失われた町

失われた町

失われた町

「失われた町」三崎亜記(2006)☆☆☆☆★
※[913]、国内、現代、小説、SF、近未来、町、消失

※あらすじ、ネタバレあり。未読者は注意願います。


30年に一度、「町」は意思を持ち、消失する。消失とは、その町の住民が忽然と失われること。「消失した町」に関わることを忌避すべき「穢れ」と認識された管理社会。それぞれの理由から「町の消失」と向き合い、「消失」を食い止めようとする人々の日々の営みを描く作品。前章、中篇といえる分量の七つのエピソード、そして終章からなる物語。


三崎亜記はどこにいくのだろうか。前作、彼の第二作である「バスジャック」を読んだとき、その多彩な作品群に対し、ひとつの個性を確立して欲しいとぼくは願った。しかしそれは杞憂にすぎなかった。
あちこちで評判となっていた本作。とりあえず読んでおこうと予約をいれて数ケ月、それは想像以上に出来た作品であった。連作のかたちをとり、エピソードが折り重なり、連なる。しかしこれは「長編」と読んでよいだろう。
「となり町戦争」に感じた乾いた、一種の諦念にも近い匂い、空気は本書にも漂う。希望を見出す物語のはずだが、盛り上がることもなく淡々とした思いが描かれる。管理された世界、避けることのできない出来事の待つ世界での人の営み。それはもしかしたらもう目の前に来ている世界なのかもしれない。


ネットを覗くと賛否両論であることに驚かされた。「となり町戦争」を評価した読者にとっても、難解であり、不必要な描写が多いという意見を見かけた。
不必要な難解さ、しかしこれはこの作品の魅力のひとつではないだろうか。この作品を読み、感じたのは一大ブームを巻き起こし、その影響のいまだ衰えないTVアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に似た匂い。あるいは押井守という稀有な才能のアニメ監督の描いた幾つかの作品世界。女性統監の姿を辿れば、さらに遡り、「超時空要塞マクロス」で主人公の上官を務めた女性士官さえ思い出される。乱暴な言い方をするならば、デビュー作の「となり町戦争」を大人が楽しめる特撮実写番組として「ウルトラQ」であったとするならば、この作品はそれらの作品にオマージュを捧げつつも、より現実世界と似て非なる「となりの世界」を表現することに適した、「ジャパニメーション」と呼ばれるものに近い作品となったのではないだろうか。これらの作品は「理解(わかる)」ことが魅力ではない。なんとなく「理解した気持ち(わかったような気持ち)になることが魅力であり、徒に使用される「難解な言葉」も、ディティールのひとつに過ぎない。エヴァを本当に理解している人はほとんどいないだろう。そういう意味で元オタク少年であったぼくにとって楽しい作品であった。しかし賛否両論があるとおり、万人向けの作品ではないのかもしれない。
400ページに及びながら、物語がきちんと完結していないことも、欠点のひとつなのかもしれない。最後が(最初が?)読者に委ねられる「余韻」でいいのか、そういう議論もあるかもしれない。あるいはこの作品を良しとしながらも、ぼくがどうしても気になるこの「管理された社会」を舞台にしたことも問題のひとつかもしれない。お手軽に管理社会を乗り越えたり、改革していくことなく、あるということを受け入れ、そこから物語が進むことがこの作品の設定としての舞台であることは理解はする。しかしどうしようもない居心地の悪さもまた覚えずにはいられない。近未来の管理社会の息苦しさが、また町の消失という運命に加え、諦念にも似た空気をこの作品に与え、作品世界を創っていることを理解しつつも、敢えて、居心地の悪さを感じてしまうということことも取り上げておこう。
しかしそうした、敢えていうならばの欠点を持つとしても、この作品はきちんと「世界」を構築し、それが最後まで破綻なく書ききられたということを評価すべきであろう。町という大きな「モノ」の意志。それに抗おうとする人の営み。管理され、統制のとれたはずの社会であっても、感情としての「穢れ」という概念による差別の存在。「感情抑制」をも備えたはずの管理局という管理社会、あるいは組織の典型ともいえる機構においてさえも存在が許されてしまう、卑小な人間たちの感情。物語はそれらを打破し、打ち破る存在としてではなく、少しずつ積み重ねる描写で構築する。そしてまたこの作品は「物語」ではあるが、起承転結のそれではない。創られた世界での「人の営み」のみを描いている。それがしかしぼくには魅力に思えた。反面、起承転結とした「物語」足りえていないことを不足に思う読者がいても不思議はないだろう。普段ならぼくが一番求めることだから。


