ラストワンマイル

[rakuten:book:11914025:detail]
「ラストワンマイル」楡周平(2006)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、ビジネス、運送業、新規事業開発


「ラストワンマイル」楡周平(2006)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、ビジネス、運送業、新規事業開発


暁星運輸本社営業本部広域営業部、そこはコンビニのように全国に散らばる店舗を本部交渉によって、一気に契約を纏め上げる営業部門。暁星運輸の売り上げの20パーセントを稼ぐ部門である。本来、銀座のクラブで頻繁に接待を行なうような部門ではない。しかし本部長寺島はその実績をもとに放蕩な交際費を使っていた。そんな彼の部下である横沢が、ある日、本部長寺島の同行による訪問を、お得意先であり独占契約を結ぶ大手コンビニ・ピットインから申し出された。果たしてピットインからの申し出は、郵政省民営化に伴う、宅配の併売の申し出あった。国民の税金を元手とした郵政と民間企業との勝負は、戦う前からその勝負は火を見るより明らかである。ピットインからの申し出をここで断っても、契約更改の時期には条件変更で押し切られてしまう。コンビニ相手の商売であぐらをかいていた広域営業部、いや宅配業者の危機が訪れた。さらに同じ大手コンビニであるエニタイムからも同じ申し出が提示される。
「蚤の市」そこは現在ネット上、最大のショッピングモールのふたつのうちのひとつ。もとは十畳ほどのマンションの一室で始められたベンチャー企業であったが、いまや幾つもの企業買収を行ない大企業に成長していた。都心のランドマークとなる赤坂タワーに事務所を構え、その社長武村はIT企業のカリスマとしてマスコミにもとりあげられる。その会社を横沢は起業のころに知った。その将来性に目をつけ、会社の反対を押し切り取引を開始した。客を育てるのも営業の仕事だ。横沢の願いどおりに大きな企業なった「蚤の市」。しかしその社長武村は、いまやその創業時にともに語った夢を忘れたかのように雲上人となっていた。「蚤の市」を育てるといった手前、破格の運送料を提示した暁星運輸にとってその扱い量に対し、決しておいしい商売とはいえなかった。起業が育ち、値上げ交渉を望んでも、値下げ要求しないことが恩返しとばかりの態度をとってきた「蚤の市」。そんな「蚤の市」が、ある日郵政の攻勢に追い討ちをかけるように、条件の変更を申し出てきた。他の出店と同じように扱い高に対して手数料を願いたい。
ふたつの大きな悪条件を提示され、暁星運輸本社営業本部広域営業部は、いや暁星運輸はかってない境地に立たされた。この逆境を彼らは果たしてどのように乗り越えていくのか。
「ラストワンマイル」それは顧客にサービスを届ける最終地点。ラストワンマイルの意地をかけ逆転の発想で臨む宅配業者の姿を描いたリアリティーあふれるビジネス小説。同じフランスの哲学者アランの言葉「安定は情熱を殺し、緊張、苦悩こそが情熱を産む」という言葉を座右の銘としたふたりの男の姿。最語に天が微笑むのはだれか?


結果として久々に超辛口レビューとなってしまった作品(「雨のち晴れ、ところにより虹」(吉野真理子))のあとに読んだのがこの作品。丁度、久々に読み企業小説を読み、思いもかけない楽しさと、そして感動を覚えた「空飛ぶタイヤ」(池井戸潤)[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/43928568.html ]に引き続くような企業小説。いや、経済小説、ビジネス小説といったほうがぴったりくるか。前作「再生巨流」[ http://blogs.yahoo.co.jp/snowkids1965/17241610.html ]に引き続き、楡周平がふたたび経済小説を上梓した。前作はロジスティック(物流)と文具カタログビジネスをテーマとしたが、本作も宅配業者の生き残りとネットビジネスをテーマにした。物流業者をテーマにしたことが、ふたつの作品で重なるがまったくの別作品。おそらく作家は、前作の取材のなかで本作のテーマを掴んだのだと想像する。しかし別作品であるものテーマが同じだと一見、同一作家による二番煎じに見えるのが残念。個人的にはとても楽しめた作品であるがゆえに残念と思う。もったいない。


以前より語っているが「物語」が好きだ。大きく流れる奔流のような、あるいは骨太な骨格を持つ物語。もちろん繊細な描写でかすかに揺れ動く心情を描くような作品が嫌いだとか、認めないとかいうわけではない。そういった、たおやかさやしなやかさを持った作品とて決して評価しないわけではない。しかしセクハラ発言かもしれないが、いわゆる「女流」作家の描く作品には、ぼくにとって感心しないもの、居心地の悪いものが多い。心情を描くことを旨とするような作品たち。わからないわけではないが、共感できない。これはもはや相性なのだろう。それらの作品に多い「わたしが、わたしが」と訴えるような小説はぼくに合わない。つまりぼくは物語が好きな読者なのだ。


さて本作、間違うことなき骨太の経済小説。ビジネスで窮地に追い込まれた主人公が、窮鼠猫を噛むではないが、土壇場の逆転アイディアをもとに、起死回生を狙う物語。まさしく奔流となる「物語」を追い、楽しむ作品。運や、人の縁などに助けられ、しかしすべては主人公の信念と、それに支えられた行動により物語は進む。真摯に誠実で誠意ある行動、逆境のなかであきらめず正しくひとがあるべき姿で行動する主人公に対し、最後に天は微笑む。そういう物語にひとは魅かれる。お約束の物語。細かく言えばそれぞれの登場人物の「人間」まで書けていないとか、あたかも「駒」のようというような評価があったとしても否定はできない。もしそこまで書けていれば更にもう一歩進んだ「小説」になりえるのかもしれない。しかしこの作品が失敗作かといえば、決してそうではない。仮に更に一歩進む余地を残しつつも、充分楽しくおもしろい作品であり、そういう意味で成功した作品といえる。深さは不足するかもしれないが、充分に万人にオススメできる物語作品である。


