モーテル0467 鎌倉物語

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「モーテル0467 鎌倉物語甘糟りり子(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、青春、鎌倉
年末に読んだ「東京公園」(小路幸也http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/43525439.html と同じような小品佳作。同じ☆三つで評価したが、個人的評価では「東京公園」と比較すると大分落ちる。図書館の書棚でこの作家の名前はよく見かけていた。しかしどうにも食指が動かなかったのだが、幾人かのネットで親しくさせている読書ブロガーの方が本作を好ましく評価しており(していたような記憶があり)、またぼくの住む鎌倉(といってもぼくは鎌倉のはずれに住むのだが)を舞台にしていることもあり予約をし、借りてみた。


「東京公園」と同じように、主人公の日常の生活を切り取り、描いた作品であるが「東京公園」とはまったく対照的。女性向けの小説なのかもしれない、根拠もなくそう思った。観光地鎌倉という街に住む、大人になりきれない主人公たちの生活を切り取り描く作品。昔からある鎌倉の名店がとりあげられるものの、それはさりげなく、生活に溶け込んでいるものとして扱われる。ちょっと大人向けの洒落たカタログ雑誌のような雰囲気。逆に普通にマスコミにとりあげられるような流行りの店は、とりあげられない。鎌倉という地で、普通に生きる、少しとうの立った青年たちの物語。こういっては失礼かもしれないが、そういうものに女性は憧憬を覚えるのかもしれない、そんな風に思った。
別に悪い作品だとは思わないのだが、なんだかとても読んでいて居心地が悪かった。「鎌倉」、いやこの場合「湘南」と「大人になりきれない主人公たちの姿」というのはあまりにもはまりすぎている。彼らはマスコミがとりあげるような「古都」鎌倉ではなく、生活の場としての「鎌倉」で生活をしている。観光地として華やいだ印象の土地だが、その実、昔からの住民があまり変わることのない街。そういう意味で少し息苦しいような地で、若者が普通に若者の生活をする、そういう小説。
しかし彼らは「地に足がついている」感じがしない。先に述べたとおり、カタログのなかに描かれる「生活」を送る。ぼくはそこを「大人になりきれない」と表現してみたのだが、それは決して肯定ではない。勿論、この作品の登場人物たちのような「仲間」との生き方に憧れないわけではない。しかしぼくは過去のレビューでも何度も述べてきたように、作品を通して青年(大人になりきれない者たち)は成長してほしい、そう思う読者なのである。成長することで、青年は少しずつ地に足をつけていく。そういう過程が好きなのだ。しかしこの作品は作品を通し、主人公が、いや主人公たちに成長を感じることができなかった。そこがとても残念であり、そして居心地が悪く感じた部分。もちろんこういう小説が存在し、小説のなかの生活に憧れ、自らを登場人物に投影する読者がいるということを否定はしない。そういう読者には、もしかしたらぼくの言う「大人になりきれない」ことが評価のポイントで、「地に足がつかない」ことが同感できるポイントなのかもしれない。かくいう、いまや家族を持ち、中学生の子供までいながら、まだ大人になりきれているとはとても言い切れない、情けない大人のぼく自身にとっても、決してこの作品の彼らの生き方に共感できないわけではない。共感はできるのだ、しかし共感できるがゆえに逆に成長してほしいと願わずにはいられない。
成長するということは、決して「つまらない大人」になることではない。素敵な大人になることだって成長だ。青春小説に、成長とはつまらない大人になってしまうというほろ苦い味わいが多いという事実があるにしても。
そういう意味で、この作品について、ぼくはあまり評価できなかった。


それぞれのエピソードは決して味がないわけではない。主人公が恋に落ちる、家を飛び出て主人公の経営するホテルに転がり込む人妻のエピソードも悪くない。あるいは同じくホテルを終の棲家とする老女と、主人公たちが兄貴のように慕う酒場の店主の恋の話しも然り。あるいは何度も運命の恋をする、主人公の姉。しかしそれらは、決して目新しいもののないどこかで聞いたことのあるような、まさに「お話」のようなエピソード。いやこれは青春小説でなく、モーテル0467という鎌倉の海岸沿いにある、ラブ・ホテルではない時代遅れの普通のホテルを舞台にしたお伽噺なのかもしれない。
しかし、そうならば最後のほうの、最初のエピソードと呼応する、主人公と幼馴染の女の子(敢えて「女性」でなく、「女の子」と書く)の酔っ払ってのエピソードは不要だと思う。そのこと自体はいまどき普通のことなのかもしれないが。
そしてさらに最後の「あれから二年後」も評価できなかった。二年を経ても変わることのない彼らの生活。いつまでもぬるま湯に浸ったまま「大人になろうとしない」、それで本当にいいのだろうか。


祖父の遺した七里ガ浜沿いの古びた洋館、それが「七里ガ浜ホテル」。しかしいつのころからそれは、古びた看板に残された文字から「モーテル0467」と呼ばれるようになった。
主人公の祐介、もうすぐ30になろうとする。家業のホテルの支配人の肩書きはあれど、のんびりと気ままに過ごす。ビルとはいえないような小さな建物の二階にある行きつけのバー・コユルギ。徹さんという、祐介たちが兄貴のように慕うマスターが経営する店は、観光客から見放されたかのように、常連客だけが集まる店。この店に来れば祐介の鎌倉市立御成中学校のころからのつきあいの俊也、あるいは一年先輩だった健太がいつものように集まってくる。青年というには少しくたびれ、中年ほどにはあきらめを知らない、まさにただの大人である彼らの物語。


鎌倉の大きな病院を経営する家の息子である俊也は、別居中の妻がいるが、きちんとした勤めにもつかず、その場しのぎのバイトで過ごしている。元暴走族の健太は、妻と三人の子供がおり、鎌倉に幾つかの店舗を持つスーパーの息子。鮮やかな黄色のスカイラインGT−Rに乗っている。そして独身は祐介だけ。そんな彼らと、彼らをとりまく人々の、鎌倉の自然と季節を舞台にした物語。
それは、モーテル0467を終の棲家にする梅ばあさん、あるいはホストの隼人。0467に転がり込んでくる、祐介がひとめぼれしてしまう人妻、詩織。祐介の姉、七里。祐介をほのかに思うのは同級生洋子。そして高校時代事件を起し鎌倉を去り、ハワイに行ってた洋子の兄、竜次の帰還。そんな人たちの、特別なことは何もない、ごく普通の生活を切り取り、描く作品。