月ヶ瀬町が失われ30年が過ぎた。いままた「町」が失われようとする。それぞれの理由、運命により「消失」に立ち向かう人々の姿。物語は始まる。
そしてときは前回の月ヶ瀬町の消失直後に遡る。七つのエピソードは順番に語られ、それぞれに登場する人々は連なり、重なる。


「プロローグ、そしてエピローグ」
新たな町の消失に立ち向かう人々。そして茜のもとに和宏は戻ってきた。


エピソード1「風待ちの丘」(かぜまちのおか)
二人一組で、作業は割り当てられる。国選回収員に選ばれた茜は消失した月ヶ瀬町で作業にあたっていた。その間、仮の宿とする都川の町で、茜は「風待ち亭」というペンションの主人、中西さんと出会う。彼は月ヶ瀬の消失で家族を失っていた。
由佳という美少女が、失った大切な友人潤を想い、ペンションを訪れる。


エピソード2「澪引きの海」(みおひきのうみ)
管理局に勤める桂子さんは、実は「特別汚染対象者」であった。そのことでまた恋人と別れることになる。しかしカメラマンである脇坂さんとの出会いがあった。必ず再会する運命をふたりは信じた。


エピソード3「鈍の月映え」(にびのつきばえ)
都川のちいさなギャラリーで、茜は月ヶ瀬の街の風景画に出会った。消失した町に関わるものなかで絵だけは回収の対象から外されていた。茜と和宏との出会い。和宏もまた月ヶ瀬で大事な人を失っていた。
いっぽう回収作業のなか、生きている三歳くらいの少女を発見した茜たちは、残りの回収員の任務期間を免除された。中西さんの「風待ち亭」で、和宏とともに暮らすことを決める茜。しかし和宏は茜を置いて月ヶ瀬町に向かってしまった。


エピソード4「終の響き」(ついのおとない)
英明の妻は「別体」であった。学術統合院の研究により完全なる「分離」が成功したのはほんの30年前。英明と出会い、結ばれた「別体」の妻は、そのお腹にこどもを宿したまま町とともに消失した。
片割れが死を迎えれば、もう片方も同様に死を向かえるはずの分離者。しかし妻の「本体」は失われていなかった。町がまだ見つけていないのだ。
英明ともに暮らすことを決める「本体」。彼女は男の子を宿し、「別体」が産むはずだった女の子につけるようとした名前をその子につけることを決めた。
月ヶ瀬の風景を夢のなかに見るようになる「本体」。管理局の白瀬桂子の紹介で「風待ち亭」を訪れる英明たち。そこで出会う和宏の持っていた響きを失った古奏器は、響きを取りもどす仕事をしていた「本体」の手により、いや、幼いひびきの泣き声により響きをとりもどす。「本体」の消える時期が近づいく。月ヶ瀬の最後の残光とともに。
ひびきが女の子の声で母親に語りかける。「ワタシタチガ、オワラセルヨ」「モウ、パパモママモ、カナシマセナイヨ」。


エピソード5「艫取りの呼び音」(ともどりのよびね)
汚染が進むことで体内珪化がいよいよ始まった桂子さん。そんな彼女に脇坂さんにつながるものが届けられた。七日間のうちに澪引きを成就させなければいけない。残された言葉。脇坂さんを探しに居留地を訪れる桂子さん。観光客は足を踏み入れてはならないとされる闇取引の温床地である南玉壁での探求。桂子さんの澪引きは成就できるのか。


