にょっ記

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「にょっ記」穂村弘(2006)☆☆☆★★
※[914]、国内、現代、エッセイ、随筆、日記、フィクション


※これはレビューか?エッセイのレビューって、本当にムズカシイ。


すのすのも、ほむほむを見習って、会社員と印税生活(お小遣い)の二重生活をしてみたいもんだ。


「本当はちがうんだ日記」であだ名がないと、嘆いていた穂村弘であるが、ネットでは「ほむほむ」とか「ほむりん」とか呼ばれている。きっと「ほむほむ」ないし「ほむりん」って可愛いよね、とか××な女が言ってるんだろうな、って、これは嫉妬です(笑)。
でも苗字を略されるあだ名ってどうなんでしょうね。例えば、「全国の「長谷川」さんの約8割は「はせっち」とか「はせ」と呼ばれている」とほむほむがどこかで書いたら、きっとみんな、ふむふむ(ほむほむではない)と頷いてしまうのではないでしょうか。そして、くすり。穂村弘の作品の本質ってこういうところにあるような気がする。


「にょっ記」
穂村弘というより、作品のなかでは川獺(?)の姿をしている「ほむらさん」という主人公が書く、4月から3月までのある一年の日記(〜風エッセイ、ほら話?)。現実の穂村弘の日常と、思いついたことを書き綴った一冊。読みやすい一冊。30分で読み終わる。じわじわっとした笑いが生じるが、個人的には、うむむ。それで?な一冊。これって、いいとか悪いとかじゃないよね。


昔、糸井重里が「ナイーブ」と「ガイーブ」、「デリケート」と「バリケード」を並べて使い、思わずうまい、とニヤリとしたことがある。こういうちょっとした日常の笑いをうまく言い表すのって、爆笑とはちょっと違い、心にじわじわ伝わり、嫌いではない。
でも、やっぱり大きな声でおもしろいというのとはちょっと違う気がする。ほむほむの笑いって、きっと、口コミとかでじわじわとか広がるべきもので、「読んだ、あれ?」「うん、読んだ」「くすっ」というような感じが似合う。なんというかおおっぴらにしちゃいけないというか、仲間内の隠語のような。


ただ個人的には違和感を感じたのは、本作のなかで、ネットの皆がとりあげている「ちんすこう」であり「うこん」の話。これは、まず滅茶苦茶直球な作品。いい大人が堂々と活字にしてはいけないネタだし、繰り返し使うネタでもない。このネタを喜んでいいのは、やはり小学生までの子どもであり、あるいは男の子なら中学生までだと思う。
この作品がね、とネットの本読み仲間でクールビューティーな(と勝手に信じている)なななな(わぁ「な」がいっぱい)や、じゅんじゅん(juneさんは実は「ジュネ」でなく「じゅぅん」だったのだよ)があっけらかんと語ってはいけない気がする。お子様なちえこあは、まあよしとしても、まみみっくすさんもちょっとどうだろう?いや、こばけんはいいのだけど、でも俺たち大人だよね(笑)。これって、男なら男同士がちょっと顔を寄せ合ってひそひそ話し、ぐふふふっと笑って、ホムラって馬鹿だよなぁとかいうような話であり、あるいは先に書いたとおり気のあった女同士がやっぱり「読んだ?」とか確かめ合うような姿が似つかわしいよう。だって、ななさんやjuneさんが「ちんすこう」なんて、・・・あぁ、いけない妄想で頭がいっぱいだ。
ほむらさんの時々投げる直球は、いやほかのネタもそうだけど、決して大人な男女が明るい顔で笑いあっちゃいけないネタなのであるとぼくは信じる。勝手に、だけど。電車のなかで妙齢な女性が、読んでしまい、うふふふと思わず笑いそうになり、周りを見て顔を赤らめるはありな気がするのだ、というかそういうシチュエーションはとても似合うとは思うのだが、。
その際たる例は1月15日の「怖かったこと」今までに自分がセックスした相手はすべて姉か妹がいる。えっと、これ読んだとき、ちょっとなんだかとても恥ずかしくなり、そして顔を真っ赤にして本を投げたくなった。ときどきね、こういう直球をいれちゃうんだよね。