ところで本作は経済小説、あるいはビジネス小説としては典型ともいえる、ある実際の企業とその動きをモデルにしている。ここでぼくは「リアル(真実)」と「リアリティー(本当らしさ)」に触れてみたい。年初来書き進んでいない「竜とわれらの時代」(川端裕人)のレビューでも少し触れているのだが、物語は決してリアルである必要はなく、リアリティーがあればよいのではないかとぼくは思っている。つまり、本当にように嘘を言い。フィクション(虚構)たる小説では、本当らしく読者を騙しきれるなら、多少の嘘や間違いは、糾弾されるべきものではないと考える。尤もそれがゆえに、書物(とくに小説)から得る情報は、疑ってかからなければいけないのではなないかと思う。
しかし反面、小説の楽しみ方のひとつに、書物を読むことで得る「知識」という部分も決してないがしろにはできない。この辺りの線引き、あるいは「あり方」というものが最近、ちょっと気になる。さて本作の属するビジネス小説というジャンルにおいては、この「リアリティー」の部分は、きわめて「リアル」に近いことを要求される分野であろう。しかしその「リアル」が、ときにこのジャンルの作品の普遍性を殺ぐ。本作の場合、ネットビジネス(モール)と物流の問題を扱っている。具体的には郵政省の民営化に伴う、宅配業者の苦境、この作品の場合そこに追い討ちをかけるような悪条件が提示される。この逆境を主人公は、新たなビジネスモデルを構築することで立ち向かう。この作品の素晴らしい点は今まさに行なわれている郵政省の民営化に追い込まれ、対抗する宅配業者の対抗手段が単純な直接対決ではなく、実現可能と思われる(思わせる)新たなビジネスモデルを提示することである。新たにリアリティーのある活路を見出すこと。そして宅配業者の物語でありながら、また現実にあったあるIT企業のテレビ局買収事件を、また別の物語(エピソード)として描き、それをうまく物語に取り込みつつ、現在のビジネス界での出来事ととしてわかりやすく解説している。
しかしこの二つの長所は、また両刃の剣のように作品の欠点となりうる部分でもある。発端は、国家の税金を後ろ盾にした郵政省(官)の民間企業への仁義なき殴りこみであった。現実問題として、郵政省(官)の殴りこみに対して直接対決することは非現実的なことであろう。そこで物語は現実的な観点(つまりリアリティーより)、郵政省(官)ではなく、さらに追い討ちをかけてきた別の敵、IT企業(民)を対決すべき敵とみなし対抗する。しかし最大の敵(官)と主人公たち(民)が対決することを避わし、終わってしまったことに若干の不満が残る。「物語」とは最大の敵を倒してこそカタルシス(爽快感)を得、味わうものだろう。そこがこの作品では解決されていない。また現在の、現実の問題を描くこと、見事に解説したことは、その物語の描かれる「時点」に束縛されることになってしまう恐れを生んだ。ビジネス小説のなかには勿論、「時点」の束縛に縛られることのない普遍性を持つ名作たりえた作品がないわけではない。例えば「空とぶタイヤ」(池井戸潤)のレビューでも触れた「沈まぬ太陽」(山崎豊子)、あるいは「粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯」(城山三郎)、あるいは柳田邦夫をはじめとした幾人かの作家の作品もいくつか思い浮かぶ。しかしとはいえこのジャンルの作品に、時点に束縛され色褪せてしまった作品が多いこともまた事実である。この辺りをこの作品が越えたかどうかは正直、疑問。ビジネス小説というジャンルにおける傑作が、かならずしも小説というジャンルにおいては名作たりえない、このことは痛痒なる事実なのかもしれない。
確かに人間を深く掘り込んで描けば、ビジネス小説も「小説」として名作となることは先にあげた名作たる作品たちを思い浮かべれば明らかである。しかしそれでは「ビジネス」は舞台にしか過ぎず、その本当のテーマは「人間」でなければいけないとなってしまう。しかしそれではビジネス自体をテーマにした作品は、「時代」を過ぎたとき読み棄てられる運命となのだろうか。ビジネス小説というジャンルはそういう意味で、単なる娯楽小説、あるいは時代の教養小説にしか過ぎないのだろうか。作品のレビューとしては、ちょっと横道に逸れすぎたようだが、レビューを書きながら新たな課題をつきつけられたような気がしてきた。作品を客観的に評価する重要なポイントに、時代に束縛されない「普遍性」というものが重要なものだとぼくは考えてきた。しかし、それはもしかしたら違うのかもしれない。


蛇足:本作品をおもしろく、かつサラリーマンとして見習うべき姿として読むことができた。しかし敢えて難を言えば、現代の現実を書いた小説としては不足を覚える部分もあった。本作品ではネットのショッピングモールについて集客についてのポイントを重要な部分としてとらえている。しかし集客もさることながら、出店者のサービスの品質をどのように高く維持させていくかということも大事な問題であろう。注文しても、すぐ対応できない「店」が並ぶようなでは顧客は満足しない。ネットモールをテーマにするならば、そこのところをもっと深く切り込んで欲しかった。ネットモールの、顧客の取り込みのためのインセンティブ手段なども、どうせなら解説してほしかった。