チョコレートビースト-インディゴの夜-

インディゴの夜 チョコレートビースト (ミステリ・フロンティア)

インディゴの夜 チョコレートビースト (ミステリ・フロンティア)

「チョコレートビースト-インディゴの夜-」加藤実秋(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、club、ホスト、少年探偵団、インディゴの夜


シリーズ物の作品で、その途中の一作品のみを取り出して読んで、それがおもしろければその作品は一冊の作品として成功している。シリーズ物を一番おもしろく楽しむには一作目、あるいは書かれた順番に読むのが一番だということは無論のこと。しかしシリーズであっても1巻、2巻・・、あるいは上巻、下巻というように、作家によって読み方の順番を指定されていない作品は、単独の作品足りえるべきである。そういう意味でこの作品は-インディゴの夜-と副題にあり、「インディゴの夜」の続篇短編集となってはいるが、立派に単独作品として成り立っていた。それを証明するのは、ぼくが前作「インディゴの夜」をまだ読んでいないのに、この作品を充分おもしろかったと思ったから。
単独作品として成り得ていることを認識するために、シリーズの順番を無視した読み方をするのもありだが、その本がおもしろかったとき、順番どおり読むべきだったかなと悩むこともある。ときにシリーズ物は、以前の巻のネタバレがさりげなく含まれていることもある。まぁ、そんなことはこの際どうでもよい。この作品は確かにおもしろい一冊だった。


渋谷のはずれにあるclub形式のホストクラブ、「club indigo」。正統派ホストクラブと一風路線が違う。「クラブみたいなハコで、DJやダンサーみたいなホストが相手をしてくれるホストクラブがあればいいのに」私、このホストクラブの共同オーナーで30代女性フリーライター高原晶が思いつきで発した一言に、表の仕事で知り合った現在同じく共同オーナーであり、大手出版社の窓際編集者である塩谷が乗った。それがこのホストクラブの始まり。狙いは当たり、店は大繁盛。しかしなぜかやっかいな事件に巻き込まれることも多く、そのたびに塩谷が連れてきた謎の美形敏腕マネージャー憂夜さんをはじめとした店の男の子たちと、にわか探偵団を結成して夜の街を奔走している。そして、今日もまた。


「返報者」「マイノリティ/マジョリティ」「チョコレートビースト」「真夜中のダーリン」の4編の中篇から成る。


「返報者」
取材先に突然、歌舞伎町のホスト空也が現れた。頼みたい仕事がある。
以前、ある事件で空也には貸しを作ってしまい、断ることができなかった。空也によれば、最近、空也の店に入店したぼーっとして、何考えているか良くわからない新人ホスト樹。彼にちょっかいを出した奴が、必ず後から災難に遭うことに気づいた。最近では雑誌で同じ取材を受けた別の店のホストが、黒ずくめの女に薬品をかけられるという事件が起きている。樹が犯人なのかどうか調査してくれ。
※犯人というか、犯行がありえない。あまりにベタな「おはなし」。ドラマのよう。


「マイノリティ/マジョリティ」
ジョン太と犬マンと三人で流行のラーメン屋で列を作っているとき、仕事で来られないと言っていたはずの塩谷が若い女性とふたりで歩いている姿を見かけた。ラーメンより、おもしろそう。塩谷さんが一緒にいた女性は、塩谷さんの会社の後輩、原島の奥さんだった。ある取材旅行の帰りから原島がその姿を消した、失踪したのだ。塩谷さんはその相談を受けていたのだ。俺は力を貸すと決めた。こそこそ覗いていたお前らも手伝え。塩谷さんに言われ調査を開始した。そして塩谷さんの同期、柘植さんが副編集長をしている、原島が今勤めるファッション雑誌に行き当たった。果たして原島さん失踪の真相は?
※三週間はちょっと長すぎたのでは。謎というほどの、謎でもない。まさに探偵ごっこ


