ギフト−西のはての年代記1−

ギフト (西のはての年代記 (1))

ギフト (西のはての年代記 (1))

「ギフト−西のはての年代記1−」ル・グウィン(2006)☆☆☆☆☆
※[933]、海外、ファンタジー、ハイファンタジー、ギフト


※詳細なあらすじ、ネタバレあり未読者は注意願います。


今年(2006年)、スタジオ・ジブリが映画化したことで賛否両論を巻き起こした「ゲド戦記」の原作者ル・グウィンの最新作。(映画については圧倒的に否の論が多いのだが、個人的には「ゲド」さえ名乗らなければ、あそこまで叩かれることもなかったのにと思う。尤も及第作と言えるかは疑問。)本作品は「ゲド戦記」と同じYA(ヤング・アダルト)向けハイ・ファンタジー(本格ファンタジー)という位置づけになるのだろうが、「ゲド戦記」に比べると、読みやすい作品。それは深みや何かが不足するというものではない。物語の質が違うというべきだろう。副題に「西のはての年代記」とあるが、三部作となる予定で書かれているらしい。ある架空地域、時代の出来事を描いた物語。率直な感想を言えば「とてもお行儀の良い物語」、「正統な物語」。人から人に語り継がれる物語にある、匂いともいうべき薫りが漂う。評価の☆5つは正直なところ客観的ではない。こういう物語がまだあるのだという安心感のようなもの。現代小説に書かれる細やかな人の心の動き、トリッキーな物語に比べれば、とても素朴な物語。物語のオリジナル(原初)を感じる。物語の原初と言ってしまったが、神話や叙事詩のような事象を描くのみではない。自分の与えられた境遇に悩み、葛藤する主人公の心の動きを読み、楽しむ作品。


「ひなたでゆるり」のリサさんから「あらすじ王」というありがたい称号をいただいたが、このレビューのスタイルはいつ変わるかわからない。試行錯誤の繰り返し。ただ、この作品のように連なる物語を、時を置いて読む場合、「あらすじ」を残すことは有用。この作品の場合「あらすじ」というほどの事件は起きないのだが、メモを残しておくだけでも読みやすさはかなり違う。最近メモをとって読むことがなかったのだが、本作は冒頭から人とそれぞれの住まう地域、関係が書かれ、一瞬混乱しそうになった。というわけで、あらすじというかメモを残したい。そしてまたそれが誰かの読書の一助になるとしたら、それもまた嬉しい。


※以下、詳細なあらすじ(未読者は注意!!)


物語は、自ら力の封印の目隠しをした16歳の青年オレックが過去を振り返り語る形式。オレックは西の果ての高地<カスプロマント>に住むカスプロ一族のブランター、カノックの息子。この地域の高地に住むそれぞれの一族は、ブランターと呼ばれる領主のもとに集まり暮らす。ブランターにはその血筋にそれぞれ伝わるギフトと呼ばれる特殊能力があり、領土はギフトの力により護られる。ギフトは血筋で保たれ、同じ一族のなかで結婚することで守られるものであった。
ある日、カスプロマントに一人の放浪者が現れた。エモンと名乗る、低地の町ダナーからきた男はギフトに対し無知であった。そのため初めて知るギフトについて、オレックや、あるいはオレックの幼馴染で<ロッドマント>のロッド一族のブランター、<ナイフ>のギフトを持つターノック・ロッドを父に持ち、同じくロッドマントのバーレ一族のブランター、<呼びかけ>のギフトを持つパーン・バーレを母に持つグライにいろいろ尋ねるのであった。そしてエモンは銀の匙を盗み、<いと高きところ>に目指し、去っていった。
しかし外来者エモンこそ、ぼくらの真の導き手であったのかもしれない。


