夜のピクニック

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夜のピクニック

夜のピクニック恩田陸(2004)☆☆☆☆☆
※[913]、国内、現代、小説、青春、高校生活、長距離歩行


高校の頃、大晦日、横浜の港の汽笛を聞いてから(まるで「ガラスの仮面」だ)鎌倉まで男女の仲間数人約30kmを歩いて初日の出を見に行った。いったい何人でいったのか正確に思い出すことができない。ひとりが新聞配達のバイトのため、始発電車で帰っていった。日の出より一時間も早く着いてしまった鎌倉の山の上はとても寒かった。海から上ると思っていた初日の出は、残念なことに海の向こう房総半島から上ってきた。ちょっとがっかりした。
思い出してみると、高校生のくせに、無邪気に男女で仲良かったじゃないかと微笑ましく思える。でも裏で恋の鞘当てとかがあったことも知っていた。当時は、敢えてそういうことに気づかぬフリ、関わらないようにしてきた。そういうことで壊れる関係が怖かった。でも最近というか、いわゆる大人になって思い返すと、もしかしたらつまらない青春を送ってしまったのではないかと少し後悔することもある。恥ずかしながら正直に語れば、当時のぼくは頑なに男女交際の延長には結婚というゴールを想像していた。嬉し楽しい男女交際なんてあるまじきと考え、切ない恋心を人知れず抱いていた。なんというかいまどき(そのころも)流行らない決意を固めていた。とはいえ、まったく彼女がいなかったという訳でもない。慎重に、慎重を重ねおつきあいさせていただいた彼女もいた。そして自分勝手にその先に、まぁそういうものを若輩なりに意識していたのだが、その結果がどうだったかは、もはやどうでもいい。
しんしんと冷える大晦日の夜、あるいは元旦の未明に若き男女がともにひたすら歩いていた。そういうシチュエーションがぼくにはあった。もちろんこの作品の、学校全体で行なうものとは若干(かなり?)違うわけだが、ふだんの日常生活とは違う瞬間(とき)をともに歩いて過ごしたという点では、同じ。とても懐かしい気持ちで読み始めた。


青春小説は大好きだと常々語ってきた。それぞれの物語の主人公たちと同じ経験をしているわけではない。しかし同じ年代を、同じような青春の思いを持って過ごしたことで、幾つになっても自分と主人公を照らし合わせ、同化して読むことができる。こんな風にぐちゃぐちゃで整理できない想いを抱えていたんだよなとか。今のぼくらから考えると、本当にどうでもよいことに悩んだりしている姿が、物語の主人公と自分が重なるとき、それは大した問題となる。経済的に独立していない自分と、精神的な独立を意識しはじめるころ、アンバランスな時代。
青春時代とはいつからいつまでを言うのだろう。ひょんなことから高校時代の友人、いや小学校、中学校をともに過ごした友人とメールを交わす機会に恵まれた。振り返ると、彼女とは小学校のころからのつきあいで、どちらかといえば一番親しかったのは中学のころのはずなのだが、記憶に一番強いのは小学校のころだ。小学校を卒業した春休み、ぼくら男の子たちは所在なくつるんでいた。ひとりの友人の家に転がり込むことになったはずなのだが、なぜか友人の家(マンション)の同じ廊下の並びにある、その女の子の家に皆で押しかけていた。もしかしたら、だれかのほのかな想いとかあったのかもしれない。その子の家にはちょうど同じクラスの友達(もちろん女の子)が遊びに来ていた。昼前だったのだろう、その子のお母さんがぼくらを家に招き入れてくれ、サンドイッチパーティーをした。男の子と女の子が無邪気に入り乱れて遊び合う機会もこれからは少なくなる。きっと彼女のお母さんはそう思ったのだろう。肝心の彼女自身がどう思ったのか知らないが(たぶん、嫌だったろうけれど)、それはいまだに忘れることのできない、とても素敵な思い出だ。
思い出のなかのぼくは小学校から高校まで常に同じレベルで青春時代を送っていたと思っていた。しかし最近交わしたメールでは「突然奇声を発していた」ことがあったらしい。都合の悪いことはすべて忘れている。そんなことあったけ?さすがにそんな行動をとるならば、小学校のころだろう。やっぱり年齢なりに幼かったのだなと、いまさら気恥ずかしく思うと同時に、そう指摘されるまで、その頃の自分をそれなりに大人であると思っていた。おめでたい。大いなる幻想だ。もっともぼくだって、彼女が今更指摘されたら恥ずかしく思うような思い出を持っていないわけではない。言わないけどね(笑)。
ともかくぼくの思う青春時代は、小学校の終わりから高校の終わりまで。男女が無邪気に仲のよくふるまえた時期。もちろん、それなりの切ない想いは抱えていただろうし、またその頃とて男性であり、女性であったということを否定するつもりもない。しかし性を忘れるような無邪気さを装え、あるいは純粋な切ない想いを持てたこの時期が青春時代だったと思う。


