内なる敵

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「内なる敵」マイクル・Z・リューイン(1993)☆☆☆★★
※[933]、※[933]、海外、現代、小説、ミステリー、ネオ・ハードボイルド、探偵


探偵アルバート・サムスンシリーズ再読の三冊目となる「内なる敵」。さきの二作「A型の女」「沈黙のサラリーマン」に比べると、真実を伝えない依頼者と、同じく真実を伝えない依頼者を追い詰める者の間に挟まれ、サムスンが右往左往させられる様子が歯がゆい。
とはいえ結局は前二作と同じパターンで、サムスンのこつこつとした調査により真実に辿り着く物語。そしてまた苦いラストに辿り着くのも同じ。ただ本作の苦いラストはサムスンの調査が招いたことではない。サムスンの調査により(いや正確には、調査をきっかけに)事件が解決されること、真実が明かされることで、共同の罪の意識という幻想が壊れてしまうことから起こる。もともと本作で扱われる共同の罪の意識という幻想自体が、あまり納得のいく内容でないこと、また真実を明かさず、小手先で(われらが(!))サムスンを操ろうとする依頼者の態度にどうも共感できず、あるいは「子供のお使い」のように依頼者たちの虚偽の証言に振り回されるサムスンの姿も、前二作のように己の矜持にかけ自分の納得のいく仕事をしているように見えないことから、どうにも読んでいて歯がゆさのみを感じる。率直にいうと、あまりおもしろくなかった。
もともとこのシリーズをネオ・ハードボイルドと位置づけ、いわゆる明快な大団円の物語とは違う、己の思うままにならない現実と立ち向かうドラマと位置づけるぼくであるが、本作のようにただふりまわされるだけのサムスンは、あまり魅力的ではなかった。まさに、悪い依頼者にひっかかった。もっともサムスンは、あまり依頼者に恵まれないがゆえにサムスンなのかもしれないが。とにかく、あまりオススメではない作品である。


八年間住み慣れた以前の自宅兼用オフィスをビルの取り壊しで追い出され、同じダウンタウンの絨毯屋の二階に新しいオフィスを構えたサムスン。ある日、普通なら事務所を閉める夕方5時40分、ひとりの男が現れた。
芝居の脚本を書いているというその男は、サムスンにひとつの依頼をした。キングス・アンド・クイーンズというモーテルの17号室にいるバーソロミューという男が、自分の書いた脚本を返してくれない、そこで彼に会って「ベネット・ウィルスンの脚本(プロパーティ)から手を引いてくれ」と伝えて欲しい。不意打ちをかけることで、彼の罪の意識を強襲できるのではないか。
料金を一日八時間労働四十ドル、必要経費を最低経費十ドルに料金改訂したサムスンは、この奇妙な依頼を引き受けることにした。
モーテルの17号室にいたバーソロミューという男は、丁度ベッドで街娼を待っているところだった。彼はシカゴの私立探偵だった。ある男からサムスンの依頼主であるウィルスンがココモにいたとき知り合いだった女を捜して欲しいと依頼された。名前はメラニー・ベア。ウィルスンがサムスンをここに寄越したということは、やはりウィルスンは女のことを知っているな。バーソロミューはサムスンにそう語った。
モーテルから戻ったサムスンは、そのまま家に帰らずウィルスンの店に向かった。そして店の前でウィルスンを待ち、ウィルスンの行動を追うことにした。辿り着いたのは郊外の一軒家であった。ウィルスンを迎えたのは若い妙に男らしさにかけたほっそりした男であった。居間でくつろぐ二人。そのうち若い男は部屋を出た。サムスンの監視のなか、別の部屋で着替えを始めたその男は、あきらかに女性用の下着を身に着けていた。そしてもう一度見たとき、その男は男ではなく、女だったのだ。
オフィスのあるインディアナポリスに戻る車のなかでサムスンは考えた。サムスンの商売では、職分以上のことをしてもメダルはもらえないのだ。脅迫のような仕事はうまくない。この年になると、安心してかかれる仕事とそうでない仕事を見分けるすべが身につきだすものだ。やはりこの依頼は受けるべきでなかった。
翌朝、サムスンのもとにウィルスンが現れた。依頼した仕事をしてないのではないか。家のまわりに足跡が残っていた。その足跡はサムスンが残したものだった。
サムスンはウィルスンにバーソロミューに会ったことを伝え、さらにバーソロミューから彼がなぜこの地に来たのかを聞いたことを語る。そして、もう一度雇う気があるなら連絡して欲しいと告げ、ウィルスンを帰した。
果たして電話があった。そして今度は問題の女性、メラニー・キーとともにことの真相を打ち明けるウィルスン。ウィルスンとメラニーはココモという街で古くからの友人であった。そしてある事情で別れ、メラニーはその後、コンピューターを使った統計の仕事をするエドマンド・キーという男性と結婚した。結婚の間違いに気づいたメラニーエドマンドに離婚を申し出たが、カソリックの家の彼は離婚を認めなかった。その結果、メラニーは家を出、いまやウィルスンと隠れるように生活をともにしているという。
ウィルスンの話を聞いたあと、深夜、再度バーソロミューの部屋を訪れたサムスン。そこでまたもや、新たな事実を聞かされる。メラニーはかって妊娠していたことがある。5年前家出の際に妊娠していたが、その子供はどうしたのか?
混乱するサムスン。ひとりココモに向かい情報を収集した。そこでメラニーの父親に関する情報と、そしてまたメラニーが父親の巨額の遺産を受け取ってないことを聞いた。更に調査を進めるなかで、サムスンメラニーとウィルスンの本当の関係をも知ることになった。また、メラニーのこどもがもはや病気で亡くなっていることも。
いっぽうサムスンは独自の調査のなかでメラニーの法律上の夫であるキーと面会する。そして、さらに新たな情報を聞かされた。メラニーには、もうひとりキーとの間に子供がいたという。1965年に生まれた、そのこどもさえ戻ればいいと、出生証明書を見せサムスンに訴えるキー。次から次へと出てくる新しい情報に翻弄されるサムスン。いったい、この事件のすべてはどこにあるのだろうか?
物語は、サムスンが己の足で集めた情報を検証、照合し、そして最終的に真実に辿り着く。そこにあるのは誠実な人間の姿ではなく、それぞれが自分のことばかり考える人々の姿であった。サムスンの最初の依頼人であるウィルスンの悩みはサムスンの活躍により、一応は解決をみる。しかし物語の最後は、問題の解決に反して、苦いものであった。


冒頭に書いたとおり、とにかく歯がゆさばかりが気になり、後味のかなり悪い小説であった。ネオ・ハードボイルド、大団円たれと言うつもりはない。その苦味が持ち味であろう。しかしこの作品の「苦さ」は、まさに苦いだけだった。現実は確かにそんなものかもしれない。しかし今回はあまりにサムスンがふりまわされ、翻弄されすぎた。作品のなかで、サムスンが自分の立ち位置を最後まで決めることができなかった心地悪さ、それがこの作品の印象を悪くしている主たる要因かもしれない。