「死の演出者」

snowkids992006-12-15

「死の演出者」マイクル・Z・リューイン(1993)☆☆☆☆★
※[933]、海外、現代、小説、ミステリー、ネオ・ハードボイルド、探偵


※あらすじあり。未読者は注意願います


最新作「眼を開く」が十数年ぶりに発刊されたアルバート・サムスンのシリーズ。その最新作を読むために、あえてシリーズの再読を実施中。「A型の女」http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/42897674.html に続くのが本作。
シリーズはその後、「内なる敵」「沈黙のサラリーマン」「消えた女」「季節の終わり」そして「豹の呼ぶ声」に続く。「豹の呼ぶ声」でシリーズが終わったものだと思っていたら、今年、最新作「眼を開く」が突然発刊され、驚く。リューインはほかにこのシリーズのスピン・オフというか、シリーズの登場人物を主人公とした作品を発表している。サムスンのガールフレンドを主人公とした、あるいは登場する刑事を主人公とした作品。それらを併せて読むことで、さらにアルバート・サムスンの世界は広がる(勿論、ぼくは既読である)。しかし今回の再読フェアはとりあえずアルバート・サムスンのシリーズのみで行く予定。さて待望の「眼が開く」に辿り着くのはいつになることだろう。


今回のレビューも前作「A型の女」のレビューと同様に、あらすじが主たるものになる。このシリーズの魅力については、さきの「A型の女」のレビューでネオ・ハードボイルドのそれとして語った。
今回のレビューは、あくまでも個人的な備忘録である。


ある朝、サムスンのもとにひとりの高圧的な態度な女性ミセス・ジェロームからの電話があった。依頼をした場合の経費と、その根拠についての問い合わせの電話であった。彼女は他の探偵会社にも条件を問い合わせた上で決めたい、娘のための依頼であるが、娘は決して金持ちではないのだからと言い電話を切った。サムスンの知る限り、インディアナポリスのイエロー・ページに載っている30あまりの私立探偵のなかで、新しい格安の探偵社が事務所をはじめていないかぎり、一日8時間35ドル、プラス経費の料金である彼の事務所が一番安いはずだった。彼女がその結論に達するまでどれくらい時間がかかるだろう。
いい天気だった、電話応答サービスもある。38歳という年齢はバスケットボールをするには盛りをすぎているかもしれないが、肉体の衰えをカバーする方法がないわけでもない。そしてサムスンは公園にでかけた。
公園で10歳くらいの子どもにバスケットで負け、腹立たしく事務所に戻ったサムスンのもとに、ミセス・ジェロームから電話があった。仕事の依頼をしたいので家を訪ねて欲しい。
かくしてサムスンは新しい仕事にありつくことになった。
想像と違い、サムスンを待っていたのは裕福な街並ではなかった。まわりの家と同じように古くみすぼらしい小さな木造の家の前で車を停めるサムスン。訪れた家で待っていたのは、小柄な肥満体の高飛車な態度をとる、さきの電話の主ミセス・ジェロームとその娘のミセス・ロゼッタ・トマネクであった。
ミセス・ジェロームに励まされるように、いや命令されるようにロゼッタが語った内容はロゼッタの夫ラルフ・トマネクが、1ケ月ほど前、ひとを殺したということで逮捕され、警察では故意に殺人を犯したと思っているが、彼女は過失だと信じていること。ロゼッタが語っている間に何度も口を挟もうとするミセス・ジェロームに、だれが依頼人かはっきりさせて欲しいと尋ねるサムスン。そして1ドルの手付金を払い、ロゼッタが正式な依頼人となった。
さっそく調査を開始するサムスン。まず高校時代からの友人で、前の事件でかなり密接な行動をともにした警部補代理のジュエリー・ミラーのもとを訪れた。前の事件を経て、警部補の道が目の前にあるジュエリーは、サムスンの依頼に協力を約束する。かくして現れたのは事件を担当している若い巡査部長マルムバーグ。
警察の記録によると、ラルフ・トマネクはイーズビー警備会社の武装ガードマンで、ニュートンタワーズと呼ばれる市の東部にある高級アパートで警備についていた。そして4月28日にアパートの外で待っていた男を散弾銃で射殺した。トマネクは、男が拳銃を抜こうとしたので撃ったと答えた。そのとき事件の現場に立ち合わせていた不動産業を営むエドワード・エフレイという男に頼まれ、アパートメントのドアまでつきそい、被害者である男を「撃て」といわれたため撃った、エフレイは借金を抱えていて、だれかが取り立てにこないかとトマネクに語っており、とても神経質だったとも答えた。しかしその証言を確かめた警察に対し、エフレイはそのすべてを否定した。捜査はまたトマネクがベトナム戦争に参加した結果、精神に異常をきたしていたことも明らかにしていた。結婚後、ベトナム戦争に従軍、サイゴン近くの病院に入院、アメリカへ送還され、三つの病院に出入りを繰り返し、病気による退役と同時に“協議の結果”インディアポリスのベンジャミン・ジョンソン病院に入院していた。そしてまた事件の被害者であるオスカー・レノックスの職業が私立探偵であることもわかった。
調査を続けていくなかでサムスンは奇妙なことに気づいた。戦争の影響で精神を病んだ男に武器を持たせるなんて。さらにトマネクの病因はまさにその銃という武器と密接に関わり、それがゆえに武器を嫌がっていたはずなのだ。
そしてさらなる調査で被害者であるオスカー・レノックが、探偵認可証を取り上げられていること、そしてその後行なっていた仕事が判明する。トマネクを警備員に雇ったイーズビー警備会社の社長ロビンソン・ホルロイドと、トマネクの事件の際に立ち会っていた、その証言がトマネクの証言を否定したエドワード・エフレイの関係も判明した。
そしてサムスンはこの殺人事件の真相を知った。しかし、それだけではトマネクを救うことはできない。罠を仕掛けるサムスン。その結果、またもや銃弾を浴びることとなるサムスン
そしてサムスンはすべての事件の真相を最後に明かす。それはまたとても苦い真実であった。その人物から渡された、サムスンに事件から手をひかせようとして渡された小切手を、依頼人であるロゼッタに送ることにするサムスン。受け取った報酬もともに送ろうとも迷ったが、報酬は受け取ることにした。


