カンニング少女

カンニング少女

カンニング少女

カンニング少女」黒田研二(2006)☆☆★★★
※[913]、国内、現代、小説、青春、カンニング


※ネタバレあり!未読者は注意願います。


表紙のイラストに騙された・・(苦笑)。
残念ながら、読むほどの価値はなかった。ぼくがあまり評価しないラノベでさえ、判り易く訴えるテーマがあるだけ、読む価値があるのではないかと思えるほど本作品は内容がない。例えば読み物としては・・と、好意をもって書きたく思うところはあるもの、振り返ってみると、やはりあえて辛口で評するほかはない。そんな作品。
この作品が「読めない」という訳ではない。平易で分かりやすい文章で書かれ、最近、習い覚えた言葉で言えば「リーダビリティー」は高い作品だと思う。しかしその筆力をもってして、なぜこの程度の作品にしかできなかったのか、それが残念。


都立K高に通う天童玲美。地味でおとなしくまじめな彼女が、入試を4ケ月後に控えた10月のある日、突然、有名一流大学である馳田(はせだ)学院大学に合格しなければと言い出した。交通事故で死んだ姉、芙美子の死の真相の一端を探るために。
死んだ姉の部屋で姉の手帳を見つけた玲美は、死の前日のメモに気になる記述を見つけた。<その人はいつもと同じようにサマーセーターを編みながら、しかし思いつめた様子で私にいった。「絶対、口外しないでほしい。ほかの誰かにしゃべったら、この先、生きていないよ」ゆうべのレミとそっくり同じまなざしで>。メモに書いてあった<ゆうべ>は、玲美が姉と大喧嘩をした夜だった。
手帳を順に追っていくと、姉に警句を与えた人は、姉が入りたいと思っていた咲田ゼミの美人の助手の鈴村のように思える。彼女会って話を聞きたい。しかし馳田学院大学のセキュリティーは厳しく、部外者が入り込むのは難しい。そこで自分が馳田学院大学に入学して、生徒として大学構内に正々堂々と入り、鈴村と会い直接話を聞く。それが玲美の辿りついた結論だった。
玲美の幼馴染、おそらく東大に一発で合格できるだろうと思われている学校一の才女、並木愛香、そして同じく玲美の幼馴染、機械いじりの天才平賀隼人、そしてひょんなきっかけで仲間になった、亡くなった玲美の姉、芙美子と陸上部で一緒で、玲美のクラスメイトである椿井杜夫の三人が、玲美の大学合格のために一肌脱ぐことになった。彼らの出した結論はカンニング。愛香の頭脳と隼人のマシンを駆使すれば、馳田学院大学入試突破も不可能ではない。
しかし、入試当日、問題は起こった・・。果たして玲美は無事、合格できるのだろうか・・。


まず、この作品が何を書きたい小説なのかよくわからない。オビには「これは、カンニングと汗と青春の物語。だけど本当は美しい姉妹の物語です。読んでよかった!」あるいは「『正々堂々と闘ってないあたしは卑怯者だよね』『仕方がないよ。これは戦争だもん』」とある。ここから類推するなら「カンニング」「青春」「姉妹愛」あたりがキーワードになる。
まず「姉妹愛」。申し訳ない、これはまさにとってつけたようなテーマ。ただ、姉の死の真相を知りたかっただけ。感動の(はずの)ラストに繋がるキーワードなのだが、そのラストがぼくには「とってつけたよう」にしか思えない。芙美子、玲美姉妹の確執や相互理解といったものがもっと深く、具体的に書かれていれば、また違った感想となったと思うのだが・・。


「青春」。青春小説とはそれだけで、読者に受け入れられやすい小説ジャンル。若き未熟な青年たちが、困難と出会い、それを乗り越え、そして成長していく物語。それはかって青年であった大人の読者にとっては、過去の自分たちの姿であり、あるいは同年代の読者にとっては、まさに今の自分の姿。物語の登場人物に自分を重ね合わせ読むことのできる小説。勿論、起こる事件は千差万別であり、あるいはそれは傍から見れば些細な困難かもしれない。しかし登場人物の心の動きを自分のものとして読むことで、共感を得ることのできるスタイルであれば、些細な困難であってもよい。登場人物にとって、そして登場人物に共感する読者にとって、主観として問題となるならば成功だ。だいたいが若者の悩みなど、後から振り返れば実は大した問題でないことが多い。しかし困難と直面するそのとき、は大した問題なのだ。そんなこんな青春小説は、ぼくも甘めの評価になってしまうことが多い。客観的ではいられない。主観的な読み方になってしまう。青春小説とは、そういう小説。
しかしこの小説の場合、青春小説なのに、そこがうまくいっていない。主人公の直面する困難に共感できないのだ。カンニングが悪いことであるという一般的な認識を覆すほどに、カンニングを手段として用いる正当性をこの作品では感じられない。たとえばオビにある『これは戦争だもん』をもっと意識させるような描写があれば話はまた別だ。「戦争」というのは、主人公が己の意志と関係なく戦場に放り出され、なおかつ生き残らなければいけない状況。例は悪いかもしれないが「バトルロワイアル」(高見広春)は、まさにそういう状況であり、そういう意味では青春小説の典型的パターンだった。しかし本作品で、受験を選ぶのは主人公自身であり、決して「自分の意志と関係なく」ではない。勿論姉の死の真相を知るために「致し方なく」なのだが、それが読者にカンニングを許すほどに、共感を呼ぶほどに書き込まれているとは、残念ながら言えない。
この作品では別の方法で問題の人物と会う手段を考えるべきではないのだろうか。そしてまた、姉の死の真相を知るのが、入試を突破、入学してからでいいという、時間的にとても「悠長」だということもまた緊迫感を削ぐ。カンニングというイリーガルな手段を正当化するには、切迫したものがなくてはいけないのではないか。4ケ月後でいいなら、一年間浪人してみっちり勉強してからでもいいのではないか。『これは戦争だもん』の一言は、いまどき流行しないひと昔前の「受験戦争」という概念をなぞり、無理やりカンニグを正当化しようとしただけにしか聞こえない。


