パパとムスメの7日間

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パパとムスメの7日間五十嵐貴久(2006)☆☆☆★★
※[913]、国内、現代、小説、入れ替わり、父娘、IF、コメディ


すごくおもしろかったとか、オススメとまでは言えないが、個人的にはかなりおもしろく読めた一冊。でもそれだけ。悪いわけじゃないのだが。


老舗化粧品メーカー光聖堂の広報部副部長を務める私、川原47歳。娘、小梅16歳とは会話さえない。広報部副部長といえば聞こえはいいが、広報部は会社では象の墓場と呼ばれる、率直に言えばラインからはずれた部署。要領も悪く、社内事情にも疎く、とりえは真面目に仕事を行なうくらい。そんな私が新商品プロジェクトのリーダーに命じられたのは人事の都合だったのだろう。老舗化粧品会社である光聖堂は、典型的な創業者一族のオーナー会社。主力商品である“スーパービューティー”シリーズをはじめとしたブランド力の高さは他社を圧倒しているが、それがゆえの殿様商売で、後に続く商品の開発に遅れ、徐々に地盤沈下の様相を呈していた。貧すれば鈍す、広告費を削減すれば商品は売れなくなる、そんな悪循環を繰り返していた。そんななか四代目オーナー社長の一声で発足した新商品プロジェクト。かって手ひどい失敗をしたフレグランス商品で、光聖堂の弱点である女子中高生、大学生の層を狙うというもの。だれもやりたがらない仕事が私に押し付けられたというのが、正直なところ。尤もプロジェクトも当初は、各部門より人が集められ、メンバーも意気軒昂としていた。しかしプロジェクトがはじまってから社長以下、フレグランス商品が日本のメーカーで成功した試しがないことを知り、風向きは変わった。いっそその時点で中止してしまえばよかったのに、朝令暮改で止めることができないという大人の事情で存続されたプロジェクトは、予算もどんどん削られ、とりあえずの企画案を提出するところまでなんとかこぎつけることができた。あとは10日後の社長以下オーナー一族が役員を務める通称、御前会議で決裁されるだけ。
そんななか事件は起きた。娘の小梅と乗った電車で車両事故が起きた。その事故をきっかけに私と小梅の中身が入れ替わってしまったのだ。
御前会議を控えた私と、大好きなケンタ先輩とのデートを控えた小梅に起こる、「入れ替わり」によるドタバタを描くアットホーム(?)コメディ。


年頃(高校二年生16歳)の、ちょうど父親をうざく思う年代の娘と、これといったとりえもない(割にうまくことなかれで会社を泳いだのか、老舗化粧品メーカーの閑職広報部の副部長に納まる)中年サラリーマンの父親が、ある事故をきっかけに中身が入れ替わるという物語。そしてお互いの知らないそれぞれの生活で起こるドタバタを描く作品。
入れ替わりといえば、往年の名作映画「転校生」の原作となった児童書「おれがあいつであいつがおれで」(山中恒)がまず思い出されるが、まさにそれと同じ。入れ替わりによるドタバタをおもしろおかしく描く作品であり、あくまでも楽しく読むための作品。「転校生」もしくは「おれがあいつであいつがおれで」が、もしかしたら思春期の男女の心の機微まで描くことができたがゆえの名作とするならば、この作品はそこまでの深みはない。入れ替わりによって年頃の娘が父親の知られざる人間の部分を知り、見直すとか、あるいは父親がいまどきの娘の生活を知ることで変わるとか、そういう「ありがちな物語」は、ない。そこにあるのは立場が入れ替わることで起こるドタバタだけ。悲喜劇をユーモアたっぷりに、たぶん若い世代の生活をきちんと取材した上で描かれたコメディ。しかしその潔さ、「読みもの」っぷりがこの作品を生き生きとしたものにしている。
予定調和の物語。最後にお約束のほんのりとした温かみを残すものの、年頃の娘は容赦ない。簡単に「人が変わらない」こと、それがこの作品のリアリティーなのだ。


正直、「入れ替わり」というテーマを知ったとき食指は動かなかった。これが五十嵐貴久の作品でなければたぶん読まなかった。変幻自在にいろいろなジャンルの作品を出す、五十嵐貴久という作家。当たり外れが多く、作品の質という意味では定まらず、しかしどうにも気になる作家。そんな作家が新作を出した。
「入れ替わり」。このテーマが難しいのは、その設定にリアリティーを持たせることが難しいから。入れ替わることで起きる状況は、ちょっと想像するだけでもおもしろいシチュエーション。仮にお互いをよく知っている相手であっても、入れ替わった生活には齟齬が出る。ましてや中年サラリーマンである父親と年頃の娘、そこに起こる齟齬のドタバタを想像することは容易だ。しかし問題はどうやって「入れ替わり」を起すか。結局、この作品は鉄道事故というベタな設定を「入れ替わり」の原因とした。仕方ない。この作品が描きたいのは「入れ替わり」のリアリティーでなく、「入れ替わり」が起きた状況を描きたい作品なのだ。確かにいまどきの娘のあくまでも自己中心的なふるまいに、娘の姿になっても振り回される父親の様子は哀しくも可笑しい。それはそれで充分おもしろい。しかしぼくという読者は相変わらずひねくれているというか、あと少しを求めてしまう。「入れ替わり」がおもしろいのが自明なら、やはり「入れ替わり」自体にリアリティーを持たせてほしいのだ。なぜ、どうして「入れ替わり」が起き、それがどんなにばかばかしい理由であれ、どこかに信憑性がある、そんなものを求めてしまう。そんな作品はないのだろうか。


ただ、本作品は何度でも言うように個人的にはおもしろかった。それは今、ちょうどぼくが、思春期を迎えようとする13歳の娘を持つ父親だからという部分が大きいのだろう。下着姿で歩き回るので、母親を通して注意すると「親子だからいいじゃない」と反論する娘。「私はあけっぴろげだから」って、。それはちょっと違うゾ。用事があり携帯に電話しても、気がつかなかったと苦しい嘘をつく娘。カラオケ代をたかろうと、一緒にカラオケに行こうとせがむ娘。彼女がもう三年も経てば、この作品の主人公と同じように、父親をうざく、ないがしろにするのだと思いながら読んでいるとなんだか自虐的な楽しさを感じたりした。もっとも、ぼくはそれほど自分の娘に対して過度な思い入れは持たないのだが・・。
この作品は年頃の娘を持つお父さんにはオススメの一冊。自分にはわけのわからない生活をする娘だが、無茶はしてないと、ちょっとだけ安心させてくれて、でも先はわからないと、少し不安にさせてくれる作品かもしれない。軽く楽しく読む作品として、お父さんにはオススメしたい。ただ万人にススメるほどではない。残念ながら。