The MANZAI」を読み、この作品を読んだ。青春小説が続いている。もはや気持ち(だけ)は少年だ。そういう意味で、少年に戻ったぼくはこの作品に胸を打たれた。こういう想いと、出来事は確かに青春時代にはあった。そして主人公二人の物語も、きちんといい方向に終わってよかった。当たりつづきのオススメ作品。青春時代を生きる人と、青春時代を生きた人にオススメの一冊。もっとも、いまさらぼくが薦めるまでのこともない名作なのだろうが。


恩田陸という作家、正直、いままでいいと思ったことがあまりなかった。いいと思っていないのでそれほど読んでいないのだが、各読書諸氏が絶賛する訳がわからなかった。「図書室の海」「麦の海に沈む果実」「ドミノ」「月の裏側」と、あまり感心しなかった。そんななかで今年「チョコレートコスモス」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/33555892.html ]を読んで、ちょっと印象が変わった。もしかしたら、きちんと評価できる作品もある?(って、ファンの人は怒らないこと)。
まさに青春時代のイベントをテーマにしたこの作品が気になっていた。そして引き込まれた。


一年のときの夜間歩行を思い出す。団体歩行の三分の二が終わった辺りではなかったか。腹痛を訴え、路肩で動けなくなった三年生の男子が、泣きながら救護バスを拒否していた。あのとき、こんなことで泣くのかと思った。しかし、今は分かる。高校生活最後のイベントを、途中で一人だけやめてしまうなんてぞっとする。
歩行祭。西脇融の通う北高校で行なわれる、伝統のイベント。80kmの道のりを夕方から、翌朝にかけてひたすら歩く。入学したときからさんざん大変だと脅され、一年、二年と実際に参加してみて、何の因果でこんな行事がと呪ってきたこの行事を、卒業生が懐かしそうに語る理由が、三回目、最後の行事となったときようやく分かってきた。
後ろから、親友の戸田忍が声をかけてきた。今年、同じクラスになった奴だが、とてもうまの合う奴だった。「どうする、決めた?」忍が聞くのは、歩行祭後半の自由歩行をどうするかということだ。忍とふたりで歩くか返答を待っているのだ。忍と歩きたい。しかしその場合走ることになる。膝の故障を抱える融は、膝が耐えられるか自信がなく、回答を先延ばしにしていた。「足の調子をみて決めるよ」。
二人の前を遊佐美和子と、同じクラスの甲田貴子とが歩いていた。あの二人が仲いいのって、不思議だよな。忍がちらりと融をみて意味ありげにささやく。
美和子は老舗和菓子屋の娘で、今日び死語となりかかっている大和撫子。お茶、お花、日舞、さらに剣道の有段者でスキーもかなりの腕前、加えて成績は優秀。そんな美和子に対して、面倒くさいことは嫌い、そうそうと私立文系に「転び」、身体を動かすことが嫌いで遅刻魔な貴子。ふたりの気が合うのは不思議だが、人間、自分のないものに惹かれあうのは永遠の摂理で、学年が進むごとに親しさは増し、自由歩行は二人で歩くことにしていた。
「いいわね、貴子のクラスはかっこいい子が多くて」美和子と貴子に手を振る、忍と融の姿を見て美和子は囁く。このお嬢様、ミーハーで面食いでもあるのだ。「あんたには志賀君がいるでしょ」。美和子は美和子同様、文武両道の彼がいて、まさにお似合いのカップルなのだ。貴子はそれよりも融が投げかける冷たい視線が気になるのだった。
だれにも知られていないことだったが融と、貴子は異母兄妹だった。融の父が不倫をした結果生まれたのが貴子だった。知らなければすんだことかもしれない、しかし父親はそれを告白し、そしてガンで死んでいった。葬式に訪れた貴子母子を見て、融は憎しみに近い感情を覚えた。もし貴子母子が哀れむべき存在であればよかったのかもしれない、しかし父親を亡くし打ちひしがれた融と母の前に現れた貴子とその母の姿は、融の目には堂々と輝いて見えた。そんな貴子がまさか同じ高校に進学し、そして同じクラスになるとは・・。
貴子は心のなかで小さなひとつの賭けをしていた。このまま異母兄妹である融との関係を終わらせていいのか。憎しみあったような状態で高校生活を終われってしまえば、二度と融と会うこともないだろう。しかし、同じ血の流れる兄妹がこのままでいいのか。そんなふたりの関係を誰も知らない。それがゆえに融が貴子に向ける視線を誤解する友人たちが、いろいろとおせっかいを焼こうとするのであった。
歩行祭が始まった。ひたすら歩く。若い身体であっても、それは肉体の限界を超える活動。気のあった仲間たちと、ただひたむきに歩きながら、言葉を、そして心を交わす。果たして完歩できるのか、そして融と貴子の関係はどうなるのか・・。


