エバーグリーン

エバーグリーン

エバーグリーン

エバーグリーン」豊島ミホ(2006)☆☆☆☆☆
※[913]、国内、現代、小説、青春、初恋、音楽、バンド、漫画、現実、10年


※めちゃくちゃネタバレあり。未読者は絶対読んではいけない。


久々にがつんと胸を打たれた作品。決して感動作ではない。言うならば心の琴線をかき鳴らされた、そんな作品。主観的に心が震えた。自分のレビューで「ネタバレあり。未読者注意」は何度もあった。しかしこの作品については、未読の方にはレビューを読んで欲しくない。この青く、切ない想いの物語を、この先どうなるのだろうかと、どきどきしながら読んで欲しいから。ありがちな青春譚、あるいは恋愛以前のありがちな初恋譚に過ぎないのかもしれない。しかし、しかし、それでも何も知らず、ただ読んで欲しい。ぼくにとってはそういう作品。これから大人になろうとする人、なっていく人、そしてまだ大人になりきれない大人の人に薦めたい一冊。
天才バカボンのパパと同じ年齢(こないだ気づいた)の男が、胸を打たれ、共感し、ひとにオススメすること自体がまったく似合わない、若い人向けの作品であるということは確かである。理解(わか)っている。しかしいつまでも「大人になりきれない」大人は、この作品にハマるだろう。「いい加減、大人にならなくちゃいけない」いつも、そう自分に向かって呟きながら、日常の生活を続ける人。世間的、客観的には充分、大人といわれているかもしれない。でも、まだどこかかに、あの頃に自分を残している、あの頃の自分を残している、残したい。それはもしかしたら、ただ、自分が「大人」であることを認めたくない、じたばたした悪あがきなのかもしれない。本当の自分に気づくとき、本当の自分を認めるとき、もう来ているんじゃない?


「マジ、十年後な。十年後の今日、三月十四日、ここっ」
中学の卒業式の帰り道、少年と少女は約束した。十年後、それぞれミュージシャンと漫画家になって、ここで再会する。それは叶えられない夢なんかじゃない。絶対、ミュージシャンになっている。少年は信じていた。だからお前も頑張れ。少年はそう信じていたのだ。


豊島ミホ、最近本読み人仲間の間で話題になってきている女流作家。個人的にこの作家の一押しは、chiekoaさんが紹介してくれた、ぼくと彼女の作品との初めての出会い「檸檬のころ」。それは田舎町の高校を舞台にした、少年の、そして少女の、成長と、切なく淡い喪失の物語。青春の喪失の物語を書かせるとこの豊島ミホという作家はとても巧い。同じ作家の決して、好きだと言い切れない他の作品も含め、この作家の描く青春の、成長の物語には、必ず喪失がつきまとう。成長するためには、何かを乗り越えていかなければならない。何かを乗り越えていくということは、乗り越えた何かを置き去りにしていかなければいけないということ。忘れがちなその置き去りにする何か、喪失する小さな痛みを豊島の筆は繊細に、丁寧に描く。それは普通の平凡な人生のなかに、ふつうに転がっているなんの変哲もない光景なのかもしれない。しかし豊島の作品を読むと、そのことを意識しないではいられない。あぁ、こうして喪失を幾つも経験することで成長してきたのだな、と。