ギフトはそれぞれの一族の血筋に伝わり、それぞれ異なったものである。オレックのカスプロ一族に伝わるギフトは<もどし>のギフト。そのギフトを使うことは、ものを原初のかたちに戻してしまうこと。バーレの<呼びかけ>は動物を呼ぶことができた。ゲレマンは<ツイスト(ねじり)>、コーデマントは<目を見えなくし、耳を聞こえなくする>、モーガ一は<見透し>、オルムは<視線を向け指でさした先に火をつける>、ヘルヴァーは<浄め>、ティブロは<手綱>、ボーレは<ほうき>など。それらのいくつかはうわさでしか聞いたことのないものもあった。ヘルヴァー一族をはじめとした大いなる血筋の人々は、北東のカランテージズ山の<大いなる国々>を支配し、農奴を得るために襲ってくるとき以外は、オレックたち<低きところ>の者たちとは交わらないのであった。


オレックの母メルは、父カノックが低地のダネットの町から連れてきた女だった。父の父オレックが「ギフトを守るため」父の結婚相手として選んだ女は、父より二十歳年上のコーデマントに住むカスプロの血を引く女性だった。しかしカスプロマントと仲の悪い、ドラムマントのブランター・オッゲにより、彼の末息子の嫁に取られた。さらにオッゲの策略により、父には結婚できるカスプロ一族の女がいなくなった。そこで父は低地の町ダネットに仲間たちと向かい、ギフトの力を見せつけ「略奪」をした。父が見つけ、声をかけ、それに応じた女性が母であった。父と仲間は略奪の代わりに、ラバと引き具を町に置いていった。「ギフトのギフト」を与えることは、ギフトを担うものの定めだった。
母メル・オーリックは祭司と行政官を兼ねる高い地位の神官の家の娘だった。事情により神殿の乙女になれなかったメルは、北のはずれの田舎町ダネットの親戚のもとに預けられていたのだ。そしてふたりは結婚し、ぼくが生まれた。ぼくは父の跡を継ぐべき存在として、ギフトの発揮を待たれていた。しかしぼくのギフトはなかなか発現しなかった。それは父の悩みの種であった。
しかし13歳のある日、ギフトが発揮された。
カスプロマントの隣国コーデマントが、ドラムマントのオッゲに奪い取られ、オッゲがカスプロの隣人となった。ドラムの連中が自分の羊をカスプロの領地に入れ、それを口実にカスプロの羊まで「とりもどす」真似をしないように、父の手伝いをする農夫のアロックと、父とぼくの三人で見回りをしたときにそれは起きた。父が乗る馬の足元に蝮を発見した瞬間、ぼくがギフトを使ったというのだ。しかし、ぼくにはそれが分からなかった。いつもと違う、何かをしたという感じがしなかった。そしてもう一度試してみようという父の言葉に、ぼくは「できません、やりたくありません」と答えた。
ぼくのギフトが発現したという噂は高地を駆け巡った。そしてオッゲが現れ、孫娘とのぼくとの婚礼の話を仄めかし、ドラムマントへの招待の言葉を置いていった。自分が婚約させられそうになっていることを知ったぼくは、幼馴染のグライのもとを訪れた。しかしグライの反応は鈍かった。グライは、しかし他の男との婚約を急がせようとする母親に、15歳になるまでだれとも婚約するつもりはないと言ったという。ふたりが15歳になったら。それは言葉にならない約束だった。
そんななか父によりもう一度ギフトを発揮するよう迫られる。お前はほかの者のためにギフトを使わなければいけない。力をもつことは力に仕えることだ。しかし、ぼくはあの恐ろしい力を試しに使うことは嫌だった。ギフトによって自分の生き方を決められるのが嫌だった。頑なに拒むぼくに、父は義務を考えろと言い捨てた。
そしてぼくは、またもや自らの意志と関係なく、ギフトを発現した。グライからもらった子犬を「もどし」てしまったのだ。またもや、何かをしたという意識はなかった。しかし父は、ぼくがそれをしたという。それはカスプロ一族でもっとも強い力を現したという「盲目のカッダード」の力に近いのかもしれない。


「盲目のカッダード」は三歳の頃にはギフトを発揮したという伝説の英雄。子供の心で力を持つことは危険だということで、ギフトの力を封ずるために幼いころ布で目隠しをさせられた。よく訓練をしたカッタードは、12歳のころ各地で牛の略奪をしていたドラムマントに力を見せつけ、自領の牛に手を出させず、また17歳のころ<いと高きところ>からやってきたティブロマントの襲撃隊に自分の力を見せ、自領を護った。そのふたつの出来事により「強い目のカッダード」の評判は高地じゅうに広がった。
カッタードはドラムの息子の嫁に望まれた、ドラムマントに住むバーレ一族の娘セメダンを妻に迎えた。そして息子アサル、娘カノックに恵まれ、何もかもうまくいっていた。しかし悪い気候を迎え、それが彼のギフトの力ではどうしようもない状況であったことに、癇癪を持つようになった。そしてある日カッダードは愛する妻を、怒りのあまり撃ってしまうのであった。自分が何をしたか悟ると同時に、何をしなくてはならないか悟ったカッダードは自分の意志で、自分の目を損ない、その目に潜む力を封じた。


「荒ぶるギフトと呼ばれるものがある」父はぼくに語った。そして父とともにもう一度ギフトを試した。その力を見てぼくは決心した。自分の力を制御できるようになるまで、目隠しをすることを。


そして目隠しを、ギフトを封印したまま、父と母と三人で訪れたドラムマントの領地。ドラムのオッゲはぼくらを軽んじようとする態度をとり、あるいは美しい母親メルの気をひこうとした。そしてぼくにあてがおうとしたオッゲの孫娘は心が子どものままの少女だった。
ドラムの不快な滞在から逃げるようにカスプロマントに戻ったぼくら。しかしそのあと母は体調を崩した。父はオッゲがぼくのギフトを恐れていると語った。それを認めたくないからこそ、軽んじようという態度に出たのだと。カスプロマントに戻っても母の具合はよくならなかった。グライの母パーンは、それはオッゲの<すり減らし>のギフトかもしれないと語ったという。
ドラムマントを出て丁度一年と一日。弱っていった母はその命のともしびを消した。ぼくやグライに物語を聞かせ、文字を教えてくれ、ぼくのために本に物語を書きとめ遺してくれた母。そして最期にぼくの目を見たいといい、ぼくの目の機能を思い出させてくれた。
母を亡くしたぼくと父は一緒に悼む仲間ではなかった。ぼくにとって早すぎる喪失であったが、それは時がいずれは奪っていくものだった。しかし、父にとっては代わりのない、人生の佳きものが永遠に奪われてしまったのだ。
目隠しをしたぼくと父のぎくしゃくした関係が続いた。そしてエモンが現れ、ぼくはひとつに事実に気づく。それは認めたくない事実だったのかもしれない。
ぼくに目隠しをしたのは父だ。
そしてぼくは父カノックを亡くし、カスプロマントを離れる決意をする。グライとともに低地に向かう。そこには未知なる新しい生活が待っている。


この物語を「正統な物語」と冒頭、ぼくは評した。しかし本当にこれは正統な物語なのだろうか。ギフトの定めを負った、自分の存在に悩み苦しむ青年。そして、自分に本当にギフトが受け継がれているのか悩む青年。あるいは、義務と知りつつ、そのことに自分の人生を定められてしまうことを厭う心。果たしてオレックにはギフトが備わっていたのだろうか。目隠しを外し、幼馴染のグライとともに新しい地を求めて、カスプロマントの地を離れるオレックにとって、もはやギフトは無用のものなのかもしれない。成長の物語という意味では、慣れ親しみ、そこで暮らせば安穏と暮らせる地を離れ、新たな生活を求める、まっとうな成長譚。オレックの未来を読者は思いやる。しかし、父祖の名が脈々と受け継がれる世界の、血筋に受け継がれる領主としての義務を放棄するオレックの姿は、正統な物語なのだろうか。領民を守る義務、ノブレス・オブリジェ(高貴なる義務)は重く正しいもの。父を亡くし、あるいはその領主の義務を担うべき証でもある「ギフト」の自覚を持たない以上、オレックは領主の地位を去るべきなのだろうか。
目隠しをすることで、領土を敵から守る抑止力となるのもひとつの生き方ではないだろうか。バーレの一族のブランターになるべきグライとともに、新たな道を歩むオレックの生きかたは、果たして正しいのだろうか。
読者にさまざまな疑問を呈し、考えさせながら物語は終わる。この後、オレックは、グライは、あるいは彼らがいなくなったカスプロマントはどのようになるのだろう。
続く物語が楽しみである。