クワイエットルームにようこそ

クワイエットルームにようこそ

クワイエットルームにようこそ

クワイエットルームにようこそ松尾スズキ(2005)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、文芸、精神病院、第134回芥川賞候補作


松尾スズキという人物を知らない。って、つい最近同じような出だしで書いたような気がする。
知らないものは、知らない。こそこそと調べて、知ってるような顔をするより、知らないものは知らないと堂々とぬけぬけと云い抜けるような、そんな正直者の大人になりたい。嘘、なんか、最近(かどうか知らないが)どっかで有名なサブカルチャー的な人らしい。それ以上は、どうも興味がわかない。リリー・フランキーだって興味ない。(あぁ、なんだ、このいい加減な書き方は)。
この春、親しくさせていただいている(と勝手に思い込んでいる)ネットの本読み人仲間の間でちょっと話題になっていた作品。でも、それだから読んでみようと思ったのではない。実は、個人的にぼくが非常に高く評価した「バケツ」北島行徳[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/24794646.html ]に「松尾スズキ絶賛」という帯がついていたので、確かそのとき話題になっていた松尾スズキの作品を予約した。って、もはやうろ覚え。
ぼくが個人的に高く評価する作品って、どうも主流にのらないというか、さっぱり反応がない。もともと、ネットで書評を書くような人は、世間一般で売れるような作品を敬遠する向きがあるが(いわゆるラノベね)、それにも増してぼくが高く評価する作品は人気がない。どうも隅っこを掘っているようだ。いや、しかし「戒」(小山歩)も、「瞳の中の大河」(沢村凛)も、「聖(さとし)の青春」(大崎善生)読んだ人は皆、評価してくれてるではないか!(でも実は、ぼくが知らなかっただけで「聖の青春」は直球な名作で過去に話題になっていたわけだが・・)
というわけで、不遇(?)の作品「バケツ」北島行徳をここではちょっとおススメしてみよう。(って全然、今回の作品とは関係ない話)


クワイエットルームにようこそ」。第134回の芥川賞の候補作だったらしい。ひょんなきっかけで精神病院に入院することになった主人公の14日間の入院生活。ふむ、成程ね。ぼくのなかでは芥川賞は文学寄り、直木賞は文芸ないし大衆小説、というカテゴライズができている。その点からすると、あまり芥川賞候補らしくない作品。よく言えば、分かりやすい。深みがないと云ってしまえばそれまでなのだが、読みやすく、分かりやすいエンターテイメント小説だった。そう、まるでじたばたどたばたの演劇のような。


帯の「28歳のバツイチの明日香が薬物のオーバードーズの果てに見た、絶望と再生の物語」って、どうなのだろう。これだけ見ると、なんか村上龍あたりの小説(って、実はあまり知らない。イメージ、イメージ)を想起させらるのだが、ちょっと違う気がする。「ほんのささいなきっかけで、溜め込んだ薬物を摂り過ぎ、精神病院に入院させられた女性の、境界線を越えたちょっと隣の世界での14日間」あたりが、この小説の本質を伝えるのでは?確かに「バツイチ」だし、「オーバードーズ」なんだけど、それは「美味しい言葉」だけに過ぎない、作品の根幹に全く触れていない。少なくとも高名な文学賞の候補作なんだから、売らんかなの映画の予告編のような切り出し方はすべきでないと思うのだが、どうだろう。


ネットの本読み人の多くが触れているが、初っ端がダメだ。生理的に受け付けないこのようなグロい描写をもってくる意味が、わからない。ステージで丸裸で立つ私が、吐しゃ物でうがいをする(これでもオブラート表現)。この先もこういう描写が続く作品であるならば、最初の通過儀礼として、こういう描写があることは分かる。つまり、ここでダメな人は、この先もダメだよ、と。しかし、このあとにそういう描写がないのだ。「オーバードーズ」に期待するような、そういう描写をも含め、この先にはそうしたいわゆる危ない描写はない。どちらかというと、即物的で、具体的で分かりやすい描写ばかり。ならば最初にこういう描写を置く意味はなんだったのだろう?掴めない。
主人公が一時的にあっちの世界に行っていたという描写が必要だったとのだろうか。いや、しかし、もし仮にそうだとしても、ほかに書きようはあったとぼくは思う。


