カクレカラクリ

カクレカラクリ?An Automaton in Long Sleep

カクレカラクリ?An Automaton in Long Sleep

カクレカラクリ森博嗣(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリィ(←「−」でなく「ィ」ね(笑))、青春、コカ・コーラ


※ネタバレあり。未読者は注意!(ネタに触れますので、たぶん未読者は読まないほうがよいです)


丸くて、ちいさくて、三角だぁ♪ならサクマのいちごミルクだが、本書は丸くて「四角くて」三角・・さて、どんな形だ?想像すると、むかし新幹線とかの飲料水用の紙コップのような形かな?本書ではそれがカラクリの鍵となるのだが・・。


コカ・コーラ120周年を記念し、森博嗣が書き下ろしたコラボレーション作品だそう。しかしコラボレーションとしてはどうなのだろう?登場人物のひとりがコカ・コーラのペットボトルを首から下げ、飲みまくるのが印象的。また田舎の商店で、冷蔵庫でなく冷えた水につけ冷やしたレギュラー瓶のコークを、いまどき珍しく王冠を栓抜きで開け飲むシーンが心くすぐる。というか、レギュラー瓶に味わいを感じさせるならペットボトルはどうなのか。最後にこの登場人物がペットボトルの残りを憎からず思う相手に渡すシーンのためだけにあるのか。コカ・コーラが関わるのはそのくらい。あと、作品のなかで扱われる隠されたカラクリが120年のときを経て始動するという年数も、コカ・コーラ120周年という年数と重なる。しかしコラボレーションというのならば、もう少し作品にコカ・コーラという事物を絡めてほしかった。この作品でのコカ・コーラの扱いは、なんだかスポンサーの意向を汲みすぎた下手なプロデューサーが、これでもか、これでもかといわんばかりにスポンサー商品を多用し、逆に鼻につくような、そんな安手のTVドラマのように感じられた。コカ・コーラは「すかっと爽やか」冷えてこそが一番美味しい商品だと思う。ペットボトルを首からさげてだらだら飲む商品ではない。ぬるくなっているコカ・コーラ。スポンサー・サイドの意向はどうなのだろう。


のっけからケチをつけるような話になってしまったが、残念ながら、またもや辛口王子の出番となってしまう(苦笑)。おもしろくないのか?と問われれば、おもしろくなくはない。しかし、おもしろいと言い切れるまでに組み立てられていない。よく言えば森博嗣らしい作品。作品に流れる軽妙でお洒落、クールでかつポップな会話、雰囲気を味わう作品。しかし悪く言えばきちんとオチがつけられていない作品。なんとなく素敵な作品なんだけど、なんとなく腑に落ちない。「物語」を愛する読者であるぼくは、もう少しきちんと突き詰めて物語を書いてほしかった。
例えば”120年”、例えばカクレカラクリの意味。
結局120年という時(とき)は、この物語では、やはり機械にとって永遠に等しい時間。きちんと人による”メインテナンス”がされなければ、カラクリが始動されることはないというオチは、この悠久ともいえるときを経て動くカラクリに想いを馳せた物語としてどうなのだろう。いや、カラクリの機構自体は120年のときを経ても動作した。そこはある意味クリアしているのかもしれない。120年のときを経てもきちんと動くカラクリ。しかし問題はこの120年というときをどのようにカラクリに認識させるかの謎を解くこと。それがこの作品の醍醐味のひとつだったはず。当時の技術を想像しながら、登場人物たちはいろいろな仕組みに思いを馳せ、そしてその可能性を消していった。いったい120年前の絡繰り師は、どんな方法を使って120年というときをカラクリに認識させようとしたのか?明かされる種明かしを心待ちにしていたぼくは正直、がっかりした。確かに人が生活する環境は、登場人物たちも語る通り120年というときを経てしまえば大きく変わるだろう、しかし、そんな人の環境の変化をも越えたカラクリがあるに違いない。120年前の絡繰師はそんなあっと驚く仕組みを作り上げた。そう思いながら種明かしを楽しみに読んでいたのにハズされた。フェールセーフの仕掛けにがっかり。このフェールセーフでは120年を正確に刻めない。まさにたまたまフェールセーフが働いたのが120年後だったに過ぎない。


森博嗣という作家に、あまり突き詰めたものを要求しても仕方ないのだろうか。この作家との付き合いも随分長くなる。ふとしたきっかけで手にとったのがたまたま彼のデビュー作「すべてがFになる」であった。このあざやかにすとんと落ちるオチに(MS−DOS時代のパソコンユーザーであったぼくは)少しびっくりし、いわゆるS&M(犀川助教授&萌絵)シリーズを追いかけた。理系ミステリィとの副題をつけられることもあるようだが、作品が進むごとに、“本格”ミステリーを楽しむというよりその軽妙洒脱な会話や雰囲気を味わう作家という位置づけに変わっていった。そう思いながら、追いかける分には楽しい作家であり、作品であった。しかし、Vシリーズ、あるいは「そして二人だけになった」、もしくは「女王の百年密室」あたりから、どうも、ちょっと物語としては物足りなく感じるようになった。雰囲気はいいのだが、それだけ。言い過ぎかもしれないが、そんな風に思えた。
そして、ときに読むが、追いかけるほどではなくなった作家となった。もちろん、その後も「スカイ・クロラ」など評価する作品もあった。もっともこれは敬愛する同じ読書ブロガーである「+Chiekoa library+」のちえこあさん(高校の後輩であることが判明。あっという間にぞんざいな扱いになってしまったが、うら「若き」「美人」女性ブロガーである。いやホント。(笑))がそのブログでオススメしていたからこそであり、しかし最近のギリシア文字シリーズは、やはりついていけなかった。