「チョコレートビースト」
新人ホストの面接に行くはずだったのに、ハワイ帰りのなぎさママに捕まった。有無も言わせず連れて行かれた、なぎさママの経営する南平台の中華ダイニングバーでは、まさに強盗の犯行現場。カタコトの日本語を操る中国人らしき犯人を、なぎさママが華麗な柔道技で投げとばし、難を逃れたと思ったら、私が犯人に投げつけたなぎさママのバッグを犯人が持っていってしまった。バッグには、なぎさママが愛してやまないトイプードルの「まりん」43万円也がはいっていたのだ。「まりん」を取り戻すようママから命じられた私は、indigoの仲間と調査を開始した。手がかりは私の記憶にある犯人の刺青だけ。
※これも、ドラマのようなお話。映像がありありと目に浮かぶよう。


「真夜中のダーリン」
原稿を書いていた午前一時、突然電話が鳴り始めた。憂夜の低く甘い声が、吉田吉男がさきほど倒れたことを告げる。吉田吉男はclub indigoにふた月ほど前にはいった新人ホスト。特別ルックスがよいわけでも、客あしらいが上手いわけでもないが既に人気ホストの一人。とにかく派手、そして目立つ。常時ハイテンションで、声も大きいしリアクションもオーバー。そんな彼が倒れたという。ロッカールームで会った彼はテンションの高い応対をするが、その目が笑ってないことを見逃さなかった。
田吉男は早くに両親を亡くし、親戚中をたらいまわしにされ、肩身の狭い子ども時代を過ごしていた。それがバドミントで人生が変わった。高校は奨学金付きのスポーツ推薦で入学、卒業後は実業団に内定した。その矢先、心臓が悪いことが発覚した。選手生命が絶たれた吉田吉男は、残りの人生好きなことだけやって生きていこうと決め、ホストの道に入ったという。命だけ助かったって、その後俺はどうしたらいんですか?嘯く吉田吉男に塩谷さんが聞く「やりたいことはやりつくしたのか?」吉田吉男は答える「強いて言えば、ホスト選手権大会かな」『真夜中のダーリンをさがせ!第一回ホスト選手権大会』壁に貼られたポスターは、日本中の人気ホストを集めてナンバーワンを競わせるという企画だ。「わかった、Indigoの代表として、あれに出ろ。出るからには優勝を目指せ」
かくしてコンテスト参加に向け、indigoのメンバーが協力することになった。吉田吉男は一次審査を無事通過した。そしてその頃からindigoに嫌がらせが始まった。果たして嫌がらせの真相は、そして吉田吉男の運命は?
※ 最後に手術室へ向かう吉田吉男の歯笛は、ベタだけど少し胸にじぃんと来る。しかし、あの選曲。若い読者にどれだけ通じることやら・・。


面白い一冊であった。しかし、それはあくまでも読み物としての評価。小説としてどうかといえば、深みに欠ける。そういう意味で客観的に、書物として万人にオススメするほどのものはない。おもしろい、それだけを評価するという意味ではオススメ。しかし後に何か残るものはない。ほろりとした読後感、とくに最後の「真夜中のダーリン」には、そういうものがあるかもしれない。しかし、それは月9というか土9(日本テレビね)のドラマの一話のノリのものでしかない。ぼくはそう感じた。


レビューにおいて敢えてぼくが「読み物」と「小説」を区分していることで、ある人から疑問を呈された。簡単に説明をする。書物のジャンル分けを厳密に行うことは難しい、しかしレビューにおいて、便宜的にジャンル分けを行うことにより、より自分が伝えたいことを分りやすく伝えられるのではないかと、ときにぼくは「小説」と「読み物」という言葉をレビューのなかで区分して使う。この場合「読み物」という言葉は、あくまでも一過性の娯楽小説をイメージしている。おもしろい、しかしただそれだけ。それが悪いということでは無論ない。ただここで「小説」と区分して書き表したい概念は、読み終おせて何かある、読後に読者の心に何かを残す作品だとイメージする。つまり逆説的にいうと、大切な何かが少し欠けたものが「読み物」なのだ。「読み物」が「小説」と比べ、劣ったものということではない。しかし「何か」がある「小説」と比較すると、どうしても客観的な評価やオススメ度は下がりがちになる。しかし「読み物」として手放しにオススメする作品だって無論ある。それは過去のアーティクルのいくつかを見てもらえばわかるだろう。


