風の墓碑銘(エピタフ)

風の墓碑銘

風の墓碑銘

「風の墓碑銘(エピタフ)」乃南アサ(2006)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、ミステリー、刑事もの、女性刑事


隅田川東署へ来る前は機動捜査隊員として凶悪事件の初動捜査にあたっていた音道貴子にとって、所轄署員の日々はそれが必要なものだとわかっていても、どうしても地味でメリハリがつきにくく、つい物足りない気分となっていた。そんな日々のなか二体の死体が発見されたという通報がはいった。
墨田区東向島の古い木造家屋の取り壊しの最中に、古い二体の男女の白骨死体が見つかった。深く埋められた死体のうち女性の遺体には生まれる直前と思われる胎児の骨が抱えられていた。法律の改正により、殺人事件や強盗致死など、死刑を最高刑とする犯罪に対する公租時効が15年から25年に変更となったのはついこの間のこと。もし法律が改正されていなければこの死体は既に時効を越えたものとして捜査対象とならなかっただろう。
同僚の玉城とともに捜査に当たる貴子。しかし事件は古く、記録もほとんど残っていない。貸家であったその家屋の持ち主である今川という老人も、もはや半分惚け、墨田区の東隣に位置する江戸川区の老人ホーム「ハッピーライフはなみずき」に入居していた。足しげく通う貴子らに対し、なんらの情報も提供できない今川老人。八方塞の日々を過ごす貴子ら。いっぽう貴子の恋人である家具デザイナーである昴一は、網膜色素変性性という先天性の難病に冒されていた。眼の網膜が壊れていき、だんだんと視野が狭くなり、下手をすると失明になってしまう病気。そんななか昴一は貴子の心配をよそに、イタリアに一人旅に出てしまった。そんなお互いの男の話を所轄に来て知り合った数少ない職場の同性の仲間、藪内奈苗と交わす貴子。男の問題さえなければ奈苗は実に堅実で真面目、責任感も強い有能な警官として貴子は信頼している。しかし奈苗の私生活は男に振り回され愚かしい。まさに女なんだ。そして奈苗の目下の悩みはその男が働こうとしないことであった。
特別捜査本部が墨田東署に設置された。そこに妻に家を出て行かれ、男手ひとつで娘二人、息子一人を育て上げた金町署の警部補、滝沢保が派遣され、貴子とコンビを組むこととなった。滝沢と貴子がコンビを組むことは初めてではなかった。滝沢にとって貴子はやたらのっぽの可愛げのない奴で、しかも女ときていた。最初は徹底的に無視してかかったが、しかし貴子はしっかりとくっついてきていた。再度コンビを組むにあたって、滝沢は皆の手前ハズレを語ったが、しかしくすぐったい気持ちにもなっていた。いっぽう貴子にとって滝沢との思い出は、相当な忍耐を強いられたことであった。。今回の組み合わせについて貴子は、滝沢が密かに抱く思いと裏腹に、こんな嬉しくもない腐れ縁もないという思いであった。そんなふたりが真夏の炎天下のもと地道に足を使う捜査を行なう。ときにぶつかり合い、そして少しずつ理解を近づけていく。最後にふたりは真犯人に辿り着ことができるのだろうか。
ふたつの別々の事件が貴子の地道な捜査でひとつにつながり、そして辿り着く真実。地道な捜査こそが、最後に真実に辿り着くと語るような物語。そしてまた事件を追う刑事たちの姿を描くと同時に、それぞれに生活もあれば、悩みもあるひとりの人間としての刑事たちの姿を丁寧に描く作品。ずっしりと重い長編作品。