エピソード6「隔絶の光跡」(かくぜつのしるべ)
風化帝都の茶廊で勇治は由佳の姿を見かけた。
高校のころふたりはつきあっていた。いや、正確にはつきあっていたことになっていた。聡明で美貌の少女であった由佳には心に秘めた願いがあった。言い寄ってくる男に関わっている時間を無駄にしたくない。カモフラージュとしての彼になってくれないか。必要なら身体を提供する。そんな彼女の申し出を、ゲームとして「関係」を抜きに受け入れた勇治。高校の三年間を「彼」として過ごした勇治はある日、由佳の願いが町ともに失われた「潤」という、由佳の幼馴染で、それ以上に強い存在であった少年にあることを知る。「こっちの世界」に戻ってこいよ。由佳に告げる勇治。
翌日から姿を見せなくなった由佳の姿を勇治が見つけたのは三ヶ月近くたった頃だった。姿を追い、研究所に辿り着く勇治。そこでこの三ヶ月、由佳のしていたことを聞いた。それは「潤」という少年の最後の願いを受け止め、町の消失に抗おうとする由佳の姿だった。
四年半ぶりに会った由佳は相変わらず頑なに、一途に町の消失と抗おうとする姿を勇治に見せた。その姿、行動に反発を覚える勇治であったが・・。


エピソード7「壺中の希望」(こちゅうののぞみ)
私立女子高に通うのぞみは、数百万人に一人といわれる「後天性神経分断症」という難病と診断されていた。三ヶ月に一度通う病院でいつものように由佳先生に診てもらう。診察室でふと聞きなれた声。カーテンの隙間から覗くと、それは売れっ子俳優の長倉勇治だった。由佳先生の高校時代の友人だと言う。
ある日ふと病院に立ち寄ろうとしたのぞみは、病院に由佳先生の名前がないことを知った。、両親に尋ねるのぞみ。そして自分が「失われた町」の生き残りであることを知る。ショックを受けたのぞみは自分の生まれ故郷である町に向かう。列車のなかで出会う、三人の家族連れ。お父さんと中学生くらいの女の子、そして小学校高学年くらいの男の子。その子どもは「分離」していたのであった。
町に辿り着いたのぞみは、しかし管理局の白瀬桂子の手で強制的に回収された。気がつくとそこは「風待ち亭」であった。そこで出会う人々と彼らの過ごしてきた運命を聞くのぞみ。自分を救うために町に取り込まれた父を救ったのぞみは、自分のための一歩を進む決意をする。


「エピローグ、そしてプロローグ」
月ヶ瀬の町の消える夜。潤は姉の恋人である和宏に馴染んだ古奏器を託し、ガラス瓶に入れた手紙を都川に流した。そして由佳に最後の電話をかける。「これはエピローグであり、プロローグである」この言葉を覚えておいてほしいんだ。
管理局統監の、知られざる「別体」への電話。彼はいま都川に住みペンションを営んでいるという。
人の思いは受け継がれる。望みは繋いでいかねばならない。


個別につきつめれば「高射砲塔」や「防空演習」「電力調整日」「居留地」「西域」「古奏器」、あるいは由佳と潤の用いる「暗号」、SEKISO・KAISO(石祖開祖)を名乗るハンドルマスター(ミュージシャンのようなもの)の設定(阿修羅男爵か、お前は?)など、どうにもこの物語世界に対して違和感を禁じえない、あるいは必要を感じないディティール等がないわけではない。正直、この辺をもう少しうまく書いて欲しかった。もちろんまことしやかな嘘のために、必要なあそびや無駄というものは認める。しかし先に挙げたディティールは、必要というより蛇足に近いと思うのだが、いかがだろう。いや、先に「個別につきつめれば」とぼく自らが語っているように、この部分をつきつめること自体あまり意味がないことなのかもしれないが・・。


追記:あれ?これあらすじばかり?


蛇足:エヴァとの類似性について、女性たちの活躍が大きいことは言うまでもない。
蛇足2:レビューを書いていて思ったが、難解な言葉を使ってみているが、実はそれほど複雑ではない。整理してみればわかりやすい物語かもしれない。