そういう意味で、この作品はトレンディードラマのようにおもしろい。ホストクラブを舞台にしているが、午後9時台の健全なドラマ。キャラクターがはっきりとしており、わかりやすい。
主人公である女性フリーライターはかっこよいのかわるいのかよくわからないが、「妄想推理」と言われる推理を広げてみせる。前作を読んでないので、どのような敬意で indigoのオーナーになったのか分らないのだが、従業員たるホストたちとは丁々発止の掛け合いをする。オーナーと従業員の会話ではない。あるいは彼女が心のなかで毒づく、当は得ているのだがそれを言ったらおばさんよという心の台詞。独身キャリアウーマン(死語?)、一見かっこよい女性だが、一皮向けば熱く、燃える性格。大手出版社の窓際編集員の塩谷。昔は切れ者の編集者だったようだが、今では会社の厄介者。裏家業のホストクラブのオーナーとして表(昼)の世界と別の世界で活躍をする。塩谷が連れてきた謎のマネージャー憂夜。彼の秘められた過去。そして、ええ?っというホストの名前とそのいでたち。ジョン太、アレックスはともかく、犬マン、DJ本気って?まさに大人の少年たち。彼らに絡むのが正統派ホストの空也。歌舞伎町のホストクラブ<エルドラド>のナンバーワンにして、日本のホストたちの頂点に立つ超売れっ子、業界の帝王。さらに渋谷で数件のバーやレストランを経営するやり手で、夜の世界ではちょっとした有名人、なぎさママ。美容整形、その他の力技で常時しみ・しわひとつない肌を維持し、オートクチュールで身を包むのはビッグサイズのその身体。戸籍上は立派な男。そして事件があると顔を会わせる渋谷署の豆柴こと柴田刑事、そのたびに事件にクビを突っ込むなと彼らを怒鳴る。
きっちりと役割分担のできたキャラクターたち。しかし、設定されたキャラクター以上の人間像までできていない。この後続くシリーズで、少しずつ登場人物たちの人生や、過去、心の動き、悩みなどが描かれ、人間が見えてくるのかもしれない。しかし、現段階では彼らは物語を進めるための駒。わかりやすいコスチュームとレッテルを貼られた人形たちは、キャラクターの顔が思い浮かばない。勿論それは、前作を読んでいないからなのかもそれないが・・。


このシリーズはおもしろく、この先も安心して読める読み物だと思う。しかしもし更に一歩進み「小説」になったらどうなのだろう。その余地があるだけに期待と不安がある。
「小説」となったとき、この作品で少しだけ触れているホスト社会の客を「泡に沈める」、つまり客から金を搾り取れるだけ取るという現実に触れないではいられないだろう。さらっと過ごすことのできるうちはいい、しかし水商売はキレイごとではない。とくに、実体のないイメージ(サービス?)で大金を稼ぐホスト社会は汚いことばかり。女性の心を弄び、お金を引き出す世界。それをいっときの夢と引き換えにした、真っ当な商売と言い切るのは無理があるだろう。ホストに溺れる客が悪いと言い切ってしまっても、シリーズは成り立たない。明るい色物ホストクラブの少年探偵団を、ただ楽しい娯楽読み物と割り切って読めるうちはいい。しかしそうした水商売の本当の意味の裏側に触れなければいけなくなったとき、この世界は変質してしまうだろう。
その意味で、やはりこの作品は「読み物」がいい。明るく楽しい仲間たちと、夜の世界のちょっとだけの闇を暴き、闇を討つ。水戸黄門大岡越前で構わない。ぼくはそう思う。


蛇足:池袋ウェストゲートパーク(IWGP)・シリーズ(石田衣良)との類似を指摘する意見をネットで幾つか見た。しかし、本質は違う。最近のIWGPはともかく、初期のIWGPは立派に青春「小説」だったと思う。
蛇足:上で書ききれなかったが、人間も書けていないが、ミステリーとしてもどこかありきたりで、見たこと、聞いたことのあうような話である。そこがもしかしたら魅力なのかもしれない。