東京公園

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「東京公園」小路幸也(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、青春、家族、ファインダー、カメラ
小品佳作。そして決して出来がいい作品とはいえない。しかしぼくは、またもや小路幸也にやられてしまった。
小路幸也という作家、最近ブレイク中、売れっ子作家に片足をつっこんでいる。この作品の帯にも書かれているように、下町の古書店を舞台にした家族小説「東京バンドワゴンhttp://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/38154417.html で、かなり一般的にも名がしれた作家になってしまった。
「なってしまった」という書き方。最近の作品を評価しないわけでないのだが、図書館の書架から何気なく手にとり、新鮮な出会いとなったこの作家との初めての出会い「Q.O.L.」、あるいは「そこへ届くのは僕たちの声」やパルプ・フィクション・タウンシリーズのような、若く、青い、新鮮な勢いのようなものを最近あまり感じられなくなってしまったように思えたから。「うまい」のだが、なんだか「面白み」が欠けてきた。不遜であるかもしれないが、この作家についてそう感じ始めていた。
そして予期せず、思いがけなく、久々にこの作家にやられた。「そこへ届くのは僕たちの声」のレビューhttp://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/8447887.html で、四十男が思わず涙をこぼしてしまったと書いたが、本作でもまた思わず涙をこぼしてしまった。しかも二回も。年齢とともに涙腺が弱くなってしまったというのも、たぶん認めたくない真実なのかもしれない。しかしこの作品に何気なく書かれたエピソードに、がつんと心を打たれた。それゆえに涙がこぼれた。この作品は泣かせようという作品ではない。だからこそ、ぼくはやられたとしか言いようがない。
親しくさせていただいている読書ブロガーの方が本作をとりあげているレビューを少し覗かせてもらうと、この作品の評価は決して高いほうではなかった。そう、たしかに何か大きな事件が起きるわけでなく、おだやかに優しい眼差しで書かれた作品。一歩間違えば、危うく、そしてありがちな恋愛譚に終わってしまうところを、ある意味ありがちではあるが、優しい物語で終わらせている。それを気恥ずかしく、居心地を悪く感じるという意見も納得できる。
ぼくをして涙をこぼさせたエピソード。ひとつは、主人公の青年が親しくひとつの家で共同生活を送る友人ヒロが、居酒屋で俺も昔は悪かったと吹聴し、彼らに絡む中年男に対峙したあと、主人公に語るエピソード。彼は少年のころ荒れて傷害事件を起こしたという。被害者はごく普通のサラリーマンだった。反省し、謝罪する彼を受け入れ、赦してくれた被害者の家族。あなたはマイナス100から始まるの、だからその目盛りを埋めていかなければいけない、怪我を負った被害者の奥さんはそう言ったという。そして目盛りが埋まったとき、彼は被害者の家族と友人となれた。そういうエピソード。丁度、少年法を扱った「天使のナイフ」(薬丸岳)[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/43363442.html ]を読んだ後だけに、このエピソードにやられた。きれいごとなのかもしれない。しかし、少年法も決して意味がないわけではないのだと思わされた。彼は、昔は悪かったという大人のなかで、どれだけそれを悪かったと反省しているのかを問いかけていた。それがとても新鮮だった。
そしてもうひとつが、物語が何事もなく終わったということ。一歩間違えば、この主人公の青年は、夫に依頼されその後を追い、無言の交流を交わした若い人妻とありがちな恋愛、あるいは肉体的な交流を交わして終わったかもしれない物語のなかで(それはそれで最初に触れた通り、ありがちな物語なのだが、)敢えて、何事もないまま終わらせたということ。彼女が本当に望む幸せの後押しをできたということ。それは物語のなかで触れられていた映画「ベルリン天使の詩」に重なるお伽噺なのかもしれない。あるいは最後の一文に触れられていた、読了後幾つかのネットの論評で触れられ知った、ぼくが気づかなかった往年の映画に対するオマージュなのかもしれない。それが作家にとってどういう想いを込めたものであったのかはわからないのだが、まさにおだやかに優しい眼差しの物語で終わったことに思わず、心を揺らされたのだ。
いい人しかいない物語。そう評する論も納得するし、あるいは普通なら、おそらくぼくはつまらない小説と思うような物語。都内を縦断、横断するように公園を彷徨い歩く、子連れの若い人妻の、しかし優しい柔らかな笑顔。現実的でない、お伽噺。しかし、主人公が幻想の恋に陥る前に、助けの手を差し伸べる男女それぞれの友人。とても論理的でない感想だが、これはこれでいいんじゃないかな。
「Q.O.L」を彷彿させる、主人公と同居人の若い男性ふたり、そして主人公の幼馴染ともいえる若い女性ひとりの三人組、性を意識させない爽やかな友情も気持ちいい。
客観的には、荒削りで、スマートではないお伽噺。星の評価は三つにとどめるが、個人的はとても気持ちよくオススメの一冊。
小路幸也を追いかけていきたいと改めて思わせてくれた一冊だ。


亡き母の形見のカメラ、一眼レフの名機ニコンF3で、公園で見かけた家族の写真を撮ること、それがカメラマンを目指す北海道出身の大学生である主人公、志田圭司が小学校から続けていること。大学の学食で、ライターであり、グラフィック・デザイナーであり、インディーズでアルバムを出す広井博司、通称ヒロと出会った。そして三年になり、大学のキャンパスが都内になることをきっかけに、ヒロの住む吉祥寺の古い小さな一軒屋に一緒に住むことになった。
ある日圭司は、公園で見かけた親子連れ、若いお母さんとベビーカーに眠る女の子の姿にシャッターを切った。その瞬間、何をしているんだ、突然、声をかけられた。
初島と名乗るその男性は圭司が写真を撮った親子連れの、夫であり、父親であった。そして、圭司に奇妙な依頼をするのであった。
23歳のゆりかという、34歳の初島とほぼひとまわり年齢の離れている妻とは結婚して3年になるという。彼女は日常のストレスをためないように2歳になる娘のかりんを連れ、都内の公園めぐりを楽しんでいるというが、本当だろうか。かりんがある日、テレビで見た高級ホテルについて発した一言が、初島に浮気の懸念をさせてしまった。そのことをゆりかに訊くタイミングを逃してしまったことで、感情がどんどん積もってしまった。そこでバイトと思って彼女のあとを追い、確かめてくれないか。彼女は必ずどこの公園に行くとメールを寄越すので、それを伝える。初島の依頼を受ける圭司。そしてファインダーを通し、ゆりかとかりんを感じ、いつしか無言の交流を彼女たちと交わす圭司。ゆりかの公園めぐりの真実はどこにあるのだろうか。
いっぽう物語は、圭司の血の繋がらない姉と圭司の物語、母の亡くなったあと父と再婚した義母と姉の関係、あるいは小学校以来の友人であり、圭司とヒロの男ふたり暮らしの部屋に遊びに来る、生命力あふれる素敵な女性富永、あるいはバイト先のマスターたちとの人間関係の物語も描いていく。


蛇足:振り返ってみると、たぶんこの作品は一歩間違っていたら最近の石田衣良の書くありがちな恋愛譚になってしまったのだと思う。圭司の家族写真をとるための、人に好印象を与える服装の描写なんて、まさに石田衣良のそれを彷彿させた。どうでもいいことだが、そっちのほうにいかなくて本当によかった。