イレギュラー

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「イレギュラー」三羽省吾(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、野球、甲子園、水害被災、青春


おもしろい、おもしろいとあちこちで評判だった本作、やっと入手し読了。いや確かにおもしろかった。痛快な青春野球小説。そりゃ「『バッテリー』のあさのあつこ大推薦!!」(オビ)だよな。ただ、この作家を初めて読み、高く評価した「厭世フレーバー」http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/19199080.html と比較すると、どうしても評価は落ちる。「厭世フレーバー」にあった小説としての何かが、この「イレギュラー」には不足している気がした。蜷谷村の人の避難生活のなかで失わない明るさ、野球好きの和尚行なう加持祈祷、K高との交流、あるいは部員のひとりが起こす事件、スーパーの店長の寡黙な優しさ、町の居酒屋を中心とした心やさしい人々のネットワーク、それぞれのエピソードは確かに「山椒は小粒でピリリと辛い」のように、うまく作品にアクセントをつけてくれる。しかしそれはあくまでも読み物としてのレベル。それならば、前作「厭世フレーバー」にそれほどの余韻があったかと言えば、決してそうではないのだが、読後に心に残るものの残り具合がどこか違う。
いや、決してこの作品が面白くないわけでない。「面白い!」と声を大にして言えるほどに面白い。しかしぼくとしては「厭世フレーバー」の作家に期待していたものを充たされなかった。読者はわがままなのだ。


「デカいのがピッチャーでデブがキャッチャーだったら、漫画だな」(P91)
この言葉に象徴されるようにこの作品はまさにマンガ、気持ちのいい野球マンガのような面白さ。だから求めるものを間違えているのはぼくかもしれない。


私立圭心高校野球部、通称「K高」のセンバツは終わった。一回戦をノーヒットノーランで抑えた狭間であったが、二回戦、甲子園常連組みの最終回の攻撃で放たれたヒットのイレギュラーにより敗退した。マスコミは「悲運」その一言で語るかもしれない。しかしかっての名門K高野球部の、チーム作りに不要と思われる過去から厳しい伝統と規律を破棄し、新しい規律を作り、甲子園までひっぱりあげてきた若い結城監督には、この負け試合を通し、K高に決定的に欠けているものを痛感したのであった。


K高のある栄山市には、市街地と住宅地を分断するように千寿川という一級河川が流れていた。昨年の九月、大型台風によって千寿川は数箇所で氾濫し市内にも被害を与えたが、上流の蜷谷村は、決壊した堤防から溢れ出た泥水と、山から崩れた土砂が流れ込み、人命を除くすべてを失ったといえるような状況に陥った。その結果、五百名にも満たない村民の殆どが、百キロほど下流の栄山市に避難し、現在は廃校となった小学校を避難所としていまも生活しているありさまであった。避難所の生活は苦しいものであった。働こうと思っても栄山市も不景気で、女性のパートやアルバイトはまだしも、男たちがきちんと働こうとしても働き口のない状況であった。しかし、そんな避難生活のなかでも村民たちは明るさを失わなかった。
練習場の宛てもなく、街をウロウロしてナンパをしたり、バッティッグセンターでダラダラと過ごす、あるいは蜷谷村の人間が気に入らないという街の不良と小競り合いをする蜷谷村高校野球部のバッテリー、コーキとモウ。蜷高野球部は開店休業の状態であった。
ある日、蜷谷村の非難生活が半年続き、いまだ練習もできない様子を新聞記事で知ったK高の結城監督、蜷高野球部の監督が大木であることを知る。実は結城は、かって大木監督のもとK高校で甲子園進出を果たした過去があった。そしてまた大木の勧めに従い、プロではなく大学生活を選んだ結果、あるイレギュラーバウンドにより選手生命を絶たれた因縁があった。
そんな結城が恩師である大木を訪ねる。ぜひ、K高で練習してください。決して蜷谷村が不憫だからとかそんな理由ではありません。自分の選手のためです。K高のために使って欲しいんです。それは結城がセンバツで気づいたK高の最大の弱点を夏の甲子園までに直すためだという。結城の話を聞き、大木は語るうちには素質だけは全国レベル、態度ならメジャーレベルのふたりの選手がいるぞ。
かくしてK高のグラウンドを借り、部員九人の蜷高の練習が始まった。目指すは甲子園。
当初は反発するようなK高の部員であったが、蜷谷村の実情を知り、あるいはコーキやモウの実力を見、打ち解けあう青春。甲子園までの数ケ月で、身体を作り直し、豪腕投手に成長するコーキ。K高のエース狭間は、初めて見た瞬間から気になって仕方のない蜷高野球部のマネージャー琴子とのある哀しいエピソードを経た上で、手にする勝負球。しかし、そこには大きな弱点があった(笑)。
そして甲子園県大会予選が始まった。くじの結果、蜷高とK高の試合は決勝戦であたるしかない。決勝戦で戦おう!
球児たちの夏が始まる・・・。


最後は蜷谷村のエピソードをも絡め、作品としてはうまくまとめて終わっている。しかし正直、うまくなくてよかったのではと読者は勝手なことを思う。コーキやモウにはもっと破天荒な活躍を期待したかった。好き勝手をさらに言わせてもらえば、コーキの姿は作品を通し、だんだん小さく、等身大の「人間」になってしまったような気がする。「人間」が書かれたということで、本来褒めるべきところなのだが、なんだかちょっとまとまっちゃったなぁと寂しく感じた。世界を狙うコーキであれば、もっともっと破天荒なままでよかったのではないだろうか?そういう意味で、バッテリーを組むモウの、まったくセオリーに関係ない打撃力は楽しかった。


「最も忘れてはならないことは、イレギュラーではボールデッドにならないということ」大木自身が忘れていたこの言葉を心に秘め、指導者として野球を続けてきた結城が大木に投げる言葉。


認め合い成長する痛快野球青春物語として、オススメの読み物である。しかし敢えて☆は三つの評価としたい。いかがだろうか。


蛇足:実は鄙びた村の学校が甲子園を目指すといったところで、往年の少女マンガの名作野球コミック(?)「甲子園の空を笑え!」(川原泉)を少し期待したのだが、スーパーバッテリーの登場で、少しハズされた。いや、かなりかな。「甲子園の空を笑え!」、名作(迷作?)です。