一瞬の風になれ1-イチニツイテ-

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ-

一瞬の風になれ 第一部 -イチニツイテ-

「一瞬の風になれ1-イチニツイテ-」佐藤多佳子(2006)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、青春、陸上、少年


※あらすじあり、未読者は注意願います


全3部作、3ケ月連続刊行。第一部のサブタイトルが「イチニニツイテ」、二部が「ヨーイ」、そして三部が「ドン」となる三冊。すでに三冊とも刊行されており、ネットでの評判も好評。たしかにおもしろい。しかしこれはまさに三巻でひとつの作品。第一巻はまさしく物語のプロローグ、起承転結の「起」。もちろん、この巻だけでもおもしろく、続きに期待わくわく。つまりこの一冊だけでは判断できない。
続きをすぐに読みたい!願い虚しく、続巻はいましばらく予約待ち。今回のレビューは作品の感想でなく、続く巻を読むための備忘録。あらすじというか、登場人物たちをメモしておく。


大好きな二つ年上の兄貴、健ちゃんと違って、俺、神谷新二はサッカーがそれほどうまくない。健ちゃんはU16日本代表候補にも選ばれるくらいの天才MF。偏差値も高い、サッカーの強豪である私立の男子校海嶺に小学校から通い、いまではカナリア・カラーのユニフォームに身をまとう。天性の才能を持つ健ちゃんだが、きっちり練習もする。ただ、できない人の気持ちがわからない。健ちゃんに追いつけない俺に、やればできるはずだと言ってくれるが、正直わかってない。高校時代に国体の出た父、コアなマリノス・ファンンの母というサッカー一家のなかで、俺はぱっとしなかった。所属しているクラブの試合もいいところがなかった。いつか健ちゃんと同じ海嶺で、同じチームに所属することを夢見ていた。でも、初等部の試験でインフルエンザで受験できなくて、中学の入学試験、編入試験には失敗した。高校で生徒を募集してないので、夢も破れた。そんな俺の高校受験もいよいよ来年だ。両親と兄は俺がどこの高校へ行ったらいいかという話題に夢中になる。サッカーのレベルとか、偏差値とか。しかし、俺は話題にはいれなかった。他人事みたいな気ぃして。
結局、俺は家から近い、俺の学力にあった公立高校、春野台高校に入学した。サッカー部のレベルなど調べないで。受験をめぐり兄や、父、家族ぐるみの猛反対にあった。たぶん、健ちゃんはあきらめるとか、挫折とか、そういうのが我慢ならないんだ。特にサッカーのことでは。
春野台高校は、小学校の頃からつるんでいる幼馴染の連と一緒に入学することになった。服や、雑貨のバイヤーをする連の母親は、連が幼稚園のとき二度目の離婚をして実家の相模原に帰ってきた。それから中目黒に引っ越すまで七年間、俺たちはつるんでいた。そんな連が相模原に帰ってきた。買い付けに行った先で男のできた連の母はミラノに行くことになった。連の姉は母親についていくことにしたが、連は仕事や恋愛に奔走する母親より、小料理屋を一人でやっているおばあさんと暮らすことにした。
連なら陸上でいいトコにも行けたはずだった。連は中学二年の夏に全国大会に出て100mは決勝まで残っていた。ただ連はいつも縛られることが嫌いだった。小学校の頃、その身体の柔らかさと奇跡のような運動神経を、将来の五輪メダリストの卵と期待された体操クラブも、たいした理由もなく、つまんないというだけでやめていた。でも、中学の頃「走るのは好き」澄んだ目で連は答えていたっけ。
高校では連とはクラスが違った。教室に入る同じ組の根岸と名乗る奴から声をかけられた。一緒に歩いていたのは、一之瀬連?彼は相尋ねてきた。陸上部に早くも入部した根岸の話によれば、やはり連は有名な存在だった。なぜ、陸上をやめたの?俺に聞かれても詳しくは知らない。ただ、どうせ辛抱がきかなかったのだろう。「我慢という字が辞書にない男で」俺が答えると、「もったいねえなあ」「ゼッタイに許せんなあ」根岸は答えた。そして連を陸上部に勧誘してみると気迫をこめて俺に言った。そしてついでのように俺のことも誘ってくれた。
そして連との組との合同の体育の時間、最初の授業で連と一緒に走ることになった。連と走るのは小学校5年生のときのリレーのアンカー以来。トラック四分の一周ほどリードして、トップでバトンを受けた俺を、連はゴール前で抜き去った。全国7位ってどのくらい早いんだ。
「用意−スタート」連の背中しか覚えていない。置いていかれたという強烈な感覚。悔しい−とすら思えなかった。
しかし俺のタイムは、陸上をやっている根岸のそれより早かった。そして俺は連の体操着の胸元をひっつかみ、陸上部に入ることを命令していた・
「走れよ」「嘘だろ?走んなきゃ」すると、連の目が笑った「短けえな、50mは」
そして俺たちはふたりで春野台高校陸上部に入部した。俺たちの陸上の物語が始まった。