珍しくミステリーづいている。いっときのように国内ミステリーばかり読んでいる。「ピース」(樋口有介)に続き、本作。このあとは「贄の夜会」(香納諒一)とある意味「男らしい」作品が続く。しかし本作の作家乃南アサは女性である。女性作家ではあるが、ぼくにとって女性作家を意識しない作家のひとり。あたかも男性作家のそれと同じく、この作品も感情ではなく事物をこつこつと積み上げて書く。それが心地よい。何度も書いていることだがどうにも「女流作家」が苦手だ。その要因の一番は感情を中心に描かれることだと、ぼくなりに分析する。女流作家が描く「感情」に沿うことができれば、心地よく作品を楽しむことが出来るのだろう。しかしどうにも居心地の悪さを覚えることのほうが多い。対して男性作家の書く作品の多くは感情ではなく、事物を積み重ねて描くことが多いように思う。あるいは、もっと明瞭で簡潔に気持ちを描くことが多いのかもしれない。これはあくまでも作品のパターンを大きく分けた場合のぼくなりの分類であり、本作のように女性作家であれ事物を積み重ねて描く作家もいれば、男性作家であっても感情を細やかに描く作家もいる。そしてぼくはどちらかというと事物を積み重ねて描く小説を好む。


乃南アサという作家の名前を意識したのは、おそらく「6月19日の花嫁」が映画化とともに話題になった頃だと思う。そしてそれを読みんだとき、やはり「女流作家」だなと思った記憶がある。しかしたぶん「このミス」あたりの紹介だったろうか、本作の主人公音道貴子の活躍する「凍える牙」を読んでみて、この作家に対する印象を随分変わった。え?これを女性作家が書いた?そしてまた、話題になっていたのは知っていたが、それまで女性作家ということだけで読むことを避けていた高村薫の「マークスの山」や「照柿」をこの頃に続けて読んだ。こうした出会いがあったおかげで、ぼくの女性作家に対する食わず嫌いは矯正された。随分女性作家を読むようにもなった。


さて本作。さきに触れた女性作家らしくない作品「凍える牙」の主人公音道貴子のシリーズの最新作となる。しかし残念なことに、過去のシリーズの内容がまったく記憶にないことに気づいた。主人公の名前はなんとか記憶にあったが、ぼくの知っている音道貴子は、女性ながらでかいバイクに乗っていたはずだった。しかし本作では「最近ではエンジンをかけることさえほとんどない」ようである。そして昔なじみの相方である滝沢にいたっては、正直、記憶の断片(かけら)さえなかった。
しかしそれでもこの作品は問題がない。シリーズの一冊でありながら単独作品として通用する作品、ぼくはこういう作品こそ本当に力のある作品として高く評価したい。もちろんシリーズの記憶があれば、さらに楽しめる作品であったと思う。そこは正直残念に思う。しかしシリーズの一冊であっても、この作品から読むことができ、かつ一定の水準を持ち楽しめるということこそ、「ひとつの作品」として重要なことであろう。そういう意味で充分、万人にオススメできる一冊。
ただこの作品を楽しめるかどうかは、個人の読み手としての資質が大きく関わることは間違いない。地味で、堅実なミステリー。まさにリアリティーあふれる刑事モノのドラマ。そこには華やかな仕掛けも、心揺さぶる大きな感動もない。ただ地道な物語を楽しむ。作家の手により丁寧に積み上げられた描写のひとつひとつが、音道という不器用で誠実な女性刑事を、あるいは滝沢という、老練な少し意地悪だがしかし真に力を持つ者を正当に評価するさまをリアリティーを持って描く。それぞれの人間像を楽しむという楽しみはある。しかしそれはたぶん随分、地味な読書の楽しみであって、一般的に万人向けではないかもしれない。
そういう意味でぼくの言う「男性」向けの作品。しかしそういう作品が好きならば、読む価値は勿論あり、だ。そしてこの作品もまた、この前に読んだ「ピース」(樋口有介)同様、いまどきでない古臭いミステリーのひとつかもしれない。


蛇足:しかし真犯人の身勝手な論理に、ぼくはいまひとつリアリティーを覚えないのだが、現実にはこういうことがあるのだろうか。
蛇足2:備忘として。24年前自宅で父と姉を惨殺され、生き残った長尾広士青年。母の行方は不明。豆腐屋を営む祖父母に育てられた。一時荒れていたこともあったが、いまは老人ホームで真面目に働く青年が物語の重要人物。
蛇足3:滝沢刑事。どうしても泉谷しげるをイメージしてまうんですけど(苦笑)