主人公佐倉明日香28歳、バツイチ。物語は下品でぐろいへんてこな夢から始まる。現在の恋人と大喧嘩をした末、酒を飲みながら、以前通っていた心療内科でもらい、服まなかったけど、高かったので捨てられなかった煎餅箱に取っておいた薬物を大量摂取した。気分良く薬物を大量に摂取したときは、酒の酔いもあり、正常な判断もなくなっていた。部屋で瀕死になっている彼女を見つけた、恋人鉄ちゃんの通報で救急車が呼ばれ、気がつくと病院のベッドに拘束されていた気になるのはかけだしライターとして、やっと署名入りで連載をかちとった原稿の締め切り。しかし連れ込まれた先は精神病院。クワイエットルームへようこそ。明日香の入院した部屋は、この病院のなかでもそのとき一番重症の患者を隔離しておく部屋。がんじがらめの規則、担当医師と同居人の許可がなければ退院できないという。
私は自殺するつもりなんてない!叫べども届かぬ明日香の声。そんなこんなで精神病院に入院した明日香の14日間の物語。
医療費が高く、融通の利かない閉鎖病棟での生活。そこには拒食症の患者サエちゃん。同じ拒食症だけど、自分は違うといい、明日香になつくミキちゃん。もうすぐ退院だという、ご主人がお医者さんで比較的まともに思える栗田さん。規則の厳しさを逆手にとり商売をしている西野さん、この人は少しヤバそう。そして、この病棟の古株、まだ18歳なのに、この病棟に5年半いるというアイちゃん。ほかにも一日一回は退院の支度をする人やら、自分の髪を焼いてしまった人やら。たくさんの、いろんな患者の姿があった。
自分は正常だと思う明日香の目に映るそれらの人々の姿と、そしてそんな明日香を見舞う、鉄ちゃん、そして鉄ちゃんの弟子のコモノもひきずりこんでの物語。


この作品は精神病院を舞台にしたり、あるいは精神病を扱う小説にありがちな、主人公自身が精神を病み、狂気と現実の狭間で揺れ動く物語ではない。この主人公はあくまでも「健常」である。突き詰めれば勿論、主人公自身は本当に「健常」なのかどうかという問題はあれど、基本的には「健常人」が異世界たる「精神病院」で過ごさざるを得なかった物語。この辺の読み方はどうも他のネットの本読み人の読み方とはちょっと違うようだ。ぼくはこの作品はあくまでも、健常者が精神病院という普通の世界と違う世界に入り込み、巻き込まれるドタバタの物語にしか過ぎないと思う。つまり、それほど深読みは必要ない。(※あえて記すが、この文章が意味するのは精神病院を差別する意図はない。あくまでも壁の向こうの世界という意味での「区別」である。)
どうも、心優しい本読み人の方々は、この作品について深読みをされているようだが、主人公が退院するときに、この異世界の痕跡をまったくもって捨て去る、それも病院のゴミ箱へというのが、この作品のすべてを象徴しているのではないだろうか。
行きて帰りし物語」これはトールキンの「ホビットの冒険」だったかな。主人公が(異世界を)旅して戻る、そしてその間に成長をする。これはそういう類型の物語。
異世界の苦く温かい生活を通し、彼女は大きく成長する。恋人である鉄ちゃんとの物語の終わりも経験する。
きっと彼女は二度とこの世界に戻ることはないだろう。だって、彼女にとってここはもう記憶にさえ残らぬところ。残さないところ。彼女は明日を見つめて生きていくのだ。


最後に一度この異世界を抜け出したはずの人物が戻ってくるのだが、なんとも皮肉な終わり方。しかし、それはまさに「劇」的。ぼくは、そこに主人公の未来は象徴されていないと思う。まさに、とってつけたにやりを誘う演出。


おもしろくないわけではなかった。しかし、それほどにおもしろいというものでもなかった。その辺が正直な感想。可もなく、不可もなく。ただ、芥川賞候補作は、ちょっと評価しすぎでは?と思わないわけでもない。