<ネタバレ!!!未読者は注意願います>


あるいは百歩譲って「カンニング」を書くための小説であるとしても、主人公の「地味でまじめでおとなしい少女」という設定と「カンニング」が似合わない。もっと要領のいい、あるいはしたたかな人物とカンニングなら、また違ったドタバタ・コンゲームも期待できる。しかし敢て、ミスマッチを狙うにしても、これはどうなのだろう。ミスマッチのままカンニングと並行して、幼馴染の才女、愛香のツボを抑えた要領のよい勉強指導によって、自分の実力のみで合格するという展開なら、カンニングはあくまで道具にしか過ぎなく、まだ納得できる展開。しかしこの作品の決定的な問題は、主人公が本番の入試でカンニングをしてしまったということにある。彼女がカンニングをするのは、カンニングの物語なのだから当たり前という意見もあろう。しかし、緻密に用意されたカンニングを敢て、否定することもカンニングの物語だからこそありえる展開。例えば、「ごめんなさい。みんなの協力はとても嬉しかったけど、やっぱり試験は正々堂々と受けなければ、マジメに勉強してきたほかの受験生に申し訳ない」とか。「やっぱり、実力でもう一度来年受けなおしてみる」とか。そういう方法もベタかもしれないが、この主人公には似合う気がする。青春小説なんて基本はベタなのだ。読者が気持ちよく読むためには、ある程度読者の想定のなかで物語は進まなければいけないと思う。そういう意味で、この「地味でまじめでおとなしい少女」が実際にカンニングをしてしまったことは、予想を大きく裏切られた。残念なことに「気持ちよく」ではなかった。
ここに違和感を抱かなかった読者は、もしかしたら最後の試験で、主人公が綴る回答にうまく感動して終われるのかもしれない。ただぼくはこの最後の回答についても、それほど買っていない。それは、そこに至るまでの各登場人物がうまく描けていないからだ。この主人公の回答は、主人公をとりまく人間と人間関係がきちんと書けていれば生きるもの。ところがぼくには彼らの「人間」を感じ取ることができなかった。故にまた、唐突にとってつけたような印象を覚えないではいられなかった。愛香、隼人、杜夫、それぞれの人間関係の設定はきちんと区分けが出来ているのに、人間としては描けていない。それは、もうひとりの重要人物、咲田ゼミの助手、鈴村も同じ。なぜ、彼女が不正をそれほどまでに憎むのか、そのバックグラウンドに踏み込めていない。


カンニング」ギミックを駆使してカンニングに臨む。これは数多のカンニング小説の醍醐味。荒唐無稽なものもあれば、実際に通用しそうなものもある。作品の内容によっては、荒唐無稽なものであっても許されるのだろうが、本作品はおそらく、緻密なギミック、現実に実現できるような革新的なギミックを目指したかったのだろう。しかし、あれ?どこかで聞いたようなアイディア。細かいディティールは違うのだろうが、「FAKE」(五十嵐貴久)[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/10743680.html ]の、前半のエピソードのアイディアと基本的には同じじゃない?
そしてこの作品が目指す方向と違う、荒唐無稽な話になってしまうのは、解答用紙を偽造するというエピソード。さすがに幾らなんでもあのギミックからでは無理だろう。QRコード云々のエピソードも、一読すると騙されてしまうような気がするが、よくよく考えるとちょっと無理。下敷きは許可されるにしても無地だろう。結局、期待したギミックにも満足できない作品に終わった。


書く文章のリーダビリティは高い作家だということは認める。しかし書ききれていない。残念だ。


蛇足:カンニングは勿論いけないこと。しかしわかりやすい「権力との闘い」の構図を作りやすい。そういう点でウケをとりやすいジャンルかもしれない。しかしあまり感心した作品には出会った記憶がない、映画やマンガでも。サラリーマンマンガ「なぜか笑介」で有名な聖日出男の往年の名作(?)マンガ「試験あらし」くらいか。細かい設定等はあやふやになってしまったが、毎回あれやこれやのカンニング方法を考案し試験を乗り切る作品。ばかばかしくて楽しかったなぁ。