報酬に値するだけの仕事はした。依頼を受けて仕事をする場合、人生をその人間の望む夢にかなうようにすることを約束するわけではないのだ・・。


備忘録としてあらすじを残したが、極力、ネタバレをしないように書いたつもりだ。しかしそのおかげで、逆にあらすじと言えるものかどうかも怪しくなった。もっともこの作品の魅力は、あらすじを追うことよりサムスンの日常生活、調査活動の日々と行動、考えを読み、味わうことだと思う。それゆえに、あらすじをまとめること自体どれだけ意味があるのかと自問する部分がないわけでもない。
逆に魅力的な細かいシチュエーション、エピソードにさっぱり触れていないではないか。前作のレビューでも同じだ。触れそこなっている。たとえば別れた妻との間にできた娘のこと。いまつきあっているガールフレンドのこと。サムスンの母が<バッドのダッグアウト>というダイナーを女手ひとつできりもりしていること。
あるいは本作。ずっと借り手のいなかった隣のオフィス、借り手のいないことをいいことにサムスンが浴室を無断借用していた隣室に、新たな借り手が現れたこと。警部補レースで、警部補確実と思われていたミラーの警部補就任が政治的理由により危うくなるが、結果は警部補就任なったこと。あるいは、命からがら逃げ出した血まみれのサムスンの助けに応じ、ドアを開けてくれたモナ・ポールという女性のこと。
負傷し、倒れこんだサムスンの顔の血を拭き取り「わたしはモナ・ポールです」「なにかしてほしいことはありますか?」そう語った彼女は十二歳の少女だった。


そうしたちりばめられた作品のきらめきをまったく触れることのできないレビューなんて、どんな意味があるのだろう。
ちょっと、これは我ながら情けなく思う。困ったもんだ。


さて最後に作品を、敢えてうがった見方でまとめてみる。
決して人妻に懸想することもなく、矜持ある行動を行なう探偵の地道な調査と辿り着く苦い真実。
本作をひとことで言えば、こんなところだろうか。