ヘヴンリーブルー(「天使の卵」アナザーストーリー)

ヘヴンリー・ブルー 「天使の卵」アナザーストーリー

ヘヴンリー・ブルー 「天使の卵」アナザーストーリー

「ヘヴンリーブルー」(「天使の卵」アナザーストーリー)村山由佳(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、恋愛、「天使の卵」、「天使の梯子


純愛小説のバイブルとして、まさにバイブルのようにその名を知られる「天使の卵」。その映画化を記念して書かれた作品が本作。そういう意味で単独の作品として成り得ていない。そこがこの作品の強みでもあり、弱みである。


天使の卵」で同じ年の恋人歩太が、大好きだった8歳上の姉春妃と付き合うようになり、苦しんむ夏姫。妹の気持ちを思えば、姉として、してはいけない恋のはずなのに、しかし春妃と歩太の恋は哀しいまでにまっすぐに透き通るような恋であった。そしてあっけなく迎える春妃の死。残された人の悲しみ、苦しみ。
そして「天使の梯子」。春妃が死んで10年のときが過ぎた。大学生の慎一はバイト先のカフェで高校時代の憧れの担任夏姫と再会する。慎一のバイト仲間にメニューの内容を尋ねる夏姫。慎一はその声を聞いただけで夏姫とわかった。カフェで起きた事件をきっかけとし慎一のことを思い出す夏姫。そしてかって愛し、そして憎んだ姉と同じように、8歳年下の慎一とつきあうようになる。物語は慎一の視点で進む。春妃の死後、残され苦しむ夏姫と春妃の恋人だった歩太の姿、そのふたり、いや春妃の三人の赦しと解放を描き、また夏姫と慎一の恋を描く。


本作はこの二作を通して読者が味わった鮮烈な想いの物語を、「天使の梯子」でやっと赦され、解放された夏姫が、さらに二年を経てあのときのことを振り返る。夏姫の視点で描かれた、「アナザーストーリー」というより「回顧譚(メモリーズ)」とでもいうべき作品である。あれから彼らはどうしているだろう、そう思う読者の気持ちに応えるような作品。薄れていた記憶が、この作品を読むことで思い出され、そして夏姫の言葉ひとつひとつが確かに胸にしみていく。しかしそれは純愛のバイブルと言われた「天使の卵」があればこそのこと。また「天使の卵」で投げかけた自分の言葉に捉われていた夏姫が赦され、解放された「天子の梯子」があればこそ。そのふたつの作品を前提に、書かれ、あるいは読まれる作品であればこそ、この作品の言葉は胸に響く。


しかし断片を並べるようなこの作品の言葉の選び方、使い方は、さきのふたつの作品があればこそ通用するものである。さきのふたつの作品ありきの「アナザーストーリー」であるとはいえ、もしふたつの作品を全然知らない人間がこの作品を読んだ場合、本当に感動できるのだろうか。ふたつの作品をかって読み、この作品をして記憶を蘇らせたぼくが語っても単なる推測にすぎないが、おそらくこの作品は単独では成り立たない。この作品はふたつの作品を知る読者にとってのダイジェストに過ぎず、読者はこの作品を読んで、この作品に感動するのでなく、さきのふたつの作品の感動を呼び起こされるだけなのではないだろうか。
いやそれはそれで、この作品としては成功している。まさに作家、あるいは出版社が狙うのは「天使の卵」アナザーストーリの副題どおり、「天使の卵」を前提とした関連作品なのだから。
しかしそれはまた単独作品として成立していない証明でもあり、これが最初に述べたこの作品の強みであり、弱みであるのだ。


やはり、この作品は単独作品として成立していない時点で、決して万人にオススメの作品であるとはいえない。しかし「天使の卵」と「天使の梯子」を読み、素直によかったと思えた読者は、ぜひ読むことを薦めたい。あのときの想いが蘇るだろう。そして、またさきの二作を再読したと思うだろう。


蛇足:というものの、ぼく個人は決して「天使の卵」も「天使の梯子」、それほど高く評価しているわけでない。敢えて明言したい。決して悪いとは言わないが、「純愛のバイブル」はまさに「わかりやすく」「ありがち」な「物語(お話し)」であればこそ「純愛のバイブル」であり、多くの若い読者に受け入れらたのだと思う。このわかりやすさは、悪く言えば、あと一歩足を滑らせばラノベにしか過ぎない、そういう危うい作品であったと思う。そして扱う物語も決して「純愛」ではないと、ぼくは思う。
蛇足2:村山由佳と言う作家の評価も個人的には揺れている。個人的には「翼」「青のフェルマータ」「野生の風」といった長編に秘められた切なさや痛みに共感と好感をもち、高い評価をした記憶がある。タイトルがとても素敵で、かつ懐かしいパソコン通信での電子メールのやりとり(読んだ当時、電子メールはいまほど市民権を得ていず、少ない利用者のひとりとして共感を持った)を扱った「きみのためにできること」の素直な青年の揺れる想いに、作品として評価のほうははそれほどでもないが、やはり好感をもった記憶がある。しかし、なんだこれはエロ小説かの「海を抱く」を読み、ひどく哀しい想いを抱いたこともまた事実だ。個人的にはわかりやすい男と女の恋愛譚より、あのひとの哀しみを秘めた壮大な長編の物語のようなものをまた読みたいと思うのだが、いかがだろうか。