さて、ちょっとマジメにレビューすると、この作品のよさはフジモトマサルのイラストにより現実にいるはずの穂村弘が虚構のキャラクター「ほむらさん」になり得た点ではないだろうか。現実と虚構の混在するこのエッセイにおいて、川獺の姿をしたほむらさんは、とても曖昧な存在で、天使と語っていてもまぁ、ありかなと思わなくもない。これが先に読んだ「本当は違うんだ日記」になると冒頭に、人のよさそうな中年のおっさんの写真があり、あぁこれが穂村弘(漢字ね)なんだなぁと思って読むので、妙に生々しいというか。こういう自虐的、読者の共感を呼ぶタイプのエッセイって、例えば二枚目俳優とか美人女優が、私ってドジねとかで書く場合は写真とかあっても、そのギャップに共感を覚えるのだけど、本当に中年のおっさんだと、ちょっと困ってしまわないか。しいて言えばにこにこと人がよさそうなところが救いなのだが、。


だから?の一冊であるが、個人的には幾つかとても気に入ったものもある。
4月23日「サークル」、「スポーツを憎む会」のナカニシさん。すみません、その気持ちわかります。
8月15日「注意」総武線の車内で、下手な運転に怒れる男性。たぶん、自分も電車の運転に携わる人なんでしょうね。
8月21日「おりまーす」目的の駅で、おりまーすと呟くほむらさんに「はーい」と云って道をあけてくれた女の子。やさしい、かわいい。あかるい・・。おじさんのツボですな(笑)
10月 4日「冗談を云う」自分の胸に手をあててよーく揉んでみろ、という冗談を思い出し、思わず電話で云ってしまった・・。想像するだに寒すぎる・・。
10月12日「セイロガン」子供の頃、セイロガンを教室中に撒き散らかした友人の思い出。セイロガン踏むなぁ!
12月25日「非人魚」「あたし人魚じゃないね」酔っ払っているらしい女の人の声が駅に響く。秀逸!日付もいいよね。


そしてぼくが一番好きなのは 5月 1日「ジュンカツユ」
昼休み、新入社員の女の子に「あたし、ジュンカツユでじゃないですよね」と問われる。同期のみなに「お前は仕事ができないけど、性格が天然なところを買われ、職場の潤滑油として採用された」のだと云われたと言う・・。
ぼくは「癒し系」とか「天然」とか、自分で称するような、またそう称されることをよしとする女の子はキライだ。そういうことを演出してみせる女の子の底の浅さというか、そういえば許してもらえると思うような根性のなさというか、計算高さって、どこか安っぽく透けて見える。勿論、それをそれとして持ち上げる馬鹿な男がいればこそという、卵と鶏みたいなところはあるけれど。
でもね、本当に「天然」な女の子って、この作品の女の子みたいに自分が「天然」って呼ばれることを潔しとしないんだよね。で、結構一所懸命自分なりに努力する、でもそれがどこか微妙に方向が間違っている。誰か直してやれよ。
でも、そういう女の子の一所懸命さって、とても好ましい。ただ仕事ではやめてくれぇ・・(笑)。


それで?な一冊だが、個人的にはこばけんさんとこの作品の作家ほむらさんと三人でニタニタ笑いながら語るはありかもしれない。こそこそニヤニヤ、最初からいくら丼ももちろんありだ。でも、お酒、少しだけいいかな?


蛇足:図書館で予約した「にょっ記」を受け取りにいったら、係りの人がなかなか見つけられない。受け取って「12ょっ記」(装丁で「に」が「12」になっている)なのでわかりづらかったのかと思ったら、「アニメのニョッキを探してしまいました」。いや、それは「ニャッキ」。って、本あるの?それにそんな本ぼくが借りるの?41歳の暑い夏。