・・。


この一冊のなかにもひとつ、ふたつのエッセイには共感もするし、おもしろいものがないわけじゃないんだけど・・。


蛇足:「赤頭巾ちゃん気をつけて」(庄司薫)は名作です。