上記あらすじで触れられなかったが、榊杏奈という重要な人物を忘れてはいけない。高校二年生まで北高におり、今はアメリカの大学に通うため渡米している。貴子と美和子、そして杏奈の三人はとても仲良しだった。国際的な家庭環境で過ごし、バイリンガルである杏奈は、その育ちに反し、奥ゆかしい性格の持ち主だった。そんな杏奈が日本的な集団行動である歩行祭に、いちばんの愛着を持っていた。歩行祭前に杏奈から貴子に手紙が送られてきた。手紙の最後に書かれていたのは「たぶん、あたしも一緒に歩いてるよ。去年、おまじないを掛けといた。貴子たちの悩みが解決して、無事ゴールできるようにN.Y.から祈ってます。」最後の歩行祭に参加できないことを残念がっていた杏奈の手紙が示す意味はいったい何なのだろう。


ひたすら夜を徹し歩く中で通いあう心。それはまた日常生活とは違う瞬間(とき)だからかもしれない。遠くアメリカから気持ちは参加している杏奈。そしてそんな杏奈と杏奈の弟の、仲が悪いようできちんと想い合う姉弟の心の交流。もちろん主たる物語の融と貴子の物語や、それに関わる友人たち、あるいは貴子の母が美和子と杏奈にだけ伝えた言葉も素敵だ。極限まで肉体を酷使したことで成長すること、それは美和子と融だけではない。参加したすべての生徒に成長があったのだろう。頭だけでなく、身体で知ること、そういうことも大切だ。こういうイベントを持つ学校に通うことはとても素敵なことだ。羨ましい。もっともぼくの高校だって負けず劣らず素敵なイベントはたくさんあった。そういうことに夢中になることを、もしかしたら格好悪く思うことかもしれない。しかし一所懸命参加したことは何かを生むし、生んだのだのだと思う。ぼくにとっては高校生活はそりゃあ素敵な思い出が詰まっている。疲労のあまり声の出なくなった文化祭、それでも演劇部の舞台に出た。準備のために徹夜明けで迎えた体育祭。学校に内緒で泊り込み、終業式に学校の植樹にクリスマツツリーの飾りつけをした。そんな傍から見ればくだらないことが、青春の思い出を作るのだ。
くたくたになるまで、夢中になる。それが仲間とだったら最高だ。


蛇足:この本の真価を味わうには、やはり歩くことだろうか。密かに歩行祭を行なおうかと考えていたりする(苦笑)