さて、久々に森博嗣を読んでみようと思ったのは、先にあげたちえこあ、あるいはきっと赤い糸でつながっていると妄想をいだく同じ読書ブロガーのリサさんの「ひなたでゆるり」、あるいはクールビューティーと、やはり敬愛してやまないナナさんの「ナナメモ」で取り上げられていたからである。そして、幾つになっても男の子のぼくは、森博嗣が120年のときを経たカラクリを書く、ということに多大なる期待をかけてしまった。男の子は、こういうメカとか機械仕掛けに弱いんだ。
正直そんなに悪い作品でない。結論めいた、機械は機械だけであるのではなく、人を介してこそ、機械、あるいはカラクリは魅力があるんだという本書の本音のようなものも理解できる。廃墟マニアの彼らが、古い機械に興味を示すのは、その機械に人間の匂いがあればこそ。それは理解できる。しかし作品は、せっかく廃墟マニアの古い機会好きな男の子を用意し、さらにわくわくどきどき心躍るカラクリまで用意しておきながら、残念なことに男の子の持つカラクリや機械への期待には、結局応え切れていない。よれてしまったというべきか。いやはや。
それでも読後感は爽快なのだから、ちょっと困ってしまう。
オススメでは決してない。でも読んで楽しいかも。そんな困った位置づけの作品。


廃墟、あるいは古い機械マニアの郡司朋成と栗城洋輔は同じ大学に通う友人だった。ある日、栗城が思いを寄せる真知花梨の前で、花梨の故郷にある古いセメント工場の載った記事を広げることで、計算どおり鈴鳴村にある花梨の実家への招待を受けることに成功した。
鈴鳴村に着いた彼らを待っていたのは、実は花梨がその村の大金持ちの娘である事実。花梨を迎えに来た車は、彼らをお嬢様と同乗させようとせず、また花梨もそれを当たり前のように受け止める。仕方なく歩いて花梨の家へ向かおうとする彼らの前に現れたのは、家には内緒でバイクに乗っている花梨の妹玲奈であった。そしてさらに歩いていくと、カラクリ仕掛けの水車のところで、玲奈が部長をしている物象部の顧問である磯貝先生と出会う。
やっとのことで真知家に辿り着いた二人は、荷物を置くと、興味の対象であったMセメントの工場に行くことに決めた。なぜか興味を示した玲奈もともに。さらに山添太一という華奢で幼い感じの男の子もバイクに乗って現われた。
Mセメントの跡地で、玲奈は、磯貝先生の家は絡繰り師の家系で、最も神様のように言われた、磯貝先生のおじいさん機九郎がその最後となったこと、そして機九郎が120年前に、隠れ絡繰りをこの村のどこかに仕掛けたということを語った。機九郎が作ったという、謎の文様の掘り込まれたという石碑を見に社(やしろ)に着く四人、まだ六時前だというのに門限があると帰る太一。そして花梨が現れた。
郡司、栗城、玲奈、花梨の四人はさらに上り坂を上っていった。そこには昔、姉妹がはいって叱られたというトンネルがあった。隠された入り口を見つけ、ダイヤル錠をの微妙なひっかりを手がかりに栗城が錠を開け、もぐりこんだが、何者かにその入り口を閉ざされてしまう。閉じ込められたトンネルのなかでで花梨は、隠された絡繰りが磯貝先生の家の蔵のなかから見つかった記録から120年後に目覚めて、動き出すことを語る。そして、この村での真知家と山添家の勢力を二部する二家の対立の物語と、対立する両家が珍しく協力して絡繰り師機九郎に、資産を投じて絡繰りを依頼し、それはおそらく120年後に財産を伝えようとしたと思われていることを語る。
果たして、120年の後に動き出すという絡繰りはどこに隠されているのか?そして、それは無事、動くのか、その仕組みは?隠された絡繰りをめぐり、郡司、栗城、花梨、玲奈の冒険が始まった。


オチの財宝があぁいうことで終わるならば、ベタかもれないが、コカ・コーラとのコラボレーションを意識して、伝えられた財宝は120年前アトランタで発売されたばかりのコカ・コーラでもよかったのではないだろうか?勿論、マニア価格はとんでもないかもしれない。しかしこれもありがちではあるが、形あるものはいつか壊れる。誰かが誤って深い谷底に落としてしまう、そんなオチでもいいと思う。


最後の両家のふたりの会話を評価する論評も理解できなくないのだが、120年の秘密はやはり守られて欲しかった。結局、120年に意味がなくなってしまったのはこの作品の最大の弱点。残念。