ユグドラジルの覇者

ユグドラジルの覇者

ユグドラジルの覇者

ユグドラジルの覇者」桂木希(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代(近未来)、小説、ミステリー、IT、金融界、経済小説、友情、横溝正史ミステリ大賞


今年度の第26回横溝正史ミステリ大賞受賞作。前年度受賞作「いつか虹の向こうへ」伊岡瞬[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/8717831.html ] を「もしかしたら、☆二つが妥当なのかもしれない。」と評したことを考えれば、本作も☆二つが妥当のような気がする。ぼくにはこの作品が、大賞どころか、文芸章の何らかのタイトルを受賞したことさえ納得できない。いやそれは勿論、ぼくという読者が金融とか経済の動きに疎く、作品の魅力を読み取る能力に欠けるせいなのかもしれない。しかし仮にそうだとしても、経済マニアではない、一般読者を対象にしたミステリ賞と思われる賞で、一般読者がわからない作品に授賞させるということがいいのか甚だ疑問だ。
同じ経済的なテーマを扱った作品で「リスクテイカー」(川端裕人)[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/3544239.html ]という作品がある。同じくぼくのわからない世界であったが、それはとてもおもしろい小説だった。つまり、同じ経済とか金融をテーマ(というかモチーフ)にしても、楽しめる作品があり、片や楽しめなかった作品がある。つまりこれが「小説」なのだ。門外漢の読者をも納得させ、楽しいと思わせる作品こそ成功した「小説」なのだ。本作品に、ぼくはそれを感じることができなかった。


とにかく全体的にまとまりを感じなかった。選評を覗くと「娼婦の娘から欧州金融界の女帝となるハンナ・ベルカッツの描写が秀逸(大沢在昌)」「インターネット取引は全くわけがわからないが、物語を楽しむことができた。個性ある人物を配した戦いの絵巻−という、基本線が守られたからである(北村薫)」と、登場人物に焦点を当て評価されたよう。しかし確かに魅力ある登場人物設定であるものの、それらがドラマとして有機的に絡み合い物語を紡ぎだしたとは言いがたい。人物設定は悪くない、しかし生かしきっていないし、「小説」もできていないような気がする。例えば、大沢の評価したハンナというキャラクターは、ぼくはこの作品にその「人間」の部分をも書いて登場させるべき人物であったのか疑問を覚える。養父である欧州金融界の異端児「獣王」カベンディッシュとの関係を深く描き、ここまで「人物」を描く必要があるなら、ハンナ自身をもっと物語に深く関わらせるべきであったのではないだろうか。作品におけるハンナは、重要キャラクターかもしれないが、しかし「道化」にしか過ぎない。あくまで脇役なのだ。そしてまたその「人間」を描くエピソードが、彼女の出番の最後に書かれるが、それが深く「人物」を彫りこむに至らない。ならばなんのために書かれる必要がったのか?中途半端なエピソード。
そして作品の主人公はだれかと言えば、表向きの主人公矢野健介では決してない。脇役のひとりにしか過ぎないと思っていたある人物が本当の主人公で、さらに、さらなる脇役でしかない人物が影の黒幕なのである。読者は愕然とする。ありえない、それではできすぎだ。まさに「お話し」ではないか。調子のよいお話。そういう意味で大沢在昌が「新人賞は、ほころびがあっても壮大な風呂敷を広げた作者が勝ち取る権利がある」という言葉はピッタリで納得がいく。ただしぼく自身は、広げた大風呂敷はきっちり畳んでもらわないと困るほうだ。本賞の選者で唯一、坂東眞佐子のみが本作を評し、ステレオタイプの登場人物が交差して話を構成する漫画的な物語であり、主人公の矢野が、その人物が実在できうるならば、その納得のいく経過を描いてほしいと述べるのが一番妥当かと思う。いや、先に述べたとおり矢野自身決して主人公ではなかったのだが。


