ナイチンゲールの沈黙

ナイチンゲールの沈黙

ナイチンゲールの沈黙

ナイチンゲールの沈黙海堂尊(2006)☆☆☆☆★
※国内、現代、小説、ミステリー、医療、歌、このミス大賞、チームバチスタの栄光

第四回このミス大賞を「チームバチスタの栄光」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/33238132.html ] で受賞した海堂尊のデビュー二作目にしてバチスタの続編。あのロジカルモンスター白鳥が戻ってきた。正直、前作については多くの読書人絶賛のなか、個人的には辛めの評価で終わってしまった。しかし本作での評価は見事に変わった。それはもちろん、前作からきっちりと作られた登場人物たちがいればこそ、作品に厚みを増しているのだろうが、決して続編という枠にとどまらない、ひとつの単体の作品としておもしろかった。
正直言えば、前作をほとんど覚えていない。前作の自分のレビューを読み返しても、カバー裏のあらすじをそのまま記載しているのでほとんど内容が思い出せない。前作、本作続けて登場している個性あふれるキャラクターたちのはずなのだが、その魅力をきちんと認識できずに本作を読み終えてしまった。勿論、田口、白鳥、高階病院長、かろうじて兵頭といった主要キャラクターの存在は記憶にあるのだが、その「人物」まで思い出せなかった、残念。パッシブ・フェーズ、アクティブ・フェースってなんだっけ?
そんなあやふやな前作、いや登場人物の記憶であっても、本作はおもしろかった。つまりシリーズのなかの一冊であっても、単体でおもしろい作品。そういう作品をぼくは評価する。
本作をして、ぼくは大きく評価を変えた作家なのだが、世の中の評価は決してそうではない。前作と比べると落ちるとか、あまり買えないとかの声が多い気がする。いやはや、やはりぼくは規格外の読者なのだろうか。

本音を言えば、ミステリーとしてはこの作品をぼくも評価しない。古臭いタイプのミステリー。犯人は読者が想像した通りの犯人、謎解きも決してスマートではあい。昔からあるいわゆる“ミステリー”作品のそれ。謎解きまでに書き込まれた犯人の人物像と、その人物が起こした犯行には、どうにもギャップを感じずにいられない。“謎”は解かれるが、違和感が残る。勿論、犯人がその犯行に至る説明はされるのだが、どうにも違和感を拭えない。その人物とはかけ離れた。まさにミステリーのための犯行というところか。
最近読んで、まだレビューを書いていないミステリー作品で「天使のナイフ」(薬丸岳)があるのだが、ミステリーではあるものの、ミステリー以外の部分に魅力と力のある作品にはミステリー(犯行)は必要あるのだろうかということを考えずにはいられない。本作も、田口が、白鳥が、あるは新たに登場した加納が、事件があればこそ集まり、あれやこれやで事件を解決することが物語の本筋になるのだが、どうにもその本筋が邪魔に思えてならなかった。それは「天使のナイフ」もそうだった。鮮やかな謎解き、そして最後のどんでん返し。ミステリーとしてもっとも重要な部分は確かに成功しており、それがゆえに江戸川乱歩賞を受賞しているのだろう。しかしそこまで築き上げてきた物語のリアリティーに比べて、謎解きの部分はあまりに現実離れしているような気がした。あっと驚く、論理的な展開、謎解き、ほうと唸らされるものの、現実感の乏しい、やりすぎとも思える違和感。
本作品でも、看護婦浜田小夜や、幻の歌姫水落冴子の歌の力が、現実的であるかどうかは別として、少なくとも物語としてのリアリティーは充分持っていた。そしてそれを軸に、紡いできた物語に対して、その犯行と、その謎はあまりに古典的なミステリーのそれであり、またあまりに「現実離れ」、いや「リアリティーに欠如」しているような気がした。それはミステリーというジャンル作品という面では、及第なのかもしれない。しかしいわゆる一冊の作品として読んだとき、そこの部分が妙にちぐはぐな違和感を覚えずにはいられなかった。

ミステリーでは評価しないと書いた。ならば客観的に評価したいと述べるぼくのレビューでは、この最大の欠点をして、本来この作品は評価するべきでないのかもしれない。しかし今回その欠点を踏まえて、なお敢えてこの作品を評価したい。支離滅裂、論理破綻と言われればそれまでだが、デビュー第一作を辛めに評価したこの作家に対し、評価しなおしたという部分を書きたい。

リーダビリティーが高いというのだろうか。この作品は、とにかく読みやすく、おもしろい。前作での冗長感は払拭されている。相変わらずのほほんとした、いい味を醸す行灯先生、田口。火喰鳥、あるいはロジカルモンスターと呼ばれる、自分勝手に行動する白鳥。本作から登場する白鳥の大学時代からの友人で、警察庁のエリートのはずなのに、何故か所轄署におり、しかし白鳥同様に切れ者のデジタル・ハウンドドッグ加納達也警視正、そして加納にひきずられるような人のいい所轄署の玉村警部補。彼ら魅力あふれるキャラクターたちの活躍は、しかし本作の物語の本筋ではない。もしかすると、そこが、彼らの活躍を期待する読者には不満な部分なのかもしれない。しかし敢えてこの豪華役者陣を狂言回しに使い、浜田小夜という特別な歌の才能に恵まれたある看護婦と患者たちの物語を、東城大学病院というもはやお馴染みとなった舞台で行なったこと、そして魅力あふれる物語にしたことを評価したい。

死を目前とした幻の歌姫、アルコール中毒の実力派歌手と、看護婦として働く秘めたる歌の実力を持つ女性の出会い。あまりにも過酷な運命を担うこどもの患者たちの交流。そして看護婦の持つ歌の力。
個人的には、ミステリーより、この看護婦の持つ「歌の力」にもっと焦点を当てて欲しかったのかなと思う。作品自体が成立しなくなってしまうのかもしれないが、ミステリー(札時事件)は不要だったといってもよいのかもしれない。あるいは、もっと救いのある謎解きと犯人で終わらせて欲しかった。

客観的に、冷静に振り返ると、この作品にも粗は目立つ。例えば小夜という看護婦の人間像が掴めない。少女としての主人公なのか、あるいは大人の女性としての主人公なのか。あるいは、今回ぼくにとって枝葉に過ぎない、加納のデジタル・ムービー・アナリシスの荒唐無稽さ。さすがにそれはやり過ぎだろう。
判りやすく、魅力的な設定ではあるものの、やり過ぎはマンガになってしまう。前作で白鳥は「根幹より枝葉やディティールのほうが断然リアルで魅力的」と語った。前作の魅力は、そこにあるのかと論じたぼくとしては、ぜひリアリティーを重ねて欲しかった。
もっとも本作でも白鳥は魅力的な言葉を吐く。小夜の歌が呼び起こす現象について、医者ふたりがそれを医学的に証明できるかどうか慎重に言葉を選ぶ場面で、「シンプルに、できる、と言えばいいのに。学問の世界に必要なのは、フレキシビリティです。学者は勉強すると、すぐあり得ない、とか不可能だ、と言いたがる。それは間違っている。浜田さんの件に理論をこじつけるのは簡単です。僕たちが認識するこの世界は、脳内のシナプス放電現象の集積にすぎません。歌を聴くのも絵を見るのも、そして感情が動くことも。全部頭の中の出来事です。それなら歌を聴いて画像が浮かんだっていいでしょう。その領域のシナプスを発火させればいいだけですから。」と述べる。
気持ちいい一言。もっとも、それを赦すだけのリアリティーはこの作家はこの作品のなかで積み上げている。

この作品について評価できないという方の意見はもちろん納得できる。もしかしたら、前作を鑑みないでこの作品を評価したなら、ぼくももう少し厳しい評価になったのかもしれない。しかし、とにかくこの作家について「楽しみ」だと思えるようになった作品として、評価を甘くつけてみる。
さて、早くもシリーズ第三作「螺鈿迷宮」が発刊された。今度こそ迷惑上司白鳥の秘蔵っ子、氷姫こと姫宮と出会えるぞ!楽しみだ。

追記:ざれこさんの「本を読む女。改訂版」でいただいたコメントで、歌の力について、音楽をされていたざれこさんからするとありえない・・との言葉をいただきました。確かに映画のような映像は、ありえないかも。本当のように嘘をいいがうまい作品をぼくは高く評価するのですが、ざれこさんの発言にはなるほどぉと思いました。その世界のひとには穴だらけって多いですよね。ぼくの大好きな「奪取」(真保裕一)も印刷に関わる人からしたら、との意見もありましたしね。頑張れ、作家!(2006.Dec.24)


蛇足:す、すまん。今回もあらすじはなし。一度あらすじをも含めたレビューを書いたのだが、保存しそこねてしまった(涙)。詳細なあらすじを書くのってこれはこれで、結構大変なんだ。今回は心が折れた(大げさ)。
蛇足2:ウルトラマンをモチーフにしたハイパーマンの設定は秀逸。これこそ魅力ある「枝葉」。飲んだくれ、狡すからいバッカスマンと、悪者の癖に正論を吐くシトロン星人。年長の少年がバッカスを好み、年少の少年がシトロン星人を好む部分のリアリティーが、少年たちのリアリティーを増した。個人的には次作にもこの設定がどこかに関わると、楽屋落ち的な味わいがあると思うのだが・・。