物語はこの後、高校陸上部の部活動を経てサッカーでは芽が出なかった新二が、幼馴染で親友である天才スプリンター連とは、また別の意味での走ることの才能を開花させていく。天性の才能を持つが、努力を厭う連と、同じく天才アスリートでありながら、自らの練習に手を抜くこともない兄、健ちゃんの間で自信を持てる何かを持たなかった新二が、初めて自分のなかに眠る何かを見つけ出し、自信につなげいく成長の物語、青春譚。読んでいてとても気持ちよい。
陸上のことを個人競技だと思い込んでいたが、この巻で新二が携わるのは、4携と呼ばれる100mを四人で走る400mリレー競技。勿論各走者の走る速さがいちばん大切なのだが、バトンをうまく受け渡す技術も問われる競技なのだ。
幼いころから親しんでいたサッカーを通し、チームというものを大事にし、また努力を厭わない新二。対して、あくまでも個人的に、自分の気持ちのおもむくままにある連。しかし連は、新二のことが大好きなのだ。そんな二人を中心とした高校の部活動の様子を気持ちよく描く作品。


「みっちゃん」と呼ばれる、一見やる気のないように見える社会科教諭、独身三十三歳の顧問の三輪先生。しかし実はあたたかい目で生徒を見守り、また生徒を無理やり縛ることなく育てていこうとしている。黄色い頭で入部した新二を怒るでなく受け入れ、連の入部をも特別視しない。ただ部活内恋愛だけは禁止だという。
新入部員は十人。新二以外はひとりを除き、経験者。女子は二人。中長距離の鳥沢圭子は、1500mで市の大会にも入賞したことがある。もう一人の女子、谷口若菜は短距離だ。話しかけると、じっと考え、小さい、しかしはっきりした声で返す答えが、彼女のなかで選ばれた言葉のようで新二にとって少し気になる女の子。
ジンクス好きで有名な浦木さんをはじめとした、決して自分たちのポジションに固執しない、学校の陸上部として早い者に競技会への席を空けようとする気持ちよい心を持つ先輩たち、島田さん、守屋さん、岡林さん。同じクラスで、新二が陸上部に入るきっかけを作ってくれた根岸は、新二に色々陸上の情報を教えてくれる。あるいは競技会で出会うライバルたち。三輪先生の恩師、大塚先生に率いられる強豪県立鷲谷高校の同じ一年の仙波、そして高梨。夏の合同合宿で、新二の黄色い頭と、連の偏食に難癖をつけてきたのは馬面は他校の本郷先生。そしてその合宿で連が起す事件。さらにその後、またもや事件を起す連。新二の陸上生活は始まったばかり・・。


三巻全部読んではじめて評価できる作品と冒頭で述べたが、おそらく「DIVE」(森絵都)。「バッテリー」(あさのあるこ)に並ぶ、青春スポーツ小説となるだろう。いい意味でマンガ的で読みやすい作品。黄色い頭でつっぱているように見えて、努力も厭わない、チームワークも大事にする、そして試合前には神経性の下痢になってしまう主人公。このあと、基本的に個人競技という陸上という世界で、彼はどのように開花していくのだろう。まったく、早く続きを読みたいもんだ。


蛇足:この作品の舞台は神奈川県。ぼくの(そして[+ChiekoaLibrary+]のちえこあの)出身高校の隣は、神奈川の陸上のメッカ、三ツ沢競技場。作品で触れられており、少しくすぐったい気分。耳慣れた地名も幾つかあった。しかし陸上競技の世界は初耳だった。なるほどよく聞くインターハイとかのスケジュールと位置はこういうとこにだったのか。