西暦2003年ブラジル。貧民街に流れ辿り着き暮らしていたヤノケンこと矢野健介のもとに一人の男が訪ねてきた。以前、ネットを通じ共同で大きな商売を手がけ、ともに大金を得たこともある。今回もその金を元手にある計画について話を続けてきた。それが成功すれば莫大な富を手中に収めることができる。しかし健介は躊躇していた。もとより金銭に執着する人間ではない。貧しかろうと今の生活には満足している。計画に身を投じるということは、その生活を捨てていかなければならない。そのことが健介の心をためらわせるのだ。そうしたなかで、健介は男にこの地まで呼んだのだ。顔を見たかった。健介の言葉に男も答える、私も君の顔が見たかった。そして、私の手をとってくれ。世界を賭けた戦いを始めよう。
200X年。主要国八ケ国財務相中央銀行総裁会議、通称G8は経済界を震撼させるひとつの声明を発表した。「国際間電子商取引及び株式金融取引における電子処理手順、データ変換統一基準、並びに関税、公証、認証、監査に関する国際間統一規定の批准、及びその付帯事項」それはつまり、世界中の個人、企業が、コンピュータ同士で取引を行うことを意味する。
それは期待が大きい反面、危惧もまた大きい案件であった。ひとつをあげれば完全な電子取引を実現するためにはデータの規格化、統一化が必要であるわけだが、各国の、各企業の、技術基盤、経済レベル、イデオロギー、法律の違いなど、その統一化を阻む壁は数え切れない。しかし、そのような問題を抱えつつもこの声明が発表されたのには理由(わけ)があった。世界経済の影の支配者である。財閥グループの思惑があったからだ。画して、世界はネット経済の嵐に放り込まれた。
資源を持たぬ、アジアの小国であるシガポールは、国の威信をかけアジアの金融センターの地位を保持するべく、電子取引の基盤作りに注力していた。その結果、皮肉なことに人々は事務処理から解放されたものの、反面介入する部分がなくなってしまった。やるべきことのなくなったトレーダーやブローカーは無用となり、コンピュータの行う資金運用の成績を確認するだけとなってしまった。そんなある日、シンガポール市場が激しく動き損失ばかりが出るようになった。しかも原因はわからない。それはシンガポールだけで起こり、東京、香港、マレーシアでは起きていなかった。もとはウォール街のトレーダーで狂った取引を行い巨額の報酬を得ていたジャック・ブレナムはシンガポールの街を走っていた。勤めていた投資会社のアジア支局へ、アジア市場の尖兵として送り込まれ、その後アジアの経済減速に遭遇した際も、米国に戻ることなくアジアでの転職を繰り返したジャック。多額な報酬を蹴り、アジアへの出向を飲み、その後の選択をしたのは、残された理性のなせる業だったのかもしれない。そんなジャックの長年のトレーダーの勘が、この市場の動きのおかしさを訴える。市場では謎の投資家「華龍(ファロン)」が噂になっていた。
そしてジャックは独自の調査の結果ひとつの会社に辿り着いた。あなたのために用意されたと言われた部屋でジャックに話しかけてきたのは、ハンズフリースピーカーから流れる電話の声。日本人を名乗るその声が、自分が華龍でありもはや無一文である、ジャックにアジアを譲ると語る。「あんたのこれからが必要なんだ。我々の持っているものを引き継いでもらいたいんだ」。邪気のない声はジャックに華龍になって欲しいと語った。それはジャックの今まで隠してきた過去をすべて調べた上での申し出であった。
一方、欧州一の資本運用会社、EU経済の頂点に君臨するELMグループの中枢であるELM本社では今日も二代目社長ハンナ・ベルカンツが年長のスタッフに激を飛ばす。ELM自体はもともと、イギリスの在郷の富豪(ジェントリー)である”獣王”エドガー・カベンディッシュの創業した企業である。義父の銀行の建て直しに端を発し、金融界に己の狩猟趣味の猟場を見出したカベンディッシュは、相場に於ける野性的な「観」と非情強引な相場戦略により、金融界に名を馳せた。やがて欧州随一の資産運用の長になったとき、誰とも知れず口にした蔑称は欧州中の通り名なっていた「獣王(ビースト・キング)」。そしてその彼が自分の二代目に据えたのが貧民街のストリート・チルドレン上がりのハンナ・ベルカンツであった。本当の母親ともわからぬ娼婦のもとで幼い頃を過ごしたハンナは、やがて養護院にひきとられた。しかし養護院を飛び出し貧民街に戻り、ひとりストリート・チルドレンとして生きてきたハンナ。その彼女の前に現れたのがカベンディッシュであった。相場世界での狩猟に飽き始めたカベンディシュは己の後継者を望んでいた。業界、学校、学会など出所を問わず有能な人間を捜し求めたカベンディッシュの調査の網に、養護院に残された驚異的なIQの数値の検査データがひっかかったのだ。
ロンドン駅の雑踏でカベンディッシュに出会ったハンナは、その獣の目に射竦められた。そしてハンナはカベンディッシュの養女となり、高いIQに裏打ちされた成績を収め、名実ともにカベンディッシュの後を継ぎ、金融界の女王に君臨していた。唯一、ストリートチルドレンあがりの乱暴で汚い言葉遣い、態度を改めることなく。
そしていちベンチャー企業から立ち上げ、米最大手のIT企業ユグドラン・ユニバーサル社のCEOにまで上り詰めたブライアン・フォッシーは暗い思いを秘め・・。
全世界をまたにかけたIT金融ネットを賭けた陰謀が始まる。果たして、それぞれの狙うものは。勝者はだれだ。


長くあらすじをまとめても本作の核となる部分に触れた気がしない。もともとの主人公である健介たちの狙いがはっきしりない。狙うのは富でない。もはや無一文でさえある。そんな彼らの本当の狙いが明かされたとき、読者は唖然とする。まさか、そんな馬鹿げた話しがあるかい。


影の陰謀者が、なぜここまで、数年をかけ、健介、ジャック、ハンナをも巻き込み、数年もかけ準備して行うのか、全然納得がいかない。よほど富を得ることを目的としたほうが、ぼくら読者は納得できるのではないか。
自分では操られていると思わず、他の人間の計算に操られ人が行動するという「お話し」をぼくは好まない。たとえどんなに計算していても、計算以外の何かが入り込むのが、現実であり、人の心だと思いたい。刹那的な反応や行動を予測するのは、まだ許せるが、数年をかけて、その日、そのときに、行動を促すという点で、この作品をぼくは胡散臭く感じた。そして、この終わり方。
なんかなぁ。


大風呂敷を広げる、と先に書いたが、実は風呂敷さえ広げていないのではないかとぼくは思う。なぜこの作品に賞を授賞したのか、ぼくは疑問だ。


追記:オチが家族愛ならまだ救われた。しかし、友情とするなら、やはり書き込みが不足。とってつけたようなという印象派免れないだろう(2006.oct.30)


蛇足:ユグラドジルは「世界樹」のこと。この作品では世界中に幹を張るインターネット界をそれになぞらえている。しかし作品の本質がつかみきれない中で、ぼくはとても安易なタイトルにしか思えない。