中学三年の文化祭を一週間後に控えたある朝、シンのバンドは崩壊した。もともと、志あって集まったバンドでなかった。最初は楽しかったはずのバンドが、どこかでギスギスしたものになっていた。結局は、シンのやる気だけが空回りするワンマンバンドだった。ひとり音楽室に佇むシンに、名前も知らないクラスメイトの女の子が声をかけてきた。「シン君ひとりでやればいいと思う。」「通学路でうたってんのに、もったないよ。」女の子のブレザーの胸には「松田綾子」の名札があった。目立たない、小さな女の子だった。
その日の帰り道、シンは綾子と歩きながら話した。しょぼくて、自信なんて全然ない俺を見てくれる人がいる。「いつだって俺のことすげーって言ってくれる人がほしくてしょうがないの」口もきいたことのないクラスメイトに何を話しているんだろう。
そして俺は、ひとりで文化祭の舞台に立った。特別盛り上がったワケでもないが、ひくほどのステージもなかった。
シン君のことを好きだと気づいたときに、この気持ちはだれにも打ち明けないことを決めた。客観的に見れば、シン君はいつもひとりで何やらしている男の子だった。でも私にしてみればシン君は特別な男の子だった。私にとって、シン君は何かをしてくれる、なにかものすごく、みんなの心を奪うような、圧倒的なことをしてくれる男の子だった。飛び立つ、その瞬間を見守りたかった。そんなシン君のバンドが崩壊する場面に立ち会ってしまった。そして、私は言ってしまった「ひとりでやればいいのに」
文化祭が終わった。シンとアヤコは以前より少し親しくなったものの、特別な関係にまで発展もしなかった。そして卒業式の日。自転車で走り去るシンの後姿を追いかけるアヤコ。別々の高校で、別々の生活を歩むふたり。「十年後なら、マンガ見せられるかも」。アヤコが趣味で描くマンガを、以前シンに見せられないと言ったマンガのこと、思わず口にするアヤコ。よし十年後の今日、ここで会おう。俺はミュージシャンだ、お前はマンガ家だ。男の子にとって、それは叶うはずの夢だった。女の子にとって、それはただ口をついただけの言葉だった。
約束の十年後のあの日まで、あと数ケ月。高校を卒業して、リネン会社に勤めるようになっていたシンはあの約束を忘れることができなかった。あのとき、俺は十年後にはミュージシャンになっていると信じていた。アヤコがマンガ家になっていなくても、俺はギターを弾いて歌う、と。しかし現実は決して思い通りにならなかった。恋人の奈月の家の雪おろしを手伝うシンの姿があった。リネンを配達する仕事に勤しむ日々。しかし約束の日が近づくにつれ、このままではいけないという思いが募る。そして奈月に薦められたマンガを描いているのが、あのアヤコであることに気づいた。
アヤコにとって、シンはいつまでも輝く少年であった。少女マンガ家として、そこそこ売れ、東京でひとりで暮らす。しかし心のなかには、いつまでもあの頃の輝くシンを胸に秘め、だれともつきあうことがなかった。そんな彼女の描くマンガは、ピュア路線一直線。しかしある日、編集者から言われる「ウチの雑誌のターゲットは高校卒業以上の年の子たちです。」「ぶっちゃけ好きだったヤリたいじゃないですか」。アヤコの描くマンガの主人公たちも、そろそろ次の展開を考えてほしい。ピュア一直線だからこそ、結実を見せてほしい。編集者の言葉に、知らないから描けない、「する」とか「しない」とかの枠の外に居たころ好きなった男の子をずっと好きなままなんです、とは言えなかった。
十年後の再会を楽しみにするアヤコは、ある日風邪の身体でスーパーに行き、ひとりの青年に出会った。赤ん坊みたいな丸い顔に、ぷくぷく顔の若い男の店員。桃の缶詰を探し、尋ねた。売り場を案内してくれて、説明してくれる彼の前で倒れるアヤコ。いんぎんに丁寧な姿勢を崩さぬ彼に、しかし温かい人のぬくもりを感じるのであった。六つ下、鹿児島の高校を卒業して、出てきたばかりの19歳の青年と言葉を交わすなかで、何かに気づくアヤコ。
一方、シンも十年後の再会の日を控えるなか、高校時代の友人に子供ができたり、また看護婦をしている恋人奈月から、今まで聞いたことのなかった仕事の苦労を聞かされ・・。
そして十年後のあの日がやってくる。東京から戻るアヤコは、シンと再会できるのだろうか。そして、シンとアヤコは、あるいはシンと奈月はどうなるのだろうか。


ミュージシャンになれない筈がないと倣岸な自信をもつ中学生のシンが、それでも、不安で、自信がないときに出会った少女アヤコ。自分を見つめて、認めてくれる人がいる。それだけで、自信を持つことができた。シンのアヤコとの出会いは、決して初恋ではなかった。十年後に会うこと、それはシンにとって、ミュージシャンになった現実と向かい合うことのはずだった。
きらきら輝く、自分だけの憧れの少年と親しくなり、それを心の糧に十年を過ごしてきたアヤコ。最初は、年齢相応の幼い初恋だったのだろう。しかし、現実を見ることをしないで、自分の胸のなかで生きる少年の面影だけに想いをかけ生きることは、もはや恋ではなく、幻想にすぎない。そして十年を経てみれば、皮肉なことに、ミュージシャンになれると信じていた少年は、普通の何もない大人になっていて、マンガ家になる強い意志をも持たぬ少女のほうがマンガ家になっていた。そして十年後に再会するはずのふたりは、その再会をあとわずかというところで、それぞれの道をやっと見つける。それは明らかに成長であり、そして成長にともなう喪失。アヤコにとっては、喪失を乗り越えることは、まさに大人になるという意味合いで、明るい未来を予感させた。しかしシンのそれは、どこかあきらめにも似た喪失で、切ない痛みを感じずにはいられない。いや、シンにも明るい、いままでと違った未来が待っているのだが、。


あきらめることが大人になることなら、やはりあきらめたくない。まだ何かになれると信じたい。そう思い、あの頃の自分に固執することが、もしかしたら「大人になりきれない」ということなのかもしれない。
しかし、それはあきらめることではない。きちんと自分と向き合うことで自分を知り、そして過去の呪縛から解き放たれ新しい世界を進む。大人になるとはそういうことなのかもしれない。そうならばやはり「早く大人にならなくっちゃ」だね。頭では理解(わか)っているのだけれど・・。


この本はとにかくオススメ。この作家の他の作品同様、小品佳作であることは否めないが、しかしこの少年の、そして少女の想いに触れ、共感して欲しい。自分がちっぽけなであることに気づいたことのある人には・・。
そしてやはりぼくは豊島ミホには、こうした青春の喪失を持ち味にした作家になって欲しいと願う。色物的な未読のデビュー作にひきずられることなく、ピュアな物語を書いていって欲しい。この作品も大人になることのひとつの証として、男女の関係を扱っているが、まさにそれをニュアンスだけで伝えており、とても好感を覚える。そういうことを否定する年齢でもないが、この作家には敢えて描かないことの難しさに挑戦しつづけて欲しいと願う。そういうことを否定はしないが、個人的には決してそのことが究極の結実だとは思わない。ひとつの結実ではあるのだろうが、。