[森雅之」追伸−二人の手紙−

追伸―二人の手紙物語

追伸―二人の手紙物語

「追伸−二人の手紙−」森雅之(2004)☆☆☆☆☆
※国内、現代、マンガ、手紙、絵物語


森雅之という漫画家を知っているだろうか。知っているなら、それはスゴイ。
とてもあたたかな漫画というか、絵物語を描く人。ぼくが初めて知ったのは、かれこれ約30年前。丁度、中学生だったぼくは読者としてのマンガにとても興味を持ち、辿り着いたのが「だっくす」という漫画専門誌。漫画専門誌といっても漫画作品が掲載されている雑誌ではなく、漫画の批評が載っている雑誌。じつはこの「だっくす」が、今も少しスタイルが変わって発刊されている漫画専門誌「ぱふ」の前身なのだが、まぁ、そんな時代。
そこに連載されていたのが、森雅之だった。その後「ぱふ」に連載を移し、当時限定部数、限定番号入りの作品集「夜と薔薇」を出版したのが初の作品集。当時、中学の終わり、そして高校生になったぼくはプレゼントブックとして十冊くらい買い、気になる友人に配りあるいていた。もちろん友人って言っても女の子なんだけどね。で、限定番号入りのその本もいつのまにやら手許からなくなり、再刊したものを買ったのだけど、いまやどこにしまったのやら。
基本的に「ぱふ」でしか見かけなった森雅之は、ふと気づくと講談社の大手商業漫画雑誌「モーニング」や「アフタヌーン」の中綴じにオールカラーで連載を始めていたりして、驚きつつ、嬉しくなったもんだ。当時の講談社青年漫画誌は実験的にいろんな作家を起用する傾向があり、「おじゃる丸」の原作者犬丸りん(故人)も当時、たぶん「モーニング」でデビューしたんじゃなかったかな。あ、これもどうでもいい話。
講談社からは大判のオールカラーの作品集「リリックス」「ポケットストーリー」は、たぶん、妻の実家の押入れにしまってあるはず。とても素敵な作品なんだ。
そして漫画雑誌からぼくが離れたとき、森雅之とは少し遠くなった。


そんな彼と再会したのは、mixiというソシャルネットワークサービス。そこに森雅之のコミュニティがあったんだ。作品との再会ではないのだけれど、かれこれ20年ぶりに旧友に出会ったような懐かしさを感じた。
いや旧友なんておこがましいデス。すみません。でも森雅之の作品って、そんなとこあるんだ。


森雅之の作品を語るとき、他の小説のように、何がどうだからこうなんだという具合に説明できない。どうしても「とても素敵な作品なんだ」って言葉に集約されてしまう。
それは森雅之の作品がとても短いものばかりということもある。なんというか、漫画とはちょっといいにくい素敵な絵と、短い言葉の組み合わせが「とても素敵なんだ」。エッセイのように雰囲気を味わうというような。
だから物語や小説といった「あらすじ」を追う作品とはちょっと違う。百聞は一見にしかず。ぜひ読んでみて欲しい。そう、口で説明するより読んで欲しいというのがいちばんの気持ち。だからプレゼントブックだったんだ。
でも説明できないから読め、ではレビューとして失格。だから、ちょっとだけレビューを書いてみる。


実は、ビリケン商会[ http://www.billiken-shokai.co.jp/ ]というガレージキットやティン・トイでちょっと有名なお店で、森雅之の原画展「森雅之展 こども時間」(2006/11/17〜11/30)が行なわれることをmixiのコミュで知った。会社帰りにでも寄りたいなぁと思っていたものの、なかなか時間がとれず、ついに勤労感謝の日に行ってみた。かってに10時開店だと思い込み、シャッターが降ろされた店先に気づかず、うろうろした。あげく12時前にやっと辿り着いたものの店のシャッターが開く気配もなく、思わず「今日開きますか」なぞと恥ずかしい電話を店先からしてしまったのは余談。(余談ばかりだ)。
拝見させていただいた原画は、やっぱりとても素晴らしかった。「こども時間」と名づけられているだけに、こどもを中心とした原画が並ぶ。森雅之の描くこどもは、どこか懐かしい。気の強い女の子も、いまどきではない微笑ましさ。でも実はこどもだけじゃないんだな、森雅之の魅力。即売されていた作品の中から今回購入したのが、まだ読んでいなかった「追伸-二人の手紙物語-」。森雅之にしては珍しく一冊のひとつの作品。十三話からなる連作短編とも、長編ともいえる作品。そう、これが今回のレビュー作品。

  • 序-

この物語は今から十五年以上も前(1988〜9年)に描かれた作品です。
長距離恋愛はいつの時代にもありますが、
この頃はまだ携帯電話もメールも普及しておらず、
離れた町との電話料金はずいぶん高いものでした。
そんな二人を結んでいたのが手紙です。
二人の間を、毎日のうれしい事件や、さびしい時間を綴った沢山の手紙が行きかいました。
そうして、手紙の末尾に加えられる「追伸」には、
本文に綴りきれなかった言葉、
でも本当は一番に伝えたかった思いが、込められていたのです。


という序文から始まる、十三の物語。


一話「岬」
北海道の鄙びた地域にある実家に戻った山田賢蔵の許へ、東京の大学時代の友人から電話がかかってくる。「事務所のバイトの女の子が北海道に遊びに行くので、どっか案内してあげてよー!」「いつ?」「今日。」「え?」現れた少女は、学校を中退したばかりのちょっと頑なな感じの女の子。岬に連れていった彼女の帽子が風に吹き飛ばされる。もう、いいという女の子の言葉を振り切り、どこまでも飛ばされる帽子を追う山田賢蔵。
こんなに走ったのは何年ぶりだろう。青く広く大空と、どこまでも緑の広がる岬で息を切らしながら笑い合うふたり。そして手紙を交わすようになる。
二話「新しい部屋」
ひとり暮らしを始めた少女、小林秋子。あんなにしたかった一人暮らしなのに。
そんなとき山田賢蔵より、手紙が届く。思わず公衆電話から電話をする秋子。
「今、会いたいです。」思わず言葉が出る。
三話「胸のなかの手紙」
仕事をしながら、本屋のバイトの決まった秋子を思い、少しさびしくなる山田。
手紙を書くように、心のなかで秋子に語りかける。「君のこと好きです」。言葉にすることの気持ちよさ。
会いに行こう。決心する。そんな自分が微笑ましく、また苦笑い。
四話「再会」
秋子に会いに東京へ来る山田。秋子の部屋で秋子手作りのカレーを食べているところに秋子の母親が現れた。そして予感を意識する山田。


物語は、遠く離れた二人が手紙をやりとしながら、それぞれの生活のなかでお互いを思う。
「待つ時間」「メリークリスマス」「風邪旅行」「キス」「月食」「歩いて考える」「百合の夜」
「約束」、そして「追伸」と続く。
遠く離れたふたりの想いが、携帯電話やメールのようにすぐに交わすことのできない手紙というもどかしいコミュニュケーション・ツールを通すことで醸成される。あなたの重荷になりたくない、自分のことを考えてほしい。でも自分のことも考えて欲しい。


五話「待つ時間」
クリスマスに会う約束を楽しみにしていたのに、きちんと一人前になるために、行けなくなった山田に、寂しくなる秋子。
六話「メリークリスマス」
クリスマスに女の子がいっぱいいるクリスマスパーティに行くと書いてしまう山田。
でも本当はひとりで過ごす。そして交わす電話。
七話「風邪旅行」
福引で北海道旅行が当たり、山田に会いに行くが、風邪をひどくして山田の部屋で寝て過ごすだけの秋子。でもそれが嬉しい。
八話「キス」
酔っ払って秋子に電話をして、思わず本音を話してしまう山田。何を言ったか覚えてない。しかし秋子の手紙の追伸にはしっかりそれが書いてあった。あちゃぁ。
九話「月食
遠く離れた地で、それぞれに見る月食。そして交わす電話。「お母さんと喧嘩したの。お見合いしろっていうの」「そういうのも一回くらいいいかもね」
「なんでそんなこと言うのよォ」哀しく、悔しくなり秋子。出さない手紙に「不安」を言葉にする秋子。
十話「歩いて考える」
それぞれにきちんと相手のことを考え始めるふたり。社会人として、バイトから正社員になることを決める山田。そんな山田の重荷になってるのではと思い悩む秋子。僕の事、自分のこととしてきちんとしたいという思いを伝える山田。いつか「僕達の事」と言える日が来るといいね。
十一話「百合の夜」
自分の生活を見直し、そして今仕事のなかに「大好きなこと」がある喜びを噛み締める秋子。
十二話「約束」
しっかりと自分のやりたいことを見つけ、短大に通いたいと秋子が伝える。二年間という時間を考えると、手放しに応援できない山田。それでもやっぱり頑張れと手紙に書く。
追伸に、また夏に会わないかと思わず書いてしまう。そして岬に行くことを約束する・
十三話「追伸」
丁度、一年が経った。再会の場所は、あの岬。そして物語は終わる。
追伸、それぞれにふたりの物語は続きます。
新しい「追伸」の物語です。


絵物語の十三話を全部あらすじを書くつもりはなかった。書いてみても伝えられるわけではない。それでも書き始めたらとまらなくなってしまった。反省しなきゃ。


こういう何気なくさりげないふたりの風景は、きっと十五年前で終わったわけではない。たとえ携帯やメールですぐに連絡ができる時代であっても、連絡できない時間は、それが短いものでも、もどかしく切ない。手紙を書くように、メールを打つように、心のなかで大切な人に語りかける。それは今でもきっと変わらない。手紙のもどかしさ、それが生む醸成感は少し足りなくなっているかもしれないが、このじりじりとした想いは変わらない。だから今、この年齢で読んでも、感じ入ってしまうのだ。


森雅之の作品は簡単に言えば、この作品だけでなく、ふつうの人の何気ない風景を、とても素敵な絵と言葉で切り取った作品だ。
そうしたなかで、今入手しやすい一冊のなかでこの本をオススメしたい。個人的には「夜と薔薇」の思い出と、またその多彩な作品種類の彩りも捨てがたいが、この「追伸−二人の手紙−」のオールカラーの持つ魅力はまた格別だ。
北海道と東京と、それぞれの地で過ごす二人の背景にある青空の違い(P86)。抜けるような水色の青と、スモッグで少しくすんだ水色の違い。同じページで隣り合ったコマの空の色の違いに気づいたとき、ぼくは唸らされていた。あぁ。この作品を誰かに伝えたいと、。


そして、レビューなぞ書いてしまうわけだ。


蛇足:むかし、さだまさしの歌に「追伸」というのがあった。誰かに巻いてもらった白い包帯をした、振り向いてくれなくなった彼に当てる手紙。書かれているのは、髪を切ったということ。未練がましい少女の物語なんだけど、なんだか、とても感慨深い。
蛇足2:2006年11月25日15時に、ビリケン商会の原画展に森雅之先生がいらっしゃるそうです。


追伸
この物語を、いつかまた会えることの約束代わりにある方にお貸ししたいなと思っている。プレゼントするのはとても簡単なんだけど、つながっているためにこの一冊があるというのも素敵かな。
あ。「また」じゃなくて「いつかお会